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最近、職場の同僚から子どもが不登校であることを聞きました。学校に行こうとしないために、フリースクールの利用も考えたようですが、将来の確証が持てないことがネックになり、今のところは学校に行ってほしいと思っているとのことでした。
学校に行かないことは一般的な教育を受ける機会を失うことであり、社会人になる上ではハンディキャップになることを、親はわかっています。わかっているからこそ修正して、本来の道に戻してあげたいと思います。
一方で、子どもが学校に行きたくない理由は様々です。集団行動が苦手だったり、クラスメイトとの関係性になじみにくい・傷つきやすいといったこと、勉強についていけないということなどが考えられます。
また、子ども自身にも、理由がよくわからないというケースも少なくないのではないでしょうか。
なぜ、そう言えるのか。
それは私自身が不登校児だったからです。
私が不登校になった理由

自分の本音を言葉にして伝えない子ども
私は小学校の低学年から学校に行かなくなり、まれに保健室に顔を出すという状況でした。本格的に学校に通い出したのは、高校からです。その後、専門学校に進学して作業療法士の国家資格を取得し、他の人たちと変わらない社会人生活を送って来ました。
不登校になった当時、私自身も「なぜ学校に通えなくなったのか」が、よくわかっていませんでした。というのも、自分の感じていることや気持ちを言語化することができなかったからです。
とはいえ、特に言語能力が一般的な子どもよりも低かったわけではありません。幼い頃から自己肯定感が極端に低いために、自分の本音を言葉にして他者に伝える「自己開示」の機会が、ほとんどなかったことが理由だと思います。それには、私の親の関わり方が関係しています。
子どもの意見や考えを否定し、自分の考えを刷り込もうとする親
私の親は、とにかくアドバイスがしたい人でした。何かにつけて、子どもの考えや意見を否定した上で、自分の意見を刷り込もうとするのです。もちろん断じて悪意はなく、むしろ正しい考え方を教え込むことが愛情であり、ひいては子どものためになると考えていたのだと思います。
しかし、自分の意見や考えを否定され続けた結果、私は「人からどう思われているのか」を極度に気にする性格に育ちました。家庭内で、自分の本音を言葉にする機会がないために、自身が具体的に何を感じ、どうしたいのかが、わからなくなっていきました。
私が自己主張できないことをいいことに、一部の同級生からはからかわれたり、ひどい言葉を投げかけられました。最初は我慢していましたが、次第に疲弊し、やがて他者との関係性や社会的な活動の全般に対してストレスを感じるようになり、外出する意欲も尽き果て、学校を休むようになりました。
再び、学校に行き始めるまで

家に閉じこもった私を、親は何とか学校に行かせようとしました。しかし、学校に行かなくなった原因は解消されていないので、そう簡単に元の道に戻ることはできません。
では家にいて安心していたのかというと、全くそうではなく、この先の人生はどうなってしまうのかという不安を、頭の中で忙しく反芻させていました。
この状況が動くきっかけになったのは、親から何度も「学校に行かないまま大人になって、どうやって生きていくのか?」と問い詰められたことでした。
高校を卒業しないと就職するのは難しいことは知っていたので、自分の力で生きていくために、学校に戻らなければいけないと考えました。それはほんの少しイメージするだけでも頭痛や吐き気を伴うほど辛いことでしたが、最終的には自分で決断し、高校から通い始めました。
高校に通い始めた当初はひどい疲労に苦しみ、高校生活には辛いこともありました。ですが、その後は何人かの友人ができ、吹奏楽やバンド活動に取り組み、初めての彼女ができました。自分が社会生活を取り戻せたのは間違いなく、高校生活で出会った人たちのおかげだと考えています。
子どもが不登校になったときに、まずしなければならない3つのこと
学校に行かなくなることは、一般的な社会人への道筋から外れることでもあります。すると、将来がどのようになるのかが一気にわからなくなります。将来への希望が見出しにくく、不安を感じることもあるでしょう。
自立への歩みを進めなければならないとわかっていても、何を選んでも確証が持てない。そのような宙ぶらりんの状況が待ち受けています。この、何もかもがわからない状況で大切になるのは「とりあえず決める」ということです。
日々、子どもは大人へと変化し続けています。その中で「何も決めない」ことは、様々な機関からの支援を受けられる時間が減り、何も決めなかった時間分の成長機会を失っていることを意味します。
状況が膠着しているのなら、とりあえずでいいので、何をするのか・あるいはしないのか、を決めることが大切になります。そのためには、いくつかの条件を整える必要があります。
① 子どもと状況を共有する

