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子どもが二人になって二人の世界ができたこと、俳優・杏との出会いで長編映画に復帰
これまで『そこのみにて光輝く』(2014)、『きみはいい子』(2015)など、数多くの長編映画を手掛けてきた呉美保監督。2015年に第一子を出産してからは長編映画の撮影からは遠ざかっていました。
――当時はどんな心境だったのでしょうか
呉監督「(出産後、長編映画は)撮れなかったっていう言い方かもしれないし、あえて自分から撮らなかったっていうことかもしれない。企画のお話をいただいても、映画作りってすごく大変で、日夜そのことを考え続けてきた身としては、日々子どものことを考えているときに、同じ比重であんな大変なことはできないんじゃないかと頭のなかで想像して。なかなか企画を引き受けられませんでした」
――長編映画の撮影を再開するきっかけはありましたか?
呉監督「(今作の企画の話が来たときは)上の子がちょうど小学校に入って、5歳違いの下の子がちょうど1歳とかだったのかな。ふたり産んだことによってふたりの世界ができて、その様子を見ながらふたりで待っててくれそうだなという実感ができてきて。少しずつでも企画を受けてやっていこうというタイミングでした」
杏さんの行動力に刺激を受けた!
ふたりを出産したこと以外でも、ある俳優との出会いが大きな転機となります。
呉監督「2021年に映画としては久しぶりだった短編映画『私たちの声』にチャレンジしたことで、主演だった俳優の杏さんとプライベートな話をするようになったのも大きいです。杏さんはすごく行動力があり、ないものは自分で作っていく人。子どもが3人いて、ワンちゃんも2匹いて、それでこれから(当時)フランスに行くんだって。いろいろなやり取りをするなかで、いつも楽しそうなんですよね。
映画に出たり、ドラマにも出て、フランスでも自ら仕事を作っていて。時間がないはずなのに、すごいなって思って。それにも刺激を受けて、自分は新しい環境のなかで、新たな自分の映画作りを模索していくタイミングなんじゃないかって思いました。その時にこの映画のお話をいただき、引き受けることにしたんです」
夕飯に申し訳ない気持ちで弁当を。子どもたちの反応は予想外だった
――撮影はどうでしたか?子育てと両立するために工夫されたことは?
呉監督「まず撮影期間はぎゅっと凝縮して行いました。夏休み期間だったので、子どもは夫の実家に預けて夏休みをフルに使ってやったんです。
撮影中は夫やその家族に全て任せことになるので、撮影前の準備期間までは育児はちゃんとやろうと、子どもの送り迎えができる時間帯での稼働にしてもらい、あとは子どもが寝た後にリモートで。夜までかかる準備の際はシッターさんの手も借りました。
撮影後の編集はいつもは編集室でやりますが、今回は編集部さんに家に来てもらって、家を編集室にしました。編集室を往復する1〜2時間をやるべき家事や育児に当てられたり、夕飯を仕込みながら編集チェックができたり、1秒たりとも無駄にせず、助かりました」
――忙しいなか子どもに罪悪感みたいなのは?
呉監督「ありましたよ。いろんな罪悪感が。準備中や撮影中に子どもが熱を出すとシッターさんに迎えに行ってもらったり、自分がすぐに行けない時は申し訳ないなあと。
あとは忙しすぎてご飯が作れなくなっちゃう。申し訳ない気持ちで弁当を買ってきて出すと、予想外に喜ぶんですよ。え?って拍子抜けしました(笑)。「ごめん、今日ちょっと忙しいから、納豆ご飯で」って言うと、子どもは「やったー」みたいな。
普段頑張って仕込んだ料理よりすごく食べてくれたりして。あ、これでいいんだと。それを機に、抜ける手は抜くようになりましたね。「食べてくれさえしたらいいんだ」と前向きに捉えるようになりました。
ろう者をろう者が演じるのは本来は当たり前。この作品でもやらない選択はなかった
自身に大きな変化があったなか、周りの理解を得て、試行錯誤しながら臨んだ本作は、五十嵐大さんの『ろうの両親から生まれたぼくが聴こえる世界と聴こえない世界を行き来して考えた30のこと』(幻冬舎刊)が原作の長編映画。きこえない・きこえにくい親を持つ、きこえる子どものことを指す『コーダ』が題材で、主演を吉沢亮さんがつとめました。
――コーダを題材にしたのはどういった経緯だったんでしょうか。
呉監督「プロデューサーから映画化しませんかと話をいただいて、まずは原作を読ませてもらって。コーダとしての葛藤を描いているなと思いつつ、ある意味これは大きなところで共感できる、普遍的な表現にできるんじゃないかなと、ぜひやりたいと思ったのがきっかけです」
- ――ろう者の出演者はろう者が演じたそうですが、理由はありますか?
