「ドラゴン桜は本当に咲いた!」重度障害を持ちながら東大へ。切り開いてきたこれまでの道、今思うのは「障害があってよかった」

幼い頃から脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病を患い、現在寝たきりの状態である愼允翼(シンユニ)さん。子どもの頃には孤独も感じていましたが、千葉県の進学校から東大文科三類に入学し、大学3年からは、大学のそばで一人暮らしも始め、大学院を修了し、2025年からは東京科学大学(東京医科歯科大学と東京工業大学が統合)の研究員を務めています。聡明な少年が、自分の関心を大学で追究し、ひとりの大人として研究職を選ぶ。自分の理想を叶えてきた愼さんのお話は、私たちが暮らす社会の根本を見直すきっかけになります。

医師に聞いてもしかたがない。自分の運命は自分で考える

――愼さんがSMAという病気を意識したのはいつ頃ですか?

愼さん:「僕が僕の身体を異常だと感じたのはいつか」という質問でしょうか? よくその質問をされますけれど、ほかの人の身体になったことがないので、自分でもよくわかっていないかもしれません。

小学校4、5年目の頃に不登校気味になったんです。学校の空気が狭苦しく感じていました。また、身体的不調もありました。成長期を迎えて体重が重くなってくると、筋力の関係で座れなくなってきて、座位を保とうとすると背骨がどんどん痛んでいきました。かといって身体を倒すと胃酸の逆流があり、内臓的疾患が起こる。多発的に不調が起こって、学校を休むと学校と距離ができて、また行きにくくなるという悪循環が起こっていました。

そのような中でSMAの専門のドクターに障害の説明を聞きに行ったのです。ドクターは2時間くらい病気について生物学的なことも交えて説明してくれました。だから、ほかの人と違う身体をもっているのだと、表面上(メカニズムとしては)理解したんです。今振り返っても得がたい経験でした。

でも、そのときに僕が聞きたかったのは、「僕がなぜこういう身体を持っているのか、というひとつの運命」についてであり、ドクターからは運命に対する説明は当然ながらありませんでした。

幼少期のお写真(ご本人提供)

――そうですよね、学校に行き友達と遊ぶ、勉強するということ自体に大きな不便があって、十分に学べずに不登校気味になっていたら、問いたいのは病気のメカニズムではないですね。

愼さん:ただ、よく考えてみたら、自分の運命に対する疑問には自分自身で答えないといけないことで、だれかに解答を求めるようなことではない。結局「くだらないこと考えてもしょうがないな」って割り切ることができました。そうしたらおのずと後付けで、大学で哲学や文学を学びたくなるのもおわかりいただけるのではないでしょうか?

障害のある子に過干渉はよくない。「現実的な課題を乗り越える」支援を

――ご両親はどのようにお子さんとして愼允翼さんと接していましたでしょうか︖

愼さん:障害のある子の親としてもっとも問題なのは虐待ですけれど、同じくらい問題視したいのは過干渉です。「親だけが子どもをすべてわかっていて、かつ完璧な介助もできる」って思い込んでいる。うちはそういうのはぜんぜんなかったです。

両親は休みのたびに、「どこか旅行に行こう、遊びに行こう」と連れて行ってくれたり、外食に行ったりすることもありました。

会話の中で、障害に関わる話題も出ることはありましたよ。高校受験の頃とか、学校に対していろいろな折衝がありましたから。修学旅行をどうするとかね。子どもの時期は社会との格闘を親が肩代わりしてくれていましたね。

お父様とお母様との写真(ご本人提供)

――ひとりの少年として過ごすには、ご自身で文字を書くことができないことや、移動に介助が必要なことなどについて、学校や社会が正しく理解し、対処する必要がありますね。

愼さん:そうなんです、実際にあるかどうかわからないのに想像だけで不安になるような頭のなかだけの心配じゃなく、現実の課題をどう乗り越えるか。だから、僕の両親は課題を前に僕と共有することはあっても、内面的・抽象的なことで悩んだり、ましては親の悩みを僕にぶつけたりするようなことはなかったですね。障害のことを考えているようで考えていない。そうしてくれたのがよかったと思っています。 

わからないことはわかるまで知りたがった幼少時代。算数オリンピックも解いた

――1歳からお話ができたと聞きました。小さい頃から利発なお子さんだったのだと思いますが、ご自身では「勉強ができる」という自覚はありましたか︖

愼さん:小学校の頃の通知表を見る限り、よくできるってことはなかったですね。中学のときは友達がいなかったので勉強しかやることがなくて。家庭教師がすごくいい方だったこともあって、自然と勉強に向かっていきました。

