※ここからは『つくられる子どもの性差〜「女脳」と「男脳」は存在しない』(光文社新書)の一部から引用・再構成しています。
小学校入学前の「就学準備性」にみられる性差とは?
就学準備性とは、子どもが学校生活を無理なく始められるだけの発達状況にあることを指します。幼稚園や保育園も教育活動や集団生活がありますが、公的な学校教育が本格的に始まるのは小学校であり、「小1プロブレム」などといわれるように、小学校入学時に戸惑う子どもも少なくありません。しっかりとした準備が必要になってくるわけです。
就学準備性は、主に、身体的、認知的、社会情緒的な側面から総合的にとらえられます。日本でも、言葉としてはなじみがないと思いますが、幼稚園や保育園の要領や指針に「幼児期の終わりまでに育ってほしい姿」というものがあり、10の姿が挙げられています。
具体的には、健康な心と体、自立心、協同性、道徳性・規範意識の芽生え、社会生活との関わり、思考力の芽生え、自然との関わり・生命尊重、数量や図形、標識や文字などへの関心・ 感覚、言葉による伝え合い、豊かな感性と表現が含まれます。
この10の姿の中に、算数の基礎的能力や、国語の基礎的能力が含まれていることにお気づきだと思います。このような能力に性差はあるのでしょうか。
就学準備性においては女児が優れている傾向がある
私が調べた限りメタ分析は見つからなかったのですが、俯瞰的な研究の1つである系統的なレビューにおいて、国外の子どもを対象にした就学準備性の性差も触れられています。
それによると、女児は、男児よりも、授業への関与度、注意力、算数と読解の得点、社会情緒面で優れていることが報告されています。一方、男子は反抗的な行動を示したり、就学時に学業面と社会情動面での準備不足にあったりする傾向が報告されています。
ただ、この系統的なレビューで扱われている研究は少ないですし、決定的と言えるほどのデータではないので注意が必要です。幼児を対象にした場合、算数という科目全体ではなく、数や量、計算などが個別に研究されていることが多いため、なかなか俯瞰的に見るのは難しい事情があります。
この点に気を付けつつ、既存の証拠を基に就学準備性に関して言えば、女児のほうが優れているようです。就学に際して配慮が必要なのは男児に多い可能性を示唆しています。
学力の性差はなぜ起きるのか?
証拠は十分ではないのですが、幼児期から就学までは、女児のほうが国語も算数も得意そうです。性差は小さいという前提のうえで、その性差をもたらす要因についても考えてみましょう。
幼児期は女児の方が得意なことが多いが…
幼児期の性差は、それぞれの科目についての能力そのものだけではなく、言語能力の(それほど大きくはない)違いや、自制心の違いや注意力の違いなどにも影響を受けるでしょう。
女児の言語能力が高ければ国語の成績が高いのは当然でしょうし、言語能力の高さは数や量の概念獲得にも有利になります。
また、自制心の高さは算数の成績と密接な関係があることが繰り返し示されています。若干ですが女児のほうが自制心が高いため、その高さが幼児期の算数の成績にも影響を与えるのでしょう。
注意力も、人の話に注意を向けたり、問題に注意を向けたりするために必要になってきますが、こちらも女児が得意なのであれば有利に働くでしょう。
小学校の間は性差はほとんどないが、思春期では再び性差が現れる
とはいえ、小学校以降になると、少し様子が変わってくることも見てきました。国語に関しては、どの時期を見ても、女子の成績が良いことが示されています。一方、算数・数学に関しては、性差がほとんどないか、難しい問題については男子の成績が 良い場合もあるようです。小学生の間には性差はほとんどなく、中等教育以降で性差が見られるようになってくるということです。
このような特に算数・数学における性差の変化はどのように考えられるでしょうか。空間認知のような能力や、それと関連する性ホルモンの影響が、特に性ホルモンの濃度が高まる思春期に見られるようになるというのが生物学的な説明です。
この説明は間違いではないと思いますが、性ホルモンと様々なタイプの問題を含む算数や数学の成績の関係はそう単純ではなく、これだけでは十分ではありません。
近年は、環境的な要因に注目が集まっています。教師の思い込みや苦手意識も重要な要因なのですが、より家庭の影響が顕著な幼児期においては、親の態度は極めて重要です。
「読解=女子」「算数=男子」は本当か?
