「首里城」は今どうなってる? 琉球王国の歴史に触れる城内、その見どころを紹介

首里城は沖縄の観光スポットとして真っ先に挙げられる場所です。琉球王国の歴史と文化を今に伝え、未来にも残すべき城跡の一つとして、世界遺産にも登録されています。沖縄のシンボル的存在でもある首里城の魅力や、観光のポイントを見ていきましょう。
<画像:消失前の首里城正殿>

復興が進む「首里城」。そもそも何があった?

2023(令和5)年4月現在、沖縄の代表的な観光スポットである「首里城正殿(しゅりじょうせいでん)」の姿を見ることはできません。復元作業が進行中ですが、完成にはまだ時間がかかります。首里城で何があったのか、あらためて確認しておきましょう。

2019年10月、火災により9施設が焼失

2019(令和元)年10月31日未明に発生した火災により、首里城は正殿・南殿・北殿など9施設が全焼・一部焼失の被害を受けました。

第二次世界大戦を含め、首里城は過去にも焼失しており、今回が5度目になります。木造であることや内部構造など、いったん火災になると燃え広がりやすい条件がそろっていたことも一因です。

しかし、首里城は過去の焼失のたびに復元されてきたように、2022年11月から復元作業が始められています。完成予定は2026年です。

単なる復元にとどまらず、現場を見学できるようにしたり、復元状況を随時(ずいじ)発信したりするなど、「過程」も公開しています。首里城復興サイトの開設運営、ボランティア募集やイベント開催など、地域の振興や観光につなげる活動にも取り組んでいます。

首里城って、どんなところ?

残念ながら正殿の姿はありませんが、首里城には、ほかにもたくさんの見どころがあり、無料エリアだけでも見ごたえは十分です。有料エリアでは復元作業の見学もできます。

無料エリアで見られる主な建造物

まず出迎えてくれるのが、首里城の入り口「守礼門(しゅれいもん)」です。中国風の建築様式と鮮やかな色合いが目を引く、正殿と並ぶシンボル的存在でもあります。

2000(平成12)年の沖縄サミット記念に発行された「二千円札」にも描かれました。現在の守礼門は、1958(昭和33)年に復元されたものです。

首里城「守礼門」(沖縄県那覇市)。中国様式の多彩色で儀式用の木造門が、守礼門。門の名は扁額(へんがく)の「守禮之邦」からきているが、正式には「上の綾門」という。尚清王(しょうせいおう)が1527~55年に創建した当時は瓦葺きではなく板葺きだったそう。
首里城「守礼門」(沖縄県那覇市)。中国様式の多彩色で儀式用の木造門が、守礼門。門の名は扁額(へんがく)の「守禮之邦」からきているが、正式には「上の綾門」という。尚清王(しょうせいおう)が1527~55年に創建した当時は瓦葺きではなく板葺きだったそう。

園比屋武御獄石門(そのひゃんうたきいしもん)」は、国王が外出する際に、無事を祈願した礼拝所です。琉球王国の代表的な石造物の一つで、2000年に世界遺産登録されています。

1519年に築かれた園比屋武御嶽石門。木の扉以外は琉球石灰岩で作られている。国王の外出時に道中の安全を祈願するほか、最高神女の聞得大君の即位式にも使用された。
1519年に築かれた園比屋武御嶽石門。木の扉以外は琉球石灰岩で作られている。国王の外出時に道中の安全を祈願するほか、最高神女の聞得大君の即位式にも使用された。

京の内(きょうのうち)」は、首里城発祥の地といわれる城内最大の信仰儀式の場です。琉球の神官や神女が、王家の繁栄や五穀豊穣(ごこくほうじょう)を祈っていたとされています。