呉監督 「企画を始めたころに公開された映画『Coda コーダ あいのうた』も、ろう者の両親役をろう者の方がネイティブ手話を使って演じられていました。それが今の時代にフィットした作品として共感を得て評価されたこともあり、今作でもろう者の俳優をキャスティングしました。
ろう者の方に話を聞いたところ、これまで聴者がろう者を演じることに違和感があったと教えてもらいました。ネイティブ英語の人が生粋の日本人役を演じた際、それを見た私たち日本人は言語に違和感を感じますが、それと同じような違和感をずっと感じていたそうなんです。ろう者役をろう者が演じるのは本来は当たり前のこと。この作品でもやらない選択はなかったです」
手話には方言があったり、その家庭だけのホームサインがあったり、世代によって使う手話が違ったりと多様な表現があることもこの映画からわかります。本作は作品にリアリティを出すため、「この人ならどんな手話を使うか」など、早瀬憲太郎さんと石村真由美さんという2人のろう・手話演出の方や、全日本ろうあ連盟の方々など多くのプロフェッショナルとともに話し合いを重ね、丁寧に作り上げました。
例えば、これまでドラマなどで描かれてきたろう者の食事のシーン。手話をやる際は、手に持っている箸を置いてしていたそうですが、本作では、普段のろう者の生活をリアルに描きたく”食べながらやる手話”を描きました。
呉監督「基本右利きなら右手で手話をしますが、右手で箸を持ってたら左手でやっちゃうとか、顔だけで表現する、持っている箸をつんつんするだけという手話もあると聞いてじゃあそれをやりたいって」
吉沢亮は想像通り省エネの人!手話は練習だけにとどまらないセンスで取得
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――吉沢亮さんをキャスティングした理由を教えてください
呉監督「彼は、実は自分のルックスに興味はなく、いろいろと媚びていない人なんだろうなと、勝手に推測していました(笑)。本質的にはそんなに(表に)出ていきたい人じゃないのでは?と。だからなのか、肩の力が入っていない芝居で、だけど誠実なんですよね。根がまじめで小手先でやってない感じもして、うまいなあっていつも見入ってしまっていました。今回の主人公は、田舎の片隅で悶々と生きるどこにでもいそうな男の子です。その役を吉沢さんならどう演じるのか、見てみたいと思ったので、お願いしました」
――吉沢さんは手話もいちから覚えたんですよね?
呉監督 「彼の手話について、ろう・手話演出の2人に「絶対忖度しないでね」とお願いしたら「お世辞抜きで大丈夫」と言ってくださって。おそらくものすごく練習もしたし、練習だけにとどまらないセンスがあったんだと思います」
- ――一緒にやってみて彼の印象は変わりましたか?
呉監督「変わらなかったです。思ってた以上に努力だったり、人には見せずとも(努力を)してるんだろうなっていうのは芝居で感じましたが、現場でのたたずまいが想像通りで私はすごくラクでした。すっと現場に入ってさっとお芝居してぱっと去っていく。無駄なことがないんですよ、省エネな人。
誰かに気を使って話しかけたりするわけでもなく、自分の仕事を全うして帰っていく。その仕事がもう素晴らしい。ちゃんと周りの空気も読むし絶妙だなって」
両親の深い愛、子どもの葛藤、共感できるポイントが多く涙
主人公・大(吉沢亮)は、成長するにつれ、ろう者である自分の親、特に母親のことを普通とは違う、恥ずかしいとすら思うように。心のなかでは大切に想いながらも、その葛藤をぶつけるようになり、大人になると生まれ育った田舎町を飛び出し東京へ行きます。
なにが起こっても、なにを言われても、深く、ゆるがない愛情で我が子を見守り続けるのが母親の明子(忍足亜希子)。
- ――明子はどんな時も強くて明るくとても印象的です。演出の意図はありますか?