一つは「状況を共有する」こと。具体的には「いつかは親が亡くなり、自分の力で生きなければならなくなること」と「今ある選択肢」についての情報共有です。
親が亡くなった後、自分の力で生きていかなければいけないことは、「不安」や「悩み」ではありません。それは、避けることができない「現実」です。その状況を共有することなしに、確証が持てない方向に足を踏み出すことはできません。
また、自分のことが客観的に見られず、社会を知らない子どもは、自分にどのような選択肢があるのかを知りません。知らないから決められないということも起こります。
学校との調整だけにこだわらず、社会人になるまでにどのような経路が選べるのかを、子どもと共有し、消去法でもいいので、まずは選んでみる。そこからでしか、物事は進んでいきません。
しかし、子どもが選ぶためには、それぞれの選択肢について、どのように感じ、考えるのかを、子ども自身が知る必要があります。負担が強すぎる選択肢は、避ける判断も検討するようになるでしょう。そこで次に必要なのが「子どもの本音や内面を言葉にするための支援」です。
② 子どもの本音や内面を言葉にするための支援をする

不登校になった理由には、大人が把握していないことがあるのが普通です。本人しかわからないことが多く、行動するのも本人なので、自身で考えて決める必要があります。
そのためには子ども自身が「どのように感じているのか」「どのような価値観を持っているのか」に、向き合うことになるのですが、子どもは自分の内面を知るための言葉を持ち合わせていません。言葉を通じて、自身の内面を知るための支援を、支援機関やカウンセリングなどを利用しながら行っていくのです。
③ 安易に判断せずに、支援する

そして、最後は「安易に判断せずに、支援し続ける」こと。
子どもが決めたことが、どのような結果になるのかは、わかりません。問題なのは、その合否を周りの人が判断してしまうことです。
あくまでも、子どもに必要なのは「とりあえず決めて」行動し、その結果を踏まえて、柔軟に行動を変えていくことです。合否を明らかにすることではありません。自身で決めた行動を通してフィードバックを得ながら、いずれかの方向に進み続ける限り、その決断に失敗はありません。
失敗と判断することは、本人ではない部外者の、個人的な意味付けに過ぎません。にも関わらず、そのレッテルは子どもの本音や行動を押し殺してしまいます。
どのような結果になろうとも、子どもの決断を支援し、協力を惜しまない。そのような親の態度が、子どもが自分の道を切り開き続けるための、心理的安全になるのです。
大切なのは、とりあえず決めること。そして柔軟な姿勢で向き合うこと
私の子どもには知的障がいがあります。今まで、将来のことに見通しを立てることは不可能で、希望を見出すこともありませんでした。その状況においても『とりあえず決める』ということだけを、今日まで行ってきました。
そして、親である私たちのこれからの社会もまた、不確実性にあふれています。
「とりあえず決め」ながら、その結果や状況を踏まえて、生活のあり方を変化させていく。物事に対して柔軟な姿勢で向き合う親のあり方が、子育てにも大きく影響を及ぼすのではないでしょうか。
記事執筆
医療の分野で20年以上のキャリアを持つ作業療法士。広汎性発達遅滞がある子どもを成人まで育てた2児の父。著書『障がいのある子どもを育てながらどう生きる? 親の生き方を考えるための具体的な52の提案』(WAVE出版) はAmazon売れ筋ランキング 【学習障害】で1位 (2025.6.6)。
障がいがある子どもの子育てはいつまで続くかわからない。
育児、教育、仕事、時間、お金、周囲との関係、親亡きあとの子どもの将来、そして自分の人生——— 親であるあなたのことを後回しにしないために。
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障がいのある子どもが不憫だし、そういう子どもを育てている自分も不幸なのでは———
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