少し古いのですが、重要な研究を紹介しましょう。この研究は、日本、台湾、アメリカの3か国の幼稚園児・小学生とその養育者を対象にしたものです。読解と算数のテストを受けてもらい、その成績の性差を調べるとともに、養育者が子どもの学力についてどのような考えを持っているかを調べました。
その結果として、まず学力については、細かくみればいくつか違いはあったものの、読解にも算数にもほとんど性差がありませんでした。そして、このパターンは文化に影響を受けておらず、日本、台湾、アメリカのどの国でも同じ傾向でした。
その一方で、読解と算数における能力の性差についての親の信念は、実際の成績の違いよりも強かったのです。
少し古い研究ということもあり、回答をしたのは母親だったのですが、母親は女子のほうが男子よりも読解力が高いと考えていました。具体的には、女子の読解力を高く評価して読解テストで高得点を取ると期待し、女子と男子のどちらが読解を得意かと聞かれると圧倒的に女子を選びました。
この研究では算数に関する期待にはそれほど性差はなかったのですが、その後の研究では、母親は、算数は男子が得意だと考えることも示されています。
苦手科目と得意科目をつくってしまう原因とは?
重要なのは、実際の成績では女子も男子も同様の読解力を示していた点です。能力としては変わらないのに、親は「読解=女子」と考えていました。このような親の思い込みは、小学校時代に女子と男子が努力したり、興味を持ったりする分野に大きな影響を与える可能性があります。
読解を励まされる女子は読書を楽しむようになるでしょうし、親が「算数=男子」だと考えていたら男子は算数に興味を持つようになるかもしれません。母親のこうした意識の偏りは子どもたちにも伝わります。この研究でも、女子は自身の読解力を高く、男子は自身の数学力を高く評価していました。
繰り返しになりますが、このプロセスは重要だと考えられています。親であれ、教師であれ、メディアであれ、周りの大人の信念が気づかないうちに子どもに伝わってしまい、子ども自身が自分の苦手科目や得意科目をつくってしまうかもしれないのです。
実際に苦手であるかどうかにかかわらず、女子が算数に苦手意識を持つことで、成績が下がってしまうのかもしれません。周りの環境が学力の性差をつくり出している可能性があります。
「漢字ドリルは赤色、算数ドリルは青色」が影響?
難しいのは、こういう話を親や教師を相手にしてもなかなか伝わらない点です。親や教師は無自覚に偏ったメッセージを送ってしまっているので、自分の言動が子どもに密かに影響を与えていることに気づけません。結果として、このような信念や苦手意識が負のループのように再生産されてしまう可能性があります。社会もこのことを自覚する必要があります。
たとえば、些細なことですが、漢字ドリルはたいてい赤色で、算数のドリルが青色です。女の子はピンク、男の子は青色という思い込みがあり、間接的にですが、「国語=赤系=女の子」「算数=青系=男の子」という暗黙のメッセージを、ドリルの色を通じて伝えてしまっている可能性もあります。このような暗黙のメッセージはあちこちで見られます。
まずは親も教師もメディアも自分が偏ったメッセージを送っていることを自覚することが第一歩かと思います。
※ここまでは『つくられる子どもの性差〜「女脳」と「男脳」は存在しない』(光文社新書)の一部から引用・再構成しています。
『つくられる子どもの性差〜「女脳」と「男脳」は存在しない』(光文社新書)
性差についての心理学・脳神経科学の膨大な先行研究をベースに、子どもの「好みの性差」「空間認知の性差」「言葉の性差」「学力の性差」「攻撃性の性差」「感情の性差」をデータで分析。「女脳」「男脳」の考え方は科学的根拠に乏しいこと、大人の思い込みこそが後天的に子どもの性差をつくっていることを明らかにしていく。全養育者・教育者必読の「性差の科学」!
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構成/国松薫