【芸人・紺野ぶるまさん】5歳で卵巣嚢腫発覚、高2で高校退学、モデル事務所へ100万円支払…39歳の今、「泣いた過去があったから、今の幸せがある」と話す理由

ギャルメイクで高校に行き、遅刻100回を数えて、ついに退学になってしまったという紺野ぶるまさん。不登校であればまた学校に行くこともできますが、学校に拒否されてしまい「学校に絶対に行けない」となったとき、人はどう思い、どんな行動を取るのでしょうか。退学のその瞬間から始まり、後に人気女性芸人になった経緯、そして結婚し、出産……。悩みながら都度決断し、今に至る道筋を伺います。

前編はこちら

ガングロメイクに、遅刻100回で高校退学になった芸人・紺野ぶるまさん「ダメな子」と思われるのが怖かった小・中学時代、その後貫いたギャルスタイルへの後悔
保育園でも小学校でも元気でおてんばな女の子 ――紺野さんは東京都三鷹市の生まれ育ちですね。どんなお子さんだったのですか? 紺野...

目の前で退学を言い渡され、母親が泣き、自分は呆然と……

――――遅刻100回で、あと「1回やったら退学」と言われていたのに、服装規定の違反や遅刻で、ついに退学になってしまったのですね。その当時のことは覚えていますか?

紺野さん はい、あの冬の日のことはまざまざと覚えています。学校から呼ばれて、校長室に行くことになって、親もめっちゃ泣いていて。おかあさんから「頭下げて。高校卒業したら好きにしていいから」って言われたのにネックレスと茶髪とルーズソックスのままふてくされてでかけて、「お願いだからネックレスをはずして」と言われたのにそのまま校長室に入ったんです。そんな状況でも、自分の中ではどこか他人事みたいな感じでした。

でも、校長室に入ったら、当たり前だけれど、「退学です」と言われました。親は泣いていて、「申し訳ありません」って何度もあやまって「なんとかなりませんか」って懇願していて。そこではじめて「私、やっちゃったんだ……」と呆然としました

ギャル時代の紺野ぶるまさん(Instagramより)

紺野さん 「早く学校をやめたい、とっとと退学にしてくれたらいいのに」って思っていたし、スカートを長くしなさいとか化粧とりなさいっていわれているのをある種楽しんでいたけれど、それは学校という存在があってこそです。「あの子は同級生とは一線画しているよね、みたいに言われること込み」の学園生活だったんです。本当に辞めるって、どこかでは思っていなかったんですよね。

退学になったら「学校サボる」さえできない……

紺野さん いざ退学ってなったら、翌日からすることがなくなってしまいました。朝起きても「眠い」というのを起こされることもないし、「学校がだるい」って思う必要もなくなってしまって。「保健室行くわ」も学校に行くからできることで、あれ全部だるいんじゃなくて楽しいヤツだったんだって。いまさら気づいたんです。

17歳では行くところもないし、次の日から化粧もしなくなりました。「ギャルサー入って渋谷行ってオールしてナンパされて」みたいな絵に描いたようなギャルをやろうと思っても、まず渋谷に行くお金もないし、友達もみんな学校だし、車乗り回すといっても免許ないし、彼氏いないしって、「なんだ、私一個も持ってない!」って。バカすぎますよね。

紺野さん 髪もしだいに黒くなって、それなのに肌も黒く焼けていて変な感じ。こんなんで外に出ても恥ずかしいって引きこもっているうちにガリガリになって、ギャル雑誌も読まなくなって…。マジで学校に行きたくなりました。でももう行けない……。

通信制高校を卒業、その後モデルを目指すことに

――そこから、どうしましたか?

紺野さん 親が通信制高校に通わせてくれました。学校に戻りたいとは思うけれど、もともと集団行動が苦手だったし、座っているのもつらい。そういうのから解放されたかったのもありました。その通信制高校には、不登校の人とか暴走族の人とか、頭がよすぎて自分のペースで勉強したい人とか、本当にいろんな人が集まっていました。月1スクーリングで、あとはレポートを提出するだけ。スクーリングも数学じゃなくてトランポリンをやったりクリスマスツリーに飾り付けしたり、あとは先生のペットにえさをあげるとか。試験もマークシートで、目をつぶって書いても卒業できちゃう感じでした。

――通信制高校を卒業後は?

