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創業から10年で全国区になった「久遠チョコレート」とは
年商18億円を誇る、全国展開のチョコレート店
久遠チョコレートは、夏目浩次社長率いる、愛知県豊橋市に本店を構えるチョコレート専門店です。ブランドが立ち上がったのは2014年。創業10年の今では、北は北海道から南は鹿児島県まで、フランチャイズ店を含めて全国60ヵ所の拠点を持つ全国的な企業に成長しました。年商はフランチャイズ店を含めて18億円にものぼります。
久遠チョコレートのチョコレートは百貨店の催事にも出店しており、目にしたことがある人は多いのではないでしょうか?
看板商品はチョコレートのテリーヌ「QUONテリーヌ」
久遠チョコレートの看板商品は、何と言っても1枚からバラでも買える「QUONテリーヌ」です。
日本全国のさまざまな食材を使ったQUONテリーヌは、季節限定品、地域限定品も合わせると150種類以上という豊富な品揃え。
硬すぎず、ゆるすぎない、これまでのチョコレートにないそのユニークな食感は、まさにフランス料理のテリーヌを思わせます。世界30ヶ国以上のカカオを使い、必要以上の植物性油脂を使用しないこだわりのチョコレートで、大人気商品となっています。
人に合わせて組織を変える~従業員の約6割が障害者という驚きの事実
従業員の約95%はお菓子作りの未経験者という久遠チョコレート。
しかし、驚くべきはそれだけではありません。なんと、従業員の約6割が、身体や心や発達に障害がある人々なのです。その上、稼いでいる賃金は従来の障害者の月収の10倍以上という驚きの事実。
ここで、障害があるといっても、比較的軽度な人しか働いていないのだろうと思う人もいるかもしれません。
しかし久遠チョコレートでは、重度の障害者も、チョコレートに入れる素材を砕くなどの重要な役割を担って働いています
スタッフを採用する際に僕が重視していることは、創業当時から今までずっと同じだ。「ぜひ久遠チョコレートで働きたい」という強い気持ちがあるかどうか。障害の程度だけを理由に採用を諦めたことはない。
と、語る夏目さん。障害がある子どもを持つ多くの親御さんにとって、子どもが1円でも多く稼げる未来は願ってやまないこと。この事実は当事者だけでなく、親御さんたちにとっても、非常に希望が持てるお話ではないでしょうか。
久遠チョコレートでは他にも、ひきこもり経験者や、子育て中、介護中でフルには働けない女性たちなど、働きたいと思っても思うように働けない人たちが、たくさん働いています。
なぜ、このように多種多様な人々が働く企業になったのでしょうか?それは、夏目さんの熱い思いから始まりました。
障害者の月収1万円に衝撃を受けて自ら起業。挫折の末にたどり着いたチョコレートづくり
夏目さんが、多種多様な人々が働く場を作ろうと動き始めたのは、ある書籍がきっかけでした。
ヤマト運輸をトップ企業へ押し上げた、小倉昌男さんの取り組みを紹介した書籍、『小倉昌男の福祉革命―障害者「月給1万円」からの脱出』。
この本を読んで、夏目さんは障害者の月給の全国平均が1万円だということを知り、ショックを受けました。
その時の思いをこう語っています。
その頃も今も、福祉とお金を結びつけるのはタブー視されている。でも僕が思うのは、その考え方が障害者を特別視する見方につながり、ノーマライゼーションの実現を妨げる一因になっているのではないか、ということだ。
福祉とお金を切り離し、障害者の「やりがい」とか「生きがい」のための「居場所」を作る。そんな言葉を聞くと、僕は違和感を覚えるのだ。資本主義の社会で自分らしく生きるには、誰にだってお金が必要。お金を稼ぐという「リアル」があって初めて、リアルな「やりがい」や「生きがい」を持てるものだと思うからだ。
障害者の思いに寄り添う受け皿をふやしたいと、夏目さんは、障害者が「働ける場所」「稼げる場所」を作ろうという理想に燃え、今の道に進んでいくことになったのです。
障害者にとって取り組みやすい仕事だった「チョコレート」づくり
夏目さんの最初の挑戦は、チョコレート店ではなくパン工房でした。
小倉昌男さんが障害者の「稼げる場所」を作る活動として展開していた「スワンベーカリー」に触発されて、自らも障害者数名を雇ってパン工房を始めたのです。
しかし、パン工房の運営は甘くなく、大苦戦。1000万円もの借金を抱えてしまいました。
その後、紆余曲折を経てチョコレートとの運命的な出会いを果たし、現在の久遠チョコレートができあがっていきます。
単価が高く、従業員の時給を上げやすいチョコレートは障害者が稼げる仕事にぴったりでした。
