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「これくらいできないと困るのはきみだよ」を言わずにはいられない社会とは何か?
――著書『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』のタイトルが印象的でした。タイトルを見て、「私も子どもについ言ってしまっている…」と思ったママ・パパもいるかと思うのですが…。
勅使川原さん 編集担当者と相談して決めたタイトルですが「これくらいできないと困るのはきみだよ」という類の言葉を、学校の先生やママ・パパから投げかけられる子どもは多いと思います。でも、この言葉って子どもにとっては脅しであり、発する大人側も決して気持ちのよい言葉ではないはず。それでもなぜ、ついこんな呪いをかけてしまうのか? 一度棚卸ししてみる価値があると思い、書きました。
担任の先生が求める「主体性」がすべてではない
――夏休みが終わりました。1学期のわが子の成績を見て落胆したり、モヤモヤしたりしたママ・パパもいると思います。つい「これくらいできないと困るのはきみだよ」と、わが子に言ってしまったママ・パパもいると思うのですが…。
勅使川原さん 勉強するときの姿勢が悪かったりすると、それだけで「やる気がない」だ「これくらいできないと…」だなんだと学校で怒られてしまう子どもがいると思います。姿勢とその人の在り方や真摯さというのは必ずしも合致しないと思うのですが……、どうも日本の学校(や職場)では、「本人の内面」よりも「どう見えるか」を非常に重視する「態度主義」が根強いようです。

――中学校の内申点評価も、テストの点数だけでなく「主体性」などが重視されると聞きます。これも態度主義と関係があるということでしょうか。
勅使川原さん まさにそうだと思います。公立中学校では、テストの点数が反映されるのは評価の3分の1程度である場合もあると聞きます。
例えばテストで100点を取っても、字が汚かったり提出物に余白が多かったりすると、主体性の評価はAではなくBに、下手するとCに下がってしまうわけです。それが意味するのはつまり、学校が求める「主体性」の型に合わせないのは、「やる気がない」「だらしない人間」の証である、と。でも、そもそも数学で100点を取るというのは、主体的じゃなければできないことなのにな……と思ったりして、もやもやします。
――学校で評価されにくい子どもたちに対して、親はどんな言葉をかけ、どう見守ればいいのでしょうか。
勅使川原さん まず、こんなことを言ってはいけないのかもしれませんが、うちでは「学校をはじめとする社会には壮大なからくりがある」と伝えています。
現状、学校は能力主義で人を評価する前提になっているので、あらゆる場面で結局は「わかりやすく優秀な人」が選ばれていくのが現実です。そこで選ばれたいのであれば、やり方を考えなければいけない。逆に、自分らしく生きたいのであれば、失うものもあるかもしれないけれど、こういうメリットもあるよね、と。

親ぐらいは社会の構造を俯瞰して見た上で、子どもと話し合えたらなぁと願っています。家庭は存在そのものを承認する最初で最高の場なはずですから。「誰になんと言われようと生まれてきてくれてありがとう」と言われてなんぼ。そうではなく、「できるあなたのことしか認めないよ」とばかりに条件付きの愛で育つほどしんどいことはないだろうと、老婆心ながら憂えてしまいます。
社会にはいろいろな人がいて、評価の軸は1つではない
――ママ・パパが「あの先生はわかってくれないね…」など、子どもに言うのはよくないのでしょうか。
勅使川原さん 先生との相性があるということは、子どもに教えていいと思います。学校にもいろいろな先生がいて、子どもと相性が合わない先生もいれば、相性のいい先生もいるかもしれません。また塾や習い事などで、子どものよいところをわかってくれる大人がいるかもしれません。
子どもには、先生のことを悪く言うよりも、いろいろな人がいるし、評価の軸や機会は1つではないということを教えてあげてほしいと思います。
学歴への複雑な感情を子どもに投影していないか?
――先ほど「能力主義」という言葉がありました。能力主義とかかわって、学歴にこだわるママ・パパも多いと思うのですが。
勅使川原さん 学校の仕組みは現状、能力主義にたよらざるを得ない部分もあります。でも、だからと言って、それを家庭に持ち込む必要はないと思います。家庭で、子どもの将来を思うからこそ、「勉強しなさい!」「これくらい我慢できないと苦労するよ」と言ってしまうときもあると思います。でも、その言葉の裏にあるのは、「私のようになってほしくない」という切実な親心だったりするんですよね。
その気持ちもとてもよくわかります。ですが、時代も変わってきています。私たちが学力を競っていたころにはAIのエの字もありませんでしたからね。となると、私たちも知り得ない未来に想定の範囲内で備えつつ、過度に未知を恐れて予防線を張ろうと子どもたちを急き立てるのも違うのでは? 何事も、何かを得ているときは、何かは失っているはず。確固たる未来をしゃにむに追いかけて、得ようとしているものは何か? 逆に失っているものは? と親こそ自問自答しておきたいものです。東大に行けば安泰だ、といった考えがいかにナイーブなものか? はお気づきのとおりです。

