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スタッフでなく利用者も「みらいファーム」の人々をしあわせにすることが仕事
山梨県甲府盆地のド真ん中にある福祉施設障害福祉サービス事業所みらいファームでは、富士山に見守られ、様々な障害を持つ人々が思い思いの時間を過ごしています。農作物や花を育ててスーパーに卸したり、綿花を栽培して織物にしたり、絵を描いて個展を開いたり……。
ラジオ体操をして、仕事をして、お昼休憩を挟み、また仕事をする.…。そんな日々の仕事に取り組むさまを見つめていると、自然と心が洗われるように感じます。
そこには、1人ひとりに向けたスタッフの温かな眼差しが感じられ、スタッフは働く人たちに寄り添い、利用者もお互いを意識しながら過ごしています。通ってくる利用者たちは、みんなここが大好きです。自然な笑顔や日常で交わされる会話からもそれがよくわかります。
タイトルは、織物機の音から付けられたもの。綿の種がはじけ、綿が育ち、糸が紡がれ、布が生まれるのです。織物を仕事にするめぐさんは言います。「みんないろいろあるんだよね。言いたいことはいっぱいあるけど、でもしょうがないのかなと思うしね。でも仕事が楽しいから、仕事の方がみんな、来ていて楽しいから……」。
「みらいファームのみんなを幸せにすることが仕事なんだよ」という利用者さんの言葉がずぶずぶと心に刺さります。
そんな素敵な居心地のいいみらいファームを映画にした青柳拓監督にインタビューしました。
障害をダイレクトにテーマにするのは違うんじゃないかという思い
この映画を撮ったきっかけや理由を教えてください。相模原殺傷事件のアンサーとなる映画と言われる意味はどんなところにあるのでしょうか?
青柳監督:『東京自転車節』を撮り終えた後、次を考えたときに母が勤めていて、小さいときから遊びに通っていたみらいファームのことが浮かびました。そこには遊んでくれるお兄ちゃんおねえちゃんがいて、常に肯定される場、居心地いい場所で、自分が等身大でいられるという感覚がありました。
相模原の事件が起こった時、頭にうかんだのがみらいファームでした。その時に撮影していた『ひいくんのあるく町』も障害者を対象にした映画でしたが、障害をテーマにはしていません。大好きな自分の故郷を楽しそうに歩いているひいくんを追いかけた映画ですが、その撮影中に事件がありました。自分にとって身近な存在が、「障害」
そのアンサーとして、「障害」をダイレクトにメッセージとして映画にするのは違うと思ったんです。前作の『東京自転車節』は、コロナ禍で仕事を失った僕が東京に出稼ぎに行くというストーリーですが、その撮影していた時に自分を情けなく思ったり、価値がないと思ったり。どんどん孤独になっていきました。
だからこそ生きている価値の有無を考える映画はあるんじゃないかなと考え、じゃあ何をテーマにすればいい?となったとき、頭にみらいファームが浮かびました。
障害者施設ということではなく、その場の居心地の良さを撮りたいと。そういった事件を頭の中に受け入れつつ、そのうえで、価値について、その思考のまな板には乗らないという確信があったので、そういった意味でアンサーとなるのかなと思いました。
温かなまなざしや居心地の良さをそのまま映画にしたかった
みらいファームを舞台に、観ている人にどんなことを伝えたいと思いますか。
幼稚園の年長くらいから小学校低学年くらいまでは、よく母の仕事先の「みらいファーム」で過ごしていました。そこにいたのは、自分のことをかわいがってくれ、遊んでくれていたお兄さんお姉さん。
「障害」の言葉の意味や概念を知らないまま、僕にとってみらいファームは、そこにいけば誰かがそばに来てくれて自分に興味をもってくれる、そんな居心地の良さや安心感のある場所でした。
大人になっても、温かなまなざしや居心地の良さは、変わらずそこにありました。そのありのままを、映画に撮りたいと考えたのです。
そう考えてからも、彼らを撮影していいのかという葛藤がありました。彼らを障害者として扱い、メッセ―ジを発するようなことはしてはいけない。そういった思いでみらいファームに対峙することがまず失礼だと思ったんです。
ドキュメンタリーは、目の前の人にカメラを受け入れられたうえで、撮るもの。今回は、ずっとお世話になった人たちを原体験として思い起こし、撮影をお願いしたところ受け入れてくれました。すごく自然体で撮れたと思います。
みらいファームは利用者一人ひとりが受け入れられる空間です。なかでも、綿を使った作業がおおい。綿の種がはじけ、綿が育ち、糸が紡がれ、布が生まれる、これはみらいファームのアイデンティティーにつながり、タイトルにもつながっています。なので、そこを軸に描いていきました。
しっかり向き合いかかわることでお互いに心を開くことができる
映画『フジヤマコットントン』は人との関わりを描く映画なのかなと思いましたが、そのあたりはいかがですか?
みらいファームのスタッフと利用者さんたちは、とても強いきずながあります。そんな信頼関係を築くためには、知的障害などがあっても、きちんと『関わる』こと。関わっていけばわかる。お互いにわかりあいながらその間にあるものを見つけて、支援につなげていくんだと思います。
「関わる」ことは「見る・知る」ことと違って、相互関係によって成り立つものだと思います。つまり一方的ではなく、お互いに分かり合うこと。映画を作る上でも、この姿勢を大切にしました。相手のことを知りたかったら、まず自分を相手に開くこと、映画はその「関わり」の間にあるものを撮ろうと意識しました。
映画『フジヤマコットントン』はカメラと撮り手がちゃんと現場に「居る」ということ、それをお客さんにも感じてもらえるように意識して制作しました。
映画は疑似体験といいますが、映画を観てそこに居る感覚を味わってもらい楽しんでもらうことで、知的障害者への理解を促進できたらと願っています。
「人と人とのつながり」の間にある言葉にできない関わりを映画に撮りたい
これから監督が撮る映画で、世の中に伝えていきたいこと、また、映画を通して社会に発信したいことを教えてください。
世界は「人と人とのつながり」によってできているといっても過言ではないと思います。そのつながりは本当に十人十色で、面白いと感じるものからつまらないと感じるものまであると思います。
すくなくとも僕が面白い!と感じる「人と人とのつながり」、人とモノ、人と動物、人と制度でもいいです。つながりの間にある言葉にできない関わりを、映画に撮りたい!
だから一生撮り切れることはないので、ずっと作り続けられると思います。
ドキュメンタリー映画は少しハードルが高いと感じるかもしれません。でもフィクションに比べて、自分の感性が大きく膨らむ作品が多いです。淡々と進んでいく物語を追いながら、受け取り方は、観ている人にゆだねられる部分が多い気がします。
HugKum世代の親御さんの子育てについての考え方などにも影響があるかもしれません。
多様性が大切になってくる現代、普段目に触れない世界を見ることがよい刺激になるのではないでしょうか。
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お話を伺ったのは
『フジヤマコットントン』
2024年2月10日よりポレポレ東中野ほか全国順次公開
■(2023/カラー/95分/日本/ドキュメンタリー)
監督・撮影:青柳拓 撮影:山野目光政、野村真衣菜/編集:辻井潔/音楽:みどり(森ゆに、青木隼人、田辺玄)整音:渡辺丈彦/構成・プロデューサー:大澤一生/ 製作:水口屋フィルム、ノンデライコ/宣伝:リガード/配給:ノンデライコ
公式サイト:フジヤマコットントン
文化庁文化芸術振興費補助金(映画創造活動支援事業) 独立行政法人日本芸術文化振興会
インタビュー・文/原佐知子
©︎nondelaico/mizuguchi