首里城正殿の南側に位置する「京の内」。琉球神道の最高神女である聞得大君(きこえおおきみ)やその他の神女たちが、王家繁栄・航海安全・五穀豊穣を祈った儀式の場。
首里城正殿の南側に位置する「京の内」。琉球神道の最高神女である聞得大君(きこえおおきみ)やその他の神女たちが、王家繁栄・航海安全・五穀豊穣を祈った儀式の場。

西(いり)のアザナ」は、那覇(なは)の街や港、天気によっては慶良間(けらま)諸島まで見渡せる物見台です。城郭の西側、標高約130mの高さにあります。

復元現場も見学できる有料エリア

奉神門(ほうしんもん)」から奥は、有料エリアになっています。かつて正殿があったところには、復元に必要な材木や原寸大の図面が格納されており、見学も可能です。職人による作業をガラス越しに見られるだけでなく、周囲の通路から正殿があったときには見られなかった絶景が楽しめます。

正殿にあった2本の「大龍柱(だいりゅうちゅう)」や、焼け残った「獅子瓦(ししがわら)」も展示中です。解説パネルや作業過程を収めた映像で、かつての首里城を思い出したり、復元後の姿を想像したりするのもよいでしょう。

東(あがり)のアザナ」は、首里城の東側にある物見台です。西のアザナよりも高い標高約140mの位置にあり、高アザナとも呼ばれています。那覇の街や正殿の裏にあたる御内原(おうちばら)を一望できるだけでなく、日によっては遠く久高島(くだかじま)まで見られます。

「東のアザナ」からの眺望。城内の「漏刻門(ろうこくもん)」や「西のアザナ」とともに、城内に時刻を知らせる役割を担っていた。ここよりさらに東側の城壁外は「上の毛(いいのもう)」と呼ばれる聖地。
「東のアザナ」からの眺望。城内の「漏刻門(ろうこくもん)」や「西のアザナ」とともに、城内に時刻を知らせる役割を担っていた。ここよりさらに東側の城壁外は「上の毛(いいのもう)」と呼ばれる聖地。

イベントも見逃せない

首里城で行われるイベントも必見です。

毎朝8時半(休園日除く)の開門時には、御開門式という儀式が行われます。琉球王朝時代の衣装に身を包んだスタッフの「御開門(うけーじょー)」の声と、銅鑼(どら)の音で奉神門が開くさまは情緒たっぷりです。スタッフと写真を撮れば、旅のよい記念になるでしょう。

首里城「奉神門」(沖縄県那覇市)。首里城正殿の「御庭(うなー)」へ入る最後の門が、奉神門。別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう。3つの門のうち中央の門は、国王や中国からの冊封使(さっぽうし)など、身分の高い人だけが通ることができる。
首里城「奉神門」(沖縄県那覇市)。首里城正殿の「御庭(うなー)」へ入る最後の門が、奉神門。別名「君誇御門(きみほこりうじょう)」ともいう。3つの門のうち中央の門は、国王や中国からの冊封使(さっぽうし)など、身分の高い人だけが通ることができる。

また、日没から24時までは城郭のライトアップが行われます。ライトに照らされた首里城は、周囲より高い場所にあることも相まって、幻想的な雰囲気です。昼間とは違った表情が楽しめます。

ほかにも新春の宴や首里城復興祭など、季節の行事やテーマイベントも行われているので、タイミングが合えば参加してみるのもおすすめです。首里城をもっと身近に感じられるでしょう。

実物を見る前に、首里城の歴史をチェック

琉球王国は1609(慶長14)年、薩摩藩の軍勢による侵攻を受けます。以後は、徳川幕府と薩摩藩の従属国とされますが、表向き独立性は保たれていました。しかし1879(明治12)年、明治政府は軍事力で国王を首里城から追放し、沖縄県を設置します(琉球処分)。

琉球王国滅亡後、首里城がたどった歴史を見ていきましょう。

琉球王国時代の中心地

沖縄県はかつて、琉球王国という王制の独立国でした。首里城は、13世紀から14世紀半ば頃までに造られたとされており、1879年に琉球王国が滅亡するまでの約450年間、琉球王国の中心地として栄えた場所です。

