数百年前に政府の制作で単一民族国家となった日本
日本人の多くは日本が単一民族国家で、同じ伝統や文化を共有し、同じ言語を話すと無意識のうちに思っているでしょう。確かに、今日では北海道から沖縄まで日本語が通じ、義務教育や社会保障制度など全てが同じです。しかし、数百年前まで沖縄は日本ではなく琉球王国で、北海道ではアイヌ人が独自の文化と伝統のもと生活を営んでおり、日本政府が同化政策を進めたことで琉球人もアイヌ人も日本人になりました。
多民族国家のアフリカで起こっていることとは?
一方、アフリカを見てみると、単一民族国家と言えばソマリアくらいで、ほぼ全ての国々は多民族国家です。アフリカの国々では長年民族対立や宗教対立が続き、同じ国民同士が衝突し合うという悲惨な出来事が頻繁に発生してきました。1990年代にはアフリカ中部の国ルワンダで多数派のフツ族と少数派のツチ族の間で対立が深まり、1994年にはフツ族によるツチ族を狙った大量虐殺が起こり、少なくとも50万人以上が殺害されました。本来であれば政府がそれを防止する必要があるのですが、この当時の国家指導者がフツ族の出身で、国家指導者が国民の殺戮を呼び掛けるという恐ろしい事件でした。その他にも中央アフリカやコンゴ民主共和国、スーダンやリビアなどでも国内の勢力同士が争うという内戦が勃発し、アフリカは他の地域と比較しても紛争が多く発生しています。
事情を考慮せず、まっすぐ引かれた国境線が引き起こした弊害
では、そもそもなぜアフリカの国々では民族対立、宗教対立などが多いのでしょうか。資源の獲得競争、地球温暖化、人口爆発、貧困など、それには多くの要因が複合的に絡み合っているので、原因を特定することは簡単ではありませんが、歴史的観点から言えば、アフリカ大陸に引かれた国境線が背景にあります。地球儀を見れば一目瞭然ですが、アフリカの国々の国境線はまっすぐに引かれています。エジプトなどはほぼ四角形です。これはアフリカの民族や部族の伝統的な支配地域などを考慮せず、アフリカを植民地化した欧米列強によって引かれた人工的な国境線なのです。
人工的に引かれたまっすぐな国境線によって、たとえば、W国ではA民族が多数派、B民族、C民族が少数派となり、W国はA民族に有利な環境下で国家運営が進められたり、D民族の支配地域が縦と横からまっすぐな国境線が引かれることで、D民族が4つ国に分割され、D民族は4つの国で少数派に追いやられるといった形で、民族間、部族間の対立が発生しやすい環境が生じてしまったのです。
人口増加や環境問題が争いの引き金になる可能性も
同じ言語や文化、伝統を共有する人々が、人工的な国境線によって“外国人”になってしまうという状況をアフリカは経験してきました。今日、欧米諸国を非難するわけではありませんが、植民地時代の負の遺産は今でも残っているのです。今後アフリカでは爆発的な人口増加が見込まれ、温暖化の深刻な影響も肥大化しており、今後はそういった問題が引き金となって、民族間や部族間の争いにいっそう拍車が掛かることが懸念されます。
この記事のPOINT
①他民族国家の多いアフリカでは、対立が相次いでいる
②対立の原因のひとつは、植民地時代に引かれた人工的な国境
③今後、社会問題によって争いに拍車がかかることが懸念される
あなたにはこちらもおすすめ
記事執筆/国際政治先生
国際政治学者として米中対立やグローバスサウスの研究に取り組む。大学で教鞭に立つ一方、民間シンクタンクの外部有識者、学術雑誌の査読委員、中央省庁向けの助言や講演などを行う。