AI分野でフォロワー数日本一・usutakuこと臼井拓水さんを作った、母の“褒め方”と暗黒の中学時代。両親へのプレゼンを経て小3で手にした自分専用PCが「好き」の原点に

Amazon Japanでのキャリアを経て独立し、AI分野で国内トップクラスのSNSフォロワー数(総計50万人)を誇る「usutaku」こと臼井拓水さん。最先端を走り続けるその姿の裏には、「真面目であること」がかならずしも評価されない学生時代の環境への違和感や、葛藤と向き合い続けた日々がありました。

周囲とのギャップに揺れながらも、自分なりの道を模索し続けた少年時代。そして、その背中を静かに支え続けた母の存在——。今回は臼井さんと一緒に、お母さまにもインタビューにご同席いただきました。いまの臼井さんをかたちづくった原点とは?親子の物語からひもときます。

カードゲームやベイブレードの中で磨かれた「勝つための思考」

――現在はAIのスペシャリストとしてご活躍されていますが、幼少期はどのようなことに熱中していたのでしょうか?

臼井拓水さん(以下、臼井さん):小学生のころは、とにかくカードゲームやベイブレード、ゲームセンターのメダルゲームに夢中でした。なかでも「デュエル・マスターズ」は、かなりやりこんでいましたね。ほかにも、パソコンで動画編集をしたり、ゲームで遊んだりと、デジタルなことに触れている時間も多かったと思います。

臼井さんのお母さま(以下、お母さま):とにかく勝ち負けへのこだわりが強い子だったんです。そして、そんなふうに何かに夢中になって、真剣に向き合っている拓水の姿を見るのが、私もとても好きでした。ベイブレードは、近所で大会が開催されていなかったこともあり、全国各地の大会まで送迎していましたね。

毎週末、ベイブレードの大会に向けて、母が全国各地へ送迎していた。

――全国各地とは、かなり本格的ですね!

臼井さん:ただ遊ぶというより、「どうすれば勝てるか」を考えることが好きだったんだと思います。どのパーツを組み合わせれば強くなるのか、データを取って検証しながら、細かなチューニングを重ねていました。対戦相手に応じて戦略を変えたり、シュートの位置を調整したりと、細部までこだわっていましたね。

2歳で初めてパソコンに触れるも、周囲からは否定の声も

――テクノロジーとの出合いはかなり早かったのでしょうか。

お母さま:私も夫もプログラマーだったので、家には常に何台もパソコンがある環境でした。息子も自然と興味を持ち、2歳のころにはインターネットにつながない「遊び専用」のパソコンを1台与えていました。一部のゲームだけをダウンロードして、それで遊ぶ、という形です。

ただ当時は、「ゲーム脳」と揶揄するような言葉もあり、「ゲームはよくないもの」といった見方が強く、周囲から批判されることも少なくありませんでした。「パソコンは触らせないほうがいい」「ゲームはやめさせるべきだ」と周囲に言われることも多かったですね。

「欲しいなら説明して」小3でプレゼンし、手にした自分専用のパソコン

お母さま:その後、小学3年生で初めて、ネットにつながった息子専用のパソコンを持たせました。ただ、欲しがっているからといってそのまま与えるのではなく、プレゼンをさせたんです。「パソコンを持つことでどんなメリットがあるのか」「どんなルールを守るのか」を自分の言葉で説明させ、約束を守れると判断してから渡しました。

――小学生でプレゼンとは…驚きます!

臼井さん:そうですね。じつは、小学6年生でガラケーを買ってもらうときも、父から「パワーポイントで説明してみな」と言われたんです。そのときも、「どのキャリアのどの料金プランを選ぶのか」「月額はいくらで、どんなメリットがあるのか」を自分なりに整理して提出しました。

当時は、「どうしてみんなは普通に持っているのに、自分だけこんなに手間をかけなきゃいけないんだ…」と思っていましたけどね(笑)。

子どもの好きなものを否定しない…母が貫いた“全肯定”

――お話を伺っていると、ご両親がお子さんの興味のあることに丁寧に耳を傾け、受けとめてこられたご様子が伝わってきます。

臼井さん自分の「興味」や「好き」を全肯定してもらえる家庭環境だったと思います。
たとえば石垣島に家族で旅行したときも、観光できる場所はたくさんあったのに、僕は5日間ずっと砂浜でヤドカリを集めていて…自分なりの「ヤドカリハウス」を作ることに没頭していたんです。ひたすら砂浜で過ごしているのに、「すごいね!」って言ってくれるんですよ(笑)。

お母さま:当時から「好きなことを好きなだけやる」経験こそが、人を一番強くすると考えていたんです。たとえ周囲から「役に立たない」と言われるようなことでも、その子にとっての「好き」であれば、とことんやらせたいと思っていました。

――ご家族からの声かけで、印象的だったエピソードはありますか?

臼井さん:母は小さなことでも、常に褒めてくれた印象があります。「きゅうりのかじり方、いい音だね」とか「いい枝を拾ってきたね」とか(笑)。今思えば不思議な褒め方だなと感じることもありますが、だからこそ、勉強が特別できるわけでも、運動で一番なわけでもない自分でも、「将来自分はきっと輝ける」と思えたのだと思います。

お母さま:とにかく、「自分は愛されている」と感じてほしかったんです。だから勉強にかぎらず、どんな場面でも「自分は肯定されている」と思えるかかわりを大切にしていました。

本当にささいなことでも、その子ならではの良さを見つけて伝えるんです。「これ、タクにしかできないね」と。

「正しいのに評価されない」違和感——中学時代に抱え続けた葛藤

――中高時代の学校生活ではどのようなお子さんだったのですか?