呉監督「原作を読みながら考えて考えて自分の中で咀嚼していきついたのは、ニコニコしていることが彼女に染みついた処世術なんだろうなって。明子の親は手話を学んでくれず、聴者のなかで育ったゆえ、私はこの明るさが彼女の強さに見えます。
そうせざるを得なかったっていう胸をきゅっと締め付けるような苦しい感じ、生きてきた姿を想像できたらいいなと思いました」
――両親に比べると同居する祖父母は少し変わった人たちに見えます。
呉監督「このおじいちゃんおばあちゃんは、今で言う、毒親だと思うんです。でもそのさじ加減の描き方っていうのはすごく難しいなと。おばあちゃんは宗教にはまっていますが、そればなぜか。やっぱり娘がろう者だっていうことからの葛藤だろうと。映画のなかでそこまでの説明はしないけれど、どこかしら共感できるようなひとりひとりへの肉付け、それぞれの人生を感じられるような描き方ができたらいいなと思いました」
母から息子に注がれる温かく絶え間ない愛情、その母を大切に想いながらも葛藤する子どもの心情、そっと遠くから見守る父親の優しい視線、一風変わっているけれど孫を可愛がる祖父母の様子など、共感し、心に響くシーンがいくつもあります。それぞれの場面を見ながら、我が子のことや自分の両親、祖父母のことが次々に頭に浮かび、胸がいっぱいになる作品です。
- ――最後に読者にメッセージをお願いします
呉監督「私自身、子どもを持ってからの8年間、ほとんど映画館で映画を見られていないんですよね。毎日時間に追われてなかなか劇場に出向けなくて。だから、同じような立場の人にぜひ劇場に足を運んでほしいっていうことは言えないんですが、 そんな中でも、たまに時間を捻出していくと、時間がないからこそ、映画っていいなって思えるんですよね。
携帯の電源切って、暗闇の中で知らない人と一緒に観て、特にいい映画だとお互い共感し合えたような感じがして。今は配信などもありますけど、本作はぜひとも劇場で見ていただきたいなと思います」
ストーリー
宮城県の小さな港町に暮らす五十嵐家に男の子・大が生まれた。大の家族は、塗装職人の父・陽介(今井彰人)と優しい母・明子(忍足亜希子)、破天荒な祖父・康雄(でんでん)と祖母・広子(烏丸せつこ)。ほかの家庭と少しだけ違っていたのは、父と母の耳がきこえないこと。幼い大にとっては、手話を使って大好きな母の“通訳”をすることも、背後から来る車から母を守ることも、“ふつう”の楽しい日常だった。
しかし小学生になると、母が友だちのお母さんとは違うことを意識するようになっていく。周りの目を気にしたまま中学生になった大(吉沢亮)は、反抗期も加わって、外で母を見かけると避け、母の明るささえ疎ましく感じるようになる。
やがて将来を考える時期を迎えた大は、受験の現実を知らない母には相談できないと諦めて、ひとり高校受験の勉強に励むが、志望校に落ち、抱えていたやり場のない怒りをぶつけて母を傷つけてしまう。「全部お母さんのせいだよ! 障害者の家に生まれて、こんな苦労して!」と。
やがて20歳になると逃げるように東京へ行き、誰も大の生い立ちを知らない、“ふつうの人”になれる大都会でアルバイト生活をスタートするが・・・。
『ぼくが生きてる、ふたつの世界』 は9月20日(金)新宿ピカデリー、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開
配給:ギャガ
公式HP:映画『ぼくが生きてる、ふたつの世界』公式サイト (gaga.ne.jp)
©五十嵐大/幻冬舎 ©2024「ぼくが生きてる、ふたつの世界」製作委員会
取材・文/長南真理恵