紺野さん 最初はヘアメイクの専門学校に行こうと思ったんです。「それだったらみんなと同じスタートができるよね」と母親と話して学校見学に行きました。でも私立高校にお金を払って卒業できなかった自分が、また何百万円も払って全日制でメイクやりたいのかなって。落ち着いて考えてみると、メイクするよりされたいって思ってしまって。

どうしようかなと思っていたら、周囲の友達が「あんた背が高いからパリコレ行けんじゃね?」とか言ってくるんです(笑)。ちょっと刺激受けて芸能系の仕事してみたいなって思って、進学せずにフリーターをしながらモデル事務所に所属しようと思いました。

「見た目よりも技術で仕事をしよう」と思い松竹芸能へ

紺野さん でも、だまされました。所属料50万円って言われて2件も登録したのに、まったく仕事が来なかったんです。これはやられたなと気づいたときには100万円失っていたわけです。こんなんじゃダメだ、ビジュアルでどうこうじゃなくて、技術を身につけないとって、松竹芸能の門を叩いたら、入れてくれました。当時はオセロさんとかよゐこさんとかが看板でした。きちんとした芸能の授業もあって、もうだまされることはないと思うと安心しました。

――それで芸人になろう、と?

紺野さん 最初は日舞とかタップダンスとかやって、女性タレントを目指したんです。あるとき、お笑いの授業をのぞいてみたら、ワクワクが止まらなくて。そこからめっちゃネタを書くようになったんです。寝るのも惜しんで書くようになりました。今思っても、私、芸人になってなかったらあぶなかったと思います。

女芸人No.1決定戦THE Wに出演予定の紺野さん(Instagramより)

ナンパしてきた現夫に「保険証見せて」。安心できる人と結婚

――結婚されたのは2019年ですね。居酒屋で声をかけられて、不審な人でないかを見極めるために「保険証を見せて」とおっしゃったそうですが。

紺野さん そうです。居酒屋でナンパされて怪しい人だったらいやじゃないですか。保険証なら名前も住所も会社名も間違いないものがわかるかなと。

紺野さん そしたら、すぐに出してくれました。「社保(社会保険)」だったんですよ!(笑) 週5回ネクタイ締めて会社に通っているなら、私なんかよりよっぽどまともだと思いました。2年半付き合って結婚しました。

卵巣嚢腫の影響で卵巣機能が低下、閉経前くらいの状態だと医師から言われて…

――人気上昇中のときに、結婚や出産をすることに、ためらいはなかったのですか?

紺野さん 芸人が楽しくて、結婚しても子どもは産まないかも、と思っていた時期ではありました。でも、実は私、5歳のときに卵巣嚢腫がみつかっているんです。「5歳で卵巣嚢腫になるなんて」と、親はすごくびっくりして心配しました。そのすぐあとに心臓の手術もして、当時は大変でした。以後は普通に元気に暮らしていたんですが、21歳のときにもうひとつの卵巣も嚢腫になっていて、再度手術しました。卵巣の様子は定期検診でチェックしていて、卵子の数が普通の人より相当少ないといわれていました。

紺野さんの幼い頃を描いた漫画(Instagramより)

紺野さん お笑いでネタが書けるようになってきた頃、定期検診で婦人科に行ったら、「卵巣機能がかなり低下していて、閉経前くらいの状態です」って言われたんです。すごいショックでした。ちょうどその頃、夫と付き合い始めた時期で、全部打ち明けました。「私と早く結婚したほうがいいよ」くらいに強気に言って、結婚しました(笑)。

当時夫に「私のどこがいいの?」と聞いたら「優しさと包容力」って。「この人大丈夫かな、ぜんぜんわかってない」って思いました(笑)。私なんかより夫のほうがよっぽど包容力がありますよね。

その後結婚して妊娠し、無事に出産しました。

「出産してすぐ復帰」と思っていたのに子どもがかわいすぎて……

――お子さんがいると仕事が制限されることもあるでしょうか。

紺野さん 出産後にお笑いの仕事をしないなんて考えられなくて、夫や母親やマネージャーさんにもお願いして、「子どもを産んでもすぐ復帰したい」と準備していたんです。だけど生まれて顔を見たら「ギョピー!! か、かわいい!! ずっと一緒にいたい!」ってなって。「しばらくお休みさせてください」とか無茶苦茶なことを言い出したこともありました。本当に出産前に思っていたのとぜんぜん違いました。子ども、めっちゃかわいいです。

第一子を2022年に出産(Instagramよりぶるまさんの赤ちゃんのときの写真)

紺野さん 1歳で保育園に入れたんですが、最近まで「本当に保育園に入れていいんだろうか」とずっと悩んでいたほどでした。

夫が子育てが上手なので成立しています。会社員なんで日中は無理だけれど、朝ご飯は彼が準備してくれます。前日にごはんを炊いたりするのは私ですが、最近は朝は子どもがパパを起こすようになって(笑)。

――いろいろあった過去を振り返って、今はいかがですか?