首里城内には、王の居城のほかにも行政機関や信仰の場、広場などがありました。敷地内にさまざまな施設を備えているのが、沖縄の「城(ぐすく)」の特徴です。「今帰仁城跡(なきじんじょうあと)」や「座喜味城跡(ざきみじょうあと)」など、首里城とともに世界遺産に登録されている城跡にもその名残が見られます。

今帰仁城跡(沖縄県国頭郡)。カーブする石垣が特徴的な城郭は12~13世紀の築城だといわれ、14世紀頃までは琉球王国成立以前に存在した北山(ほくざん)王の居城であった。南北350m、東西800m、面積は3万7000㎡。北山王国は1416年、尚氏により滅ぼされた。
今帰仁城跡(沖縄県国頭郡)。カーブする石垣が特徴的な城郭は12~13世紀の築城だといわれ、14世紀頃までは琉球王国成立以前に存在した北山(ほくざん)王の居城であった。南北350m、東西800m、面積は3万7000㎡。北山王国は1416年、尚氏により滅ぼされた。

また、首里城は文化の中心地でもありました。首里城の周辺では歌舞音曲(かぶおんぎょく)が盛んに演じられ、美術や工芸の専門家も多く暮らしていたのです。首里城そのものが、一つの小さな町だったともいえるでしょう。

兵舎や学校、公園など時代とともに変化

「沖縄県」となって以降、かつての琉球王国の象徴・首里城は、学校や神道(しんとう)の神社、日本軍の兵舎などに使われました。

第二次世界大戦末期には、高台にあり見通しがきくため、首里城に日本軍の第32軍司令部が置かれました。しかし沖縄戦の拠点とされたことで、首里城は連合軍の攻撃目標になってしまいます。1945(昭和20)年4月から5月にかけて激しい攻撃を受け、正殿をはじめとする首里城の施設はほぼ破壊されました。

失われた首里城の復元には、長い時間がかかっています。戦後10年以上経ってから始められた復元は、1972(昭和47)年の「沖縄県本土復帰」以降も続けられました。首里城の正殿に至っては1989(平成元)年にようやく着工、1992(平成4)年に完成しています(その後、2019年の火災で焼失、現在修復中)。

2000年12月世界遺産登録

日本や中国など、さまざまな国と交易があった琉球王国では、建築や芸術で独自の文化が発達しました。城内に王宮や行政機関、信仰の場といった施設を備えた城は、その特徴を表しています。

2000年12月、継承すべき未来への遺産として「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が世界遺産に登録されました。首里城跡をはじめ、今帰仁城跡や「斎場御嶽(せーふぁうたき)」など9カ所が含まれています。

世界遺産の一つ・首里城正殿遺構(古い建物の一部)は、正殿を支える基壇の痕跡です。2023年4月現在、正殿の復元工事のため観覧できませんが、再公開の際にはぜひチェックしたいポイントといえます。

復興工事中の首里城正殿。周回ルートの展示パネルには、修復工事の工程や予定が公開されている。また、首里城復興展示室ではかつての正殿の装飾品を間近でみることができる。
復興工事中の首里城正殿。周回ルートの展示パネルには、修復工事の工程や予定が公開されている。また、首里城復興展示室ではかつての正殿の装飾品を間近でみることができる。

首里城で、琉球王国の遺産に触れよう

首里城には、琉球王国の栄華を今に伝える建造物が多くあります。無料エリアだけでも、見どころはいっぱいあるので、時間をかけてじっくり見てまわりましょう。

現在は正殿を見学することは叶いませんが、有料エリアもおすすめです。今しか見られない景色を楽しんだり、復元の過程をリアルタイムで見られます。

ぜひ首里城で琉球王国の息吹を感じ、その歴史や遺産に触れてみましょう。

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構成・文/HugKum編集部

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