臼井さん:リーダーシップはあるほうだったと思います。学級委員を務めたり、お別れ会ではMCを担当したりと、「自分がやらなきゃ」という責任感が人一倍強くて、常に自分から手を挙げるタイプでした。

――クラスの中心的存在だったのでしょうか?

臼井さん:いえ、そうではなかったんです。僕が育った千葉の公立中学校では、「真面目にやるのはダサい」とか、「少し斜に構えているヤンキーっぽい人のほうがかっこいい」といった空気があって…。むしろ、一生懸命取り組むほど「目立ちたがり屋だ」と陰で言われてしまうこともありました。そうした周囲とのギャップに悩み、自分の性格をあまり好きになれずにいた時期もあります。

お母さま:合唱コンクールでも、誰よりも大きな声で一生懸命歌うんです。でも、その姿がかえって周りから浮いてしまうこともあって「生きづらいだろうな」と感じることも多かったですね。

――正義感が強いからこその苦しさもあったのですね。ご家庭ではどのような様子だったのでしょうか。

お母さま:「自分はちゃんとやっているのに」と、家で悔しさをにじませることもありました。理不尽だと感じるできごとがあるたびに、深く悩んでいましたね。だからこそ家では話を聞き、「あなたは正しいよ」「間違っていないよ」と、繰り返し伝え続けていました。

暗黒の中学時代。強豪・吹奏楽部で心が削られていった日々

――中学校時代はどのような日々を過ごされていたのでしょうか?

臼井さん:人生で一番つらい、暗黒の3年間でした。地元の中学校に進学し、強豪の吹奏楽部で打ち込んでいたのですが、全員の前で立たされて厳しく叱責されることもあり…次第に精神的にも追い詰められていきました。
当時は、本気で「死にたい」と思ってしまうほど、苦しい時期でしたね。

お母さま私は「もう辞めてもいいんじゃない」と何度も伝えていました。親としても、見ているのが本当につらかったです。

――かなり厳しい環境の中で、日々を過ごされていたのですね。

臼井さん吹奏楽部はそれぞれに役割があるので、自分が抜けると周りに迷惑がかかると思ってしまって、すぐには辞める決断ができませんでした。最終的には、できるだけ周囲への影響が少ないタイミングを考え、中3の春に退部しています。

理不尽に感じることも多かったですが、この経験があるからこそ、どんな苦労に直面しても「あのときに比べれば乗り越えられる」と思えるようになりました。

姉の言葉が導いた転機——「本気がかっこいい」世界への一歩

――そこから、どのように現在の道へとつながる転機を迎えたのでしょうか。

臼井さん1歳差の姉の存在がとても大きかったです。姉は努力家であり、優秀で、僕にとってずっとロールモデルでした。その姉が、ICU(国際基督教大学)高校に進学して「ここは本気で頑張る人がかっこいい場所だよ」と教えてくれたんです。「それなら自分も行ってみたい」と、同じ高校を目指し始めたのがきっかけでした。

――「全力はダサい」というこれまでの環境とは、まったく異なる価値観ですね。

臼井さんそうですね。中3の夏以降に猛勉強を始めて、3か月で偏差値を15ほど上げて合格しました。
じつは、もう1校合格していた高校からは学費全額免除のお話もいただいていたのですが、それでも親は「自分が行きたいと思う場所に行きなさい」と背中を押してくれて。最終的にICU高校へ進学しました。

ーー合格して、お姉さんと同じ高校に進まれたのですね!

臼井さんはい。結果的に、姉とは幼稚園、小学校、中学校、高校、そしてAmazonと、大学以外はすべて同じ道を歩んでいて、大人になった今も仲良しです。

お母さま姉は子どものころから常に成績1位で、本当に優秀だったので、どうしてもきょうだいとして比べてしまう気持ちもあったと思います。実際に「お姉ちゃんみたいになれなくてごめんね」と言われたこともありました。

それでも私は、「タクのことを誇りに思っているよ」と伝え続けていましたし、ICU高校に進学してからは、息子がスポーツも音楽も恋愛も、すべてを全力で楽しんでいる姿が見られて、本当にうれしかったですね。

***

ICU高校に進学し、新たな環境へと飛び込んだ臼井さん。しかし、大学生活では部活動やインターンなどさまざまな挑戦を重ねるなかで、「自分には何もできない…」という壁にも直面します。

どのように壁を乗り越え、Amazon、そして「AIのプロ」と呼ばれるまでに至ったのか。後編では、その後の歩みと、現代の親が考えたい「AIとの向き合い方」について伺います!

後編はこちら

【AI事業家usutakuさん】ICU(国際基督教大学)では勉強もラグビーもインターンも全力で! Amazonの営業成績トップを経て…転機となるChatGPTとの出合いから「AI教育」の道へ
前編はこちらから ICU高校・大学で見つけた「全力が当たり前」の環境 ――ICU(国際基督教大学)高校への進学後は...

お話を伺ったのは

臼井 拓水(usutaku)さん Michikusa株式会社

Michikusa株式会社代表取締役。ICU(国際基督教大学)卒業後、Amazon Japanに入社。その後独立し、起業。AIコミュニティ「AI木曜会」の開催、デジタルハリウッド大学特任准教授としても活動するなど、教育分野にも力を入れている。SNS総フォロワー数は50万人を超え、AI分野で国内トップクラスの発信力を持つ。著書に『Notion AIハック 仕事と暮らしを劇的にラクにする72の最強アイデア』がある。

構成・文/牧野 未衣菜

編集部おすすめ

関連記事