ひとつ言えるのは、僕はとても粘り強い性格なんです。わからないことがあったらわかるまで知りたがる子でした。勉強は補助がないと進めるのが難しいのですが、親に何度もわかるまで本を読ませてもらったり、「もうご飯を作りたいから」と言われても「もう一回」って。わからないことをわかりたいという執念が異常にあったと思います。

また、父がホワイトボードを使って算数オリンピックのすごく難しい問題をやりたがったんです。土曜日とか日曜日にふたりで1日中「ああかな、こうかな」と試行錯誤しながら解いていました。

子ども時代のお写真(ご本人提供)

愼さん:僕、物理的に逃げ出すことはできないじゃないですか。あきらめて楽しくなった可能性もあると思います(笑)。

たとえば、大人のエゴで三国志とか数学の問題とかが目の前に差し出される。僕はそのとき特にできることや、やりたいことがあるわけでもない。差し出されたものをとりあえず取り組んでみる。もちろん、本当にいやなものは受け入れなかったでしょうけれど、自分が納得できることなら、受け入れるわけです。

受動的なものと能動的なものを両立させるスタイルが、僕の子どもの頃から今でもけっこう変わらない在り方です。というより、変われないというべきかもしれないですが。それでも、多くの他人と比べて身体を思い通りに動かせない自分にとって、ちょうどいい気がしているんです。それに、健常な子だって本当は無限の可能性が与えられるわけではないでしょう?

でも納得できる仕方で縛られるなら、むしろその方がありがたいことなんだと思うのです。

「ドラゴン桜」を観て、「東大で未来を変える方法を模索しよう」と思った

――東大に行こうと思ったのは。

愼さん:小学校3、4年のときに『ドラゴン桜』が大好きで、「東大って素敵な世界なんだろうな、新垣結衣さんとか長澤まさみさんみたいなキャラクターが本当にいるんじゃないかな」って単純に思っていました(笑)。また、ドラゴン桜では「このままだと人に使われるだけの人生だ、自分の人生を変えたいと思うなら東大だ」みたいなことを言うわけで。東大に行けば未来を変えることができるのでは、と思ったのです。

――実際、どうやって勉強するのですか? 学習の方法が大変だったのではないでしょうか。ひたすら覚えるのですか?

愼さん:むちゃくちゃ記憶力がいいのか、自分の粘り強さもあってなのかわからないけれど、とにかく覚えましたね。世界史の勉強のプリントは字が細かいものを使いました。これだとページをめくらなくていい。次々プリントアウトして壁じゅうに貼ってずっと見ていれば覚えられます。河合塾の先生によるものです。

世界史のプリントには用語がびっしりと書かれている

愼さん:1年目から東大を受験し、自己採点では受かると思ったけれど落ちてしまって。浪人中は河合塾の東大コースのようなところに行きました。合格まであと少しだったから、浪人してまた勉強すれば受かるだろうと思って。

河合塾の先生が当時世界史のCDを出していたので、その音源をiPodに入れて聴いて覚えることもしました。また、覚えるべきことを口述して親とか介助者の人に書き取ってもらって、とか。さまざまな方法で勉強をしました。今でも家にホワイトボードを置いて、自分が思うことや覚えておくべきことを誰かに書き取ってもらって眺めるということをしています。

聞く、見る、話す。「話す」の中に「書く」が含まれる。これが小学生から今も変わっていない僕のやりかたです。

東大は、浪人した年に後期試験がなくなって、前期の本試験よりも早い時期に学校推薦型選抜の試験をするシステムになりました。なので推薦の試験をまず受けたら、合格しました。

――東大の学校推薦型選抜はものすごい難関です。ご自身がこれまで何をしてきたか資料を作ってプレゼンして、面接も受け、最後に共通テスト(当時はセンター試験)を受けるんですよね?

愼さん:付け焼き刃でしたが、何十ページの資料を作りました。面接のときはのちに哲学科で出会う先生も含んで3人の先生の前で話しました。「結局君は何をしたいんだ?」という質問に、「僕は他者と出会いたいです」って答えました。

東大で友達ができた。大学はエレベーターの設置や旅行参加も実現

――東大に行って何がよかったですか?