紺野さん ありがたいことに幸せに過ごせています。39歳になるんですが、高2で退学になった頃は、こんな未来が待っていたなんて思ってもみませんでした。まず、ここまで見捨てずにいてくれた周りの人に感謝ですし、経験して絶望して今があるというか、モデル事務所に100万いかれたのも必要な経験でした。自分の不得意なことにたくさん気づけましたから。

卵巣の調子が悪くて、「なんでこんなに卵巣が小さいんだ」って泣いた経験にも感謝しています。それがきっかけで婦人科系のことを勉強するようになって、女性特有の病気やがんについての知識も増えましたし、検診の大切さを知りました。

子どもには勉強に意義があると思ってほしい。芸人にも勉強が必要

――お子さんにはどうなってほしいですか?

紺野さん ふつうに学校に行って、ふつうのことができる子になってくれたらうれしいですが、できなくてもすぐには責めません。世間で言う“ふつう”ということは、スペックが高いことだと身にしみて感じているので。私が算数でつまづいた過去を踏まえて、算数も早めにやらせようと思います。9歳で分数がわからなくなって、本当につらかったから。そこを越えられたら自信も失わないかなと思って。

紺野さんがInstagramで描いている育児漫画

紺野さん 夫は「この子は芸人になるんじゃないか」って言っています。なんか片鱗があると。私は芸人になるのがいいかどうかは、わからないですねぇ……。でも、芸人はめっちゃ楽しいと思うんです。芸人とか、ほかなんでも「表現をする」ってことは、ハマれば自分を救うこともあるな、と思います。

途中でグレて自分みたいになったらどうしよう? って思うこともありますが、それでもなるべく大卒はとらせてあげたいです。

今、私、保育士の資格を取りたいと思っているんですが、私は高卒じゃないですか。あとから保育士の資格を取るとなると大卒資格が必要な場合が多いんですよね。なので、少し前に通信制大学に入学しました。あのときは学歴の大切さがわかっていなかったけれど、子どもには選択肢を増やすという意味でも、勉強する意味をわかってもらいたいなと思います。

――よく言われるのは、お子さんに勉強してほしかったら、親御さんが楽しそうに勉強をしているところを見せるとか、お子さんの勉強がスムーズに行くように楽しげに手伝うとかすると効果的だと……。

紺野さん えっ、ホントですか!? これまでずっと勉強するときは子どもが寝てからと思ってて。じゃ、これから子どもの前でダラダラして動画見たりするんじゃなくて、一緒に勉強するようにします!

――幼少期の病気、算数ができなかった思い出、高校での退学経験、モデル事務所所属経験……、さまざまな軌跡があるからこそ、今の幸せをかみしめ、また勉強することの大切さを身にしみて感じている紺野ぶるまさん。そんなご自身の経験に基づいたお笑いや子育て、今後も楽しみですね!

前編では授業がつらかった幼少期、高校を退学になるまでのことを伺いました

ガングロメイクに、遅刻100回で高校退学になった芸人・紺野ぶるまさん「ダメな子」と思われるのが怖かった小・中学時代、その後貫いたギャルスタイルへの後悔
保育園でも小学校でも元気でおてんばな女の子 ――紺野さんは東京都三鷹市の生まれ育ちですね。どんなお子さんだったのですか? 紺野...

お話を伺ったのは

紺野ぶるまさん 芸人

日本テレビ「女性芸人No.1決定戦 THE W2017年より3年連続ファイナリスト、2024年準優勝。関西テレビ「R-1ぐらんぷり」2017年より2年連続ファイナリストなど、人気と実力を誇る女性芸人。X、Instagramにて育児4コマ漫画『毎日あーぷん』更新中!

YouTube こんのぶるま
Instagram @buruma_konno
X @burumakonno0930

衣装:
ブラウス¥8,990・スカート¥9,990(オンワード樫山〈UNFILO〉)、イヤリング¥1,900・リング¥1,300(カーツ〈BANDING〉)

お問い合わせ先〈協力社〉:
オンワード樫山(UNFILO)☎︎03-5476-5811
カーツ(BANDING)☎︎03-3486-0578

取材・文/三輪泉 撮影/小倉雄一郎 ヘアメイク/藤原リカ(ThreePeace) スタイリスト/青山絵美

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