しかも、行程を細分化し、一人ひとりがどこかの行程のプロになることができれば、素人だって美味しいチョコレートを作ることができるのです。
さらに、失敗してもまた温度を上げて何度でもやり直しがきくチョコレートは、障害者にとって非常に取り組みやすい仕事でした。
こうして、夏目さんは久遠チョコレートで、障害者を含む、大勢の多種多様な人たちと働いていくようになりました。
チョコレートの価値が上がれば、ひとり一人の仕事の価値も高まる
「障害者」という言葉が出てくると、何かと感動や美談を求められることはよくあります。
しかし久遠チョコレートは、感動や美談を求めて障害者と働く場ではありません。
夏目さんは、ある障害者のイベントに呼ばれた際に、「障害者雇用で大変な所はどこですか?」「障害者と日常的に関わり、どんな感動がありますか?」と聞かれたときに、こう答えています。
福祉関連のイベントだから、ある程度はそういう話も出てくるだろうなという予測はついていた。それにしても、僕らを頭から「社会貢献ブランド」「障害者の就労支援」と捉えていることに違和感を感じたのも事実だ。
そこで冒頭で、「僕らはただのチョコレート屋です」と自己紹介。「大変なところはどこですか?」という問いには、「人は一人ひとり違って凸凹があるのですから、一緒に何かしようとするとうまくいかないこともありますよね」と答えた。
「どんな感動がありますか?」という問いかけには、「そういう違いを乗り越えて理解し合い、一つの目標を成し遂げたら誰でも感動します。そこに障害があるかないかは関係ないと思います」と答えたのだった。
たしかに、障害の有無に関わらず、人は誰しも得意なことも苦手なこともあるものです。
一人ひとり、みんな違った個性を持ち合って集まっているのが社会なのですから、いちいち「感動」を求められるのはナンセンスなのかもしれません。
そのイベントで、久遠チョコレートが未だに「社会貢献ブランド」「障害者の就労支援」と捉えられていることに違和感を覚えた夏目さん。
久遠チョコレートがどのような場でも一流ブランドとして扱われるようになった時が、夏目さんが目指す「凸凹ある多様な人たちがそれぞれに活躍し、稼げる社会」になるのでしょう。
久遠チョコレートが一流になり、たくさんのお金を稼げるようになれば、一人ひとりの仕事の価値が高まります。
そして、企業としてたくさん稼げるようになれば、より多くの人を雇用できます。
夏目さんはそういったことから、「一流」にこだわっているそうです。
創業2年目で国内最大のチョコレート催事に出店
久遠チョコレートの成長を、大きく後押ししたできごとがありました。
それは、大阪のうめだ阪急百貨店のカリスマバイヤーに認められ、日本最大級のバレンタイン催事「バレンタインチョコレート博覧会」に出店したことです。走り始めてまだ2年目だった久遠チョコレートが、チョコレートのプロの中のプロともいえる目利きに見出されたのは、大きな快挙でした。
しかし、この年の催事では思うようにチョコレートの生産が追いつかず、陳列棚をからっぽにしてしまうという大失態。
それでも翌年、再び呼ばれた同じ催事では、1日の売上が200万円を叩き出す日も出るくらいの大成功を収めたのです。
さらに久遠チョコレートは、ジェイアール名古屋タカシマヤのバレンタイン催事「アムール・デュ・ショコラ」にも呼ばれるようになりました。
「アムール・デュ・ショコラ」はバレンタイン催事で日本一の売上を誇る、チョコレート店にとって大きな活躍の場です。
夏目さんの目標は、その「アムール・デュ・ショコラ」のナンバーワン。
頂点に向けて、日々進化を遂げています。
目指すのは社会貢献ブランドではなく、チョコレートの一流ブランド
多くの障害者や社会から取りこぼされてしまった人たちで構成されながらも、「一流」として走り続ける久遠チョコレート。
その姿は、社会問題の解決を目指す「公益財団法人日本財団」から、最高評価のS評価を受けています。そして同時に美味しいチョコレート店としても、全国各地の店舗やデパートなどで、大人気を博しています。この二つの評価の両立は、実はとても難しく、価値があることではないでしょうか。
今後、さらに久遠チョコレートのような企業が増えていけば、世の中はもっと大きく変わっていくはずです。
働きたくても働けない人たちが稼げる場所をどんどん拡大していきながら、久遠チョコレートは社会貢献ではなく一流のチョコレート店として、これからも走り続けます。
「凸凹がある多様な人たちを誰一人取り残さず、かっこよく働ける場所を作りたい」~奇跡のチョコレート企業成功までのノンフィクション
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構成/佐藤麻貴