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保育園でも小学校でも元気でおてんばな女の子
――紺野さんは東京都三鷹市の生まれ育ちですね。どんなお子さんだったのですか?
紺野さん 保育園時代はめっちゃ元気でおてんばでした。保育園は基本、スカートNGだったんですけれど、どうしてもスカートがはきたくて母にせがんで、行き帰りだけスカートはいて園ではズボンにはきかえるというめんどくさいことをしていました。
外で遊ぶのも大好きで、好きな男の子を追いかけ回したりして、バレンタインにチョコレートをあげるとか、積極的でしたね。親同士が仲良くしていたので家を行き来していましたが、追いかけ回しすぎたのかフラれてしまって。その後引っ越して会えなくなりました。

――小学校も元気に通ったのですか?
紺野さん 小学校も中学校も地元の公立で、小1、小2くらいまでは勉強もできたほうで、楽しく通っていたんですよね。足し算もクラスで一番早くできたし、九九も最初に覚えました。ところが、分数の足し算引き算あたりからついていけなくなって。「9歳の壁」って言うんですか? 算数に関してはそこからまったくできなくなりました。だから授業がすごく退屈で。
苦手な教科だと座っているのが地獄みたいにつらかった。でも教室を抜け出す勇気もなく……
紺野さん ほかの教科も国語と体育くらいはよかったけれどあとはできなかったんですよね。そもそも席に座っているのもそこまで得意じゃなくて。いやいや座っているとワナワナしてきて、教室を抜け出したくなっちゃう、みたいな。
当時、私の通っていた小学校ではクラスに1人くらい教室を抜け出しちゃう子がいて、そういう子に対しては、まるで脱走犯のようにみんなで追いかけるんですよ。脱走したらこういう目にあうんだ、ダメのレッテルを貼られるんだと思うと、怖くて脱走もできなくて、苦しい思いをしました。

――国語は好きだったんですね。
紺野さん はい、感想文の時間に「この登場人物がどう思っているか書きましょう」みたいな課題のときには、文章をほめられたりしていました。
小1くらいになると親が英会話スクールに通わせてくれて、英語も楽しく勉強できたんです。ピアノや書道やバレエ……、共働き家庭で親もいろいろと考えてくれたらしく、ずいぶんと私に課金してくれました(笑)。そういう、やりたいことはやれるんだけれど、算数は本当にダメで。
小・中学校の頃は「学校に行かない」という選択がなかった
――がんばっても結果がよくないとつらくて、学校に行きたくないと思うことはなかったですか?
紺野さん ありました。苦手な科目の授業はぜんぜん受けたくないですし。だけど、いやでも学校は行くものだと思っていました。勉強が好きな子とか、退屈でも座っていられる子は大丈夫だと思うけれど、私はいやだと座っているのがそもそも大変でした。でも「行かない」選択はなかったから……。小学校も中学校もがんばって行っていました。
――高校は受験して私立の学校に行っていたのですよね。受験勉強もがんばったのですか?
紺野さん 推薦だったんです。中学でバドミントンを3年間やっていて、実は都大会ではベスト8の実力でした。その戦績で推薦がもらえそうな学校がある、ということで。英語だけは英会話スクールのおかげで成績が3で、1がなかったので推薦してもらえました。

紺野さん 高校はある意味楽しかったんですよ。「電車に乗って違う村に来た」みたいな感じで。高校生ぐらいからは、受けたくない授業とかあったら出ないとか、保健室行っちゃうとかしていました。屋上に隠れてひとりで過ごしたりもしてましたね。高校に入ったらタガがはずれたというか…、小テストとかも受けないことがありました。
――バドミントンは続けなかったのですか?
紺野さん 高校でも部活動でバドミントンをやったけれど、強いチームじゃなくてつまらなくて。中学では週6でゴリゴリやっていたのに、なんだかな、みたいな感じでした。……でも、高校に入ってからやる気をなくしたのは、別の理由もあるんです。
推薦で高校に上がる前にギャルメイクを覚え、入学後も「ギャル仕様」
――と言うのは?
紺野さん 推薦で高校に入れたので、高校入学まで時間があって。春休みとかはよく、その当時流行ったギャル向けの雑誌を読んでいたんです。ページを開くと「ギャルの汚部屋」みたいなページがあって、ガングロメイク女子の部屋が公開されていて。「今日も化粧を落とさずに寝た」とか生活の様子がリアルで、ワクワクしたんですよ!
「これ、自分もやりたい!」と思ってメイクもファッションも真似しました。入学式はさすがに髪を黒染めして行きましたが。学校帰りに渋谷に行ったり、お金がないときはポテトの油でメイクを落としたりして汚ギャルに近づいていきました。