「すごいね」はジャッジ。「面白いね」で子どもの世界を知る
――お子さんとの会話の中で、特に気をつけていることはありますか?
勅使川原さん まず「お母さんもわからない」というスタンスでいることです。知ったかぶりはしないようにしています。子どもたちは鋭いですからね。上の空で打ったあいづちなどにもすかさずツッコミが入りますので……。それから、「すごいね」とか「えらいね」という言葉は、私はジャッジメンタル(拙速な価値判断)だと思っています。
例えば、それが友だちの話であっても、「〇〇くん、英検△級受かったなんてすごいね!」とは言わないですね。「すごいね!」というのは、裏を返せばすごくない子どもたちがいるから成り立つものです。親がその言葉を安易に使うと、子どもを他者と比較して序列化する能力主義のやり口に、知らず知らずのうちに加担してしまうことになるような気がして。そうした言葉からも苦しくなる子どももいると思うんですよね。
――では、お子さんが絵を描いて見せてくれたときなどは、どういう言葉をかけるのですか?
勅使川原さん 「すごい」ではなく、「これは何?」と聞きます。「面白い」はOKです。面白がることは他者比較と序列化を伴いません。面白さは、垂直方向の序列化されたものではなく、水平多元的に広がるバリエーションなはずです。
――なるほど。「すごい」ではなく「面白い」ですか。
勅使川原さん はい。面白がれないと、何も始まらないと思うんです。どう面白がるか? それこそ本人に尋ねないと面白がれないことが多い。親子といえど自分ではありませんから。なので、面白がりたいから私は子どもに尋ねます。子どもはみんな、それぞれの世界観で面白いネタを持っていますから。だから「すごい」は言わないけれど、「へ~、そうなんだ」「考えたことなかった!」とあいづちを打ったり、「どうして?」と聞いたり。「ウケる」とかも言いますね。
親が純粋に子どもの話を楽しんで聞くようになると、条件付きではない愛、つまり存在そのものの承認を安心して感じられるのかな? と信じています。
子どもたちにとっても生きづらい世の中。せめて家庭の中では生きやすく
――勅使川原さんは、お子さんには日々、どのような言葉がけをしていますか。
勅使川原さん 私は、事あるごとに「生まれてきてくれてありがとう!」と言ってハグしています。中学生の子にも同様です。「暑い」だ「うざい」だなんだと言われますが、ここは譲れません。子どもたちにとっても生きづらい世の中なので、家庭の中では居場所を感じてほしいんです。

――最後に、子育て中のママ・パパが「これくらいできないと困るのはきみだよ」と無意識に言ってしまわないために、親としてできることはありますか。
勅使川原さん 学校や職場で受ける評価だけが人生のすべてを決めるわけではないと、親自身が思えたらいいなと思います。そして、もし子どもが学校で辛い思いをしているなら、家庭はもちろんのこと、ほかにも「居場所」と言わずとも、”いろんな人がいるんだなぁ”と思うような機会をたくさん作ってあげたい。対面のコミュニケーションが苦手な子もいるので、いろんな大人と会っておしゃべりする、なんてことを無理にやらなくてもいい。学校を休んでプチ旅行をしたり、ドキュメンタリー映画を観たり……などなど、いろんな価値観や生き方に出合い、いろんな評価軸に触れる中で、自分に合う人や場所を見つけられれば、親としてもうれしく思います。
また、あまりに親がしゃべり過ぎるくらいなら、口を閉じた方がましなこともあります。親がうまいことを言おうとし過ぎるより、ただ子どもの話を面白がって聞く。彼ら・彼女らは十分「主体的」に生まれながらに生きていますから。そこをいかに否定せずに、引き出すか。子どもが自分らしく生きていくための土台はそこにあるのではないでしょうか。
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社会や労働にある一元的な能力主義や「傷つき」について、組織開発者として日々論じている勅使川原真衣さんが、教育・福祉の専門家・実践家と対談。学校をめぐる際限なき「望ましさ」の背景にどんな傷つきや焦りがあるのかを探り、一元的な能力主義をほぐしていくための糸口を考えました。
お話を伺ったのは・・・
組織開発者。東京大学大学院教育学研究科修了。外資コンサルティングファーム勤務を経て、2017年に組織開発を専門とする「おのみず株式会社」を設立。二児の母。2020年から乳がん闘病中。著書は『「能力」の生きづらさをほぐす』(どく社)、『「これくらいできないと困るのはきみだよ」?』(東洋館出版社)など。(写真=稲垣 純也)
取材・構成/麻生珠恵