愼さん:友達ができました。普通、中学生になったら部活で親しい友人ができますけれど、僕は部活ができなかったので仲間と呼べるような友達がほとんどいなかった。それが大学にはいったら自主ゼミを一緒にやる仲間ができました。これが部活のようなものでしたね。また、大学3年生から本郷キャンパスのそばで一人暮らしを始めたのですが、僕の場合はヘルパーさんの力を常時必要とするので、ヘルパーさんたちとも自宅で長い時間いっしょにいる仲間のような関係になっています。

東京大学時代の学園祭のお写真(ご本人提供)

――大学で勉強をする、ひとり暮らしをするという、学生なら「普通」のことをするためには、愼さんには、さまざまな整備が必要です。それがしにくいから、障害がある人の多くは黙って今ある福祉だけで我慢している。愼さんや愼さんのご家族はそれこそ本当に粘り強く、社会を変えてきたのではないでしょうか。

愼さん:高校までは親が僕の支援者で、行政あるいは教育機関と折衝を行ってきました。その後は自分で。例をあげると、東大は入学してすぐクラスごとにオリエンテーション合宿というのがあり、僕は当然行きたいと主張したわけです。大学側の判断に長い時間がかかり、その後も僕は粘り強く交渉をしました。すると、多くの人が動いてくれて、そのおかげもあって、最終的に学校は「支援する」という決定を下したのです。助ける義務のない同年代の仲間たちが、僕と懇意になる前から動いてくれたのがうれしくて、「ドラゴン桜って本当に咲いていたんだ」って思いました。

家で過ごすための障害福祉サービスについても、交渉は必要でした。僕の場合は、ひとり暮らしで24時間介護が必要なんですが、月744時間の介護が必要というと、自治体は「743時間じゃダメなのか」とか言ってきたりして。A4用紙で何十枚にもわたる診断書や膨大な意見書を提出して、2時間ぐらい話してもらちがあかなくて、現実にするまで大変でした。

東京科学大学のお仕事にて(ご本人提供)

愼さん:障害をもっている子たちが教育の場にいくのは今でも困難ですが、不当な理由で教育を受けられないのはよくない。僕と同じようにしなくてもいいし、こうすべしっていうわけでもない。その都度考えていくことだと思います。でも、僕らを受け入れてほしいと思っています。

――東京大学で修士論文を書いた後、今は研究者として活動していると伺いました。

愼さん:2025年4月から、東京科学大学未来社会創成研究院の研究者として活動しています。「火星に人類が移住したら、という想定で、人類の未来や社会を考える」というプロジェクトで、多分野の専門家と一緒にやっています。僕の修士までの学術的キャリアは古典テクストを読む基礎的な人文学でしたが、今は理工学やアートとの共通問題を中心に、人間社会の起源について研究しています。

障害があってよかった。いつまでも子どもの感覚を忘れないでいられる

ーー障害を持ちながら研究員となった今をどう考えていますか。

愼さん:最近になって、障害があってよかったと心底思うようになりました。日常生活動作を繰り返し0から説明しなきゃいけないことは、確かにしんどいところもある。でも、抱っこだとか食事介助だとか、健常者がまだ言葉を持たない乳幼児期に経験して、それほど顧みる必要のない時間を、30歳近くになった今でも繰り返し経験できる。つまり、子どもの時間を失わないで生きていくことができる。それが希少な経験、研究にも活きてきます。よく僕は子どもっぽいって言われますが、いい抱っこについてこの歳で考えられるのは障害者になったからだと思いますし。

子どもの頃から先のことは考えない、出たとこ勝負です。そのときどきに自分の全生命力をぶつけていきます。それが僕の絶対ポリシーです。

――社会が与える「障害福祉」だけでは、障害のある人が学生らしく、社会人らしく生きるには足りない部分がありそうです。愼さんのご両親や愼さん自身が社会と粘り強く交渉し続けて道を切り開いてきたのでしょう。愼さんの生活や世界を知ることで、私たちも「社会」を見直し、「生きやすい社会」を言葉だけでなく、リアルに考えていきたいですね。

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お話を聞いたのは

愼允翼(シンユニ)さん 研究者

1996年生まれ。東京科学大学未来社会創成研究院 DLab+ 研究員。2016年に東京大学文科三類に入学、東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了。専門は18世紀フランス思想、特にジャン=ジャック・ルソーの教育思想。厚生労働省指定難病の先天性疾患・脊髄性筋萎縮症により24時間の介護が必要。現在はジャンル横断的な活動として、文学・思想・SF・映像文化など多方面にわたる評論や対談も行っている。任龍在編『肢体不自由者の自立と社会参加』(博英社P183-216執筆)、鈴木悠平・愼允翼『介助とヒーロー: 『ラストマンー全盲の捜査官』を2人で観る』(ペーパーバック)『Goat Meets』(小学館)『読書百景』(小学館)など

この記事を書いたのは

三輪泉 ライター

インタビューを中心に教育、子育て、医療、介護、食などのテーマで WEB・雑誌・書籍などの記事を執筆。お話を伺う方にたくさんの学びをいただいています。社会福祉士、法定成年後見人、中学校・高等学校教諭一種免許状、生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)

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