太平洋戦争を生きのびた水木しげる
幼少期を鳥取県の境町(現:境港市)で過ごした水木しげる(本名:武良茂)。高等小学校を卒業後、大阪の印刷会社で働くも立て続けにクビに。画家を目指して学校に入り直そうとした試験も、面接で落ちてしまいます。
失意の中、追い打ちをかけるように、しげるに太平洋戦争の召集令状が。最前線である南方の島へ送られます。
Q.1 太平洋戦争で、日本のはるか南のニューギニア島に出征したしげる。部隊が全滅するなか、たったひとり生き残ったしげるは直前に何をしていた?
①ジャングルのなかで、夢中になってごちそうを食べていた
②現地の部族と仲良くなり、そこで寝泊りしていた
③沿岸を双眼鏡で見張るとき、美しい風景や鳥に見とれていた
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それでは正解について見ていきましょう。以下は『小学館版 新学習まんが人物館 水木しげる』から。



まんが/新井淳也 シナリオ/村上健司 監修/水木プロダクション 解説/ヤマザキマリ
『小学館版 新学習まんが人物館 水木しげる』より
問題の答え:③ 沿岸を双眼鏡で見張るとき、美しい風景や鳥に見とれていた
正確に言うと、しげるが見張りの番のとき、背後から敵が襲ってきたため逆に助かりました。本隊から派遣された分隊は全滅しましたが、ジャングルをさまよいながら5日間かけて、日本の本隊のもとへ戻ります。
その後、爆撃によって左腕を失ったり、一方で現地の部族と仲良くなったりしながら、終戦後の帰国のときを迎えました。美術学校に入ったり、縁あって水木荘というアパートを経営(これがペンネームの由来)したりしながら、紙芝居作家として働き始めます。
Q.2 戦後、紙芝居作家として“怪奇物”を描くように勧められたしげる。最初の鬼太郎はどんな話?
①悪い妖怪たちと一緒に人間の子どもを襲う話
②ヘビから生まれた主人公が、自分をいじめた人に復讐する話
③なんでも願いがかなうという幻のお札を探しに冒険する話
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正解はこちら。戦前に大ヒットしたという『墓場奇太郎』という怪奇物をヒントに生まれました。


まんが/新井淳也 シナリオ/村上健司 監修/水木プロダクション 解説/ヤマザキマリ
『小学館版 新学習まんが人物館 水木しげる』より
問題の答え: ② ヘビから生まれた主人公が、自分をいじめた人に復讐する話
しかしこの紙芝居は、怖すぎたようで肝心の子どものウケがよくありませんでした。
その後、紙芝居の衰退に伴い、東京に出てまんがを描くことにしたしげる。しかし原稿料を満足にもらえず、お見合い結婚したものの、極貧の生活を送ります。
細々と風刺まんがなどを描いていたところ、転機が訪れます。『別冊少年マガジン』に掲載した『テレビくん』がヒット。その後も順調に仕事がきて、『墓場の鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』と連載し、妖怪まんが家の第一人者となります。
Q.3 雑誌に連載していた鬼太郎をアニメ化する話がもち上がるも、スポンサーが反対。その理由とは?
①暗すぎる主人公のキャラにネガティブがイメージをもたれた
②鬼太郎はよいが、ネズミ男が不潔すぎるとして嫌がられた
③当時のタイトル『墓場の鬼太郎』の「墓場」が縁起悪いとされた
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『墓場の鬼太郎』アニメ化の障壁となっていたのは?




まんが/新井淳也 シナリオ/村上健司 監修/水木プロダクション 解説/ヤマザキマリ
『小学館版 新学習まんが人物館 水木しげる』より
問題の答え:③ 当時のタイトル『墓場の鬼太郎』の「墓場」が縁起悪いとされた
こうして『ゲゲゲの鬼太郎』が誕生しました。ゲゲが、先生の子どものころのあだ名ですね。
大ヒットにより多忙を極め、ある悩みを抱える…。 その後の水木しげるを知るには
『小学館版 新学習まんが人物館 水木しげる』
今回のまんがは伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」シリーズからの抜粋です。
2015年11月に93歳で死去した水木しげるは、自身の半生をつづったコミックエッセイを残しています。しかし、これまで水木しげるの生涯を、水木しげる以外のまんが家が描いたことはありませんでした。それが没後10年の節目を迎えるなかで、ついに解禁されたのです。
どんなに苦しいときも、「好きの力」を信じ続けた水木しげる。そんな水木作品の魅力を、『テルマエ・ロマエ』の作者で、水木しげるの大ファンとして知られるヤマザキマリ氏が解説します。
「クイズ! 水木しげる」幼年期編はこちら
構成・文/HugKum編集部