紺野さん 学校には行っていたんですよ。ただ、遅刻が多くて。5分とか10分とかなんですが、年間100回くらいあったんですよね。私立だから何回遅刻すると休みに換算、みたいな規定がありました。服装もスカートを極端に短くしたり指定品ではない靴下をはいて行ったり、エクステしていたり。
何度も注意喚起しているのにやめなくて、停学になったこともありました。家に閉じ込められて携帯を没収されて友達とも会えなくて、反省して更生しようかと思ったのですが、やっぱり「肌を焼きたい、メイクしたい、遊びに行きたい、PLAYBOYの服着たい」ってなって、また怒られてシュンとして。
先生は気持ちをくんでくれたけれどそれも無視して、ついに退学……
――学校はどんな風に紺野さんに接していたんですか?
紺野さん 今思えば、本当にいろいろ手厚く接してくださったんです。こっちの気持ちもくんでくれて、「やりたいのはわかるよ」って言ってくれて。「そんなに髪染めたいなら、こんなこと教師が言うことじゃないけど、完璧なカツラかぶっておいでよ」って。「やりたい服装とかメイクとか髪とかがあるなら、休みの日にやればいいじゃん。授業さぼるとかでもバレる手前でやめたらどう? どうしてわざわざバレることするんだ。もっといい案配でできないの?」とか。今考えると、マジでごもっともです、ここまで言ってくださってたんですよ。
でも、当時の自分は「先生たちが校則違反とか言って叱るのは意地悪でしてるじゃん。高い学費とってるくせに、詐欺だ」みたいにふてくされて思っていました。本当言うと、都立高校に行きたかったんですよ。都立なら服装も自由だし、私立ほど厳しい校則はないよね、みたいな。入れる学力がなかったからしょうがないのに。

紺野さん 当時はとにかく派手になりたかったんです。その学校が黒髪一択、メイクもダメだし、ソックスはピタッとしたやつじゃないとダメで。「私はルーズソックスをはきたいんだ、一瞬たりとも白いピタッとしたソックスなんかはきたくない!」「16歳、17歳の大事なときに、なぜ膝を隠すの!?」みたいな。今思えば、あのベタな制服もかわいかったのに。
そんな調子だから、先生たちは何度も警告を出してくれていたのに無視、遅刻も100回に近づき、「あと1回やったら退学だ」と言われていました。それでも遅刻してしまって、とうとう私は高2で退学になってしまいました。
――自分が思う服装や髪にこだわって、それを学校に行くときもやめなかった紺野さん。退学になった日のことを、今でも忘れられないそうです。ではそれからどうしたのか……。後編で詳しくお伝えします。
後編はこちらから
お話を伺ったのは
日本テレビ「女性芸人No.1決定戦 THE W」2017年より3年連続ファイナリスト、2024年準優勝。関西テレビ「R-1ぐらんぷり」2017年より2年連続ファイナリストなど、人気と実力を誇る女性芸人。東X、Instagramにて育児4コマ漫画『毎日あーぷん』更新中!
YouTube こんのぶるま
Instagram @buruma_konno
X @burumakonno0930
衣装:
ブラウス¥8,990・スカート¥9,990(オンワード樫山〈UNFILO〉)、イヤリング¥1,900・リング¥1,300(カーツ〈BANDING〉)
お問い合わせ先〈協力社〉:
オンワード樫山(UNFILO)☎︎03-5476-5811
カーツ(BANDING)☎︎03-3486-0578
取材・文/三輪泉 撮影/小倉雄一郎 ヘアメイク/藤原リカ(ThreePeace) スタイリスト/青山絵美