
「詰む」はもともと将棋で使われている語
最近、中東情勢の悪化に伴うナフサの供給問題について、資源エネルギー庁のアドバイザリーグループのある委員の発言が話題になりました。テレビの報道番組の取材に応じて、「間違いなく、今の状況が続いたら日本は6月に詰む」と述べたというのです。
エネルギー問題の専門家ではない私が、この発言の正否を述べる資格はもちろんありません。ではなぜこの発言を話題にしようとしたのかというと、発言にある「詰む」という語について書きたいと思ったからなのです。
この「詰む」の意味が、「終わる」だとすぐに理解できた人はたぶん大勢いるでしょう。テストの成績が悪くて「今回の数学のテストは詰んだな」と言ったり、ロールプレイングゲームをやっていて先に進めなくなったときに「進める道詰んだ」と言ったり、物事がうまくいかなくなったとき「人生詰んだ」などと言ったりするときの「詰む」です。
「詰む」のこのような意味は比較的最近(おそらく今世紀になってから)広まったものです。ただ、「詰む」という語はもともと前方がつまる、行きづまるという意味ですから、最近使われている「詰む」も、“身動きがとれなくなって” “どうしようもなくなって”という状態におちいったうえで終わるというニュアンスがあるようです。将棋では、王将が囲まれて逃げ道が完全になくなることを「詰む」といいます。これも身動きができないような状況になるという意味から発展して、使われるようになったものです。
江戸時代から同じような意味で使われていた
この「終わる」という意味は最近広まったと書きましたが、実は江戸時代にもそのような意味で使われた「詰む」の例があります。井原西鶴が書いた『本朝桜陰比事(ほんちょうおういんひじ)』(1689年)という浮世草子(うきよぞうし=現実の世相を写実的に描いた小説)に次のような一節があります。
「身をふるはせ又は赤面して、たづぬる事の返事も仕りかね、此分にてもせんぎつみがたし」
体をがたがたと震わせたり顔を赤くしたりして、尋問に対して返事もできず、この分では詮議はどうしようもなくなってしまった、という意味です。この「詰む」は「行き詰る」という意味に近く、最近の意味とはニュアンスが少し違います。でも、「詰む」の終局にいたる、終わるという意味はけっこう古くからあったことがわかります。
ただ、「数学のテストは詰んだな」「進める道詰んだ」「人生詰んだ」といった現代の使い方は、俗語的な印象がありますので、使う場面は注意したほうがよさそうです。
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記事監修

辞書編集者、エッセイスト。元小学館辞書編集部編集長。長年、辞典編集に携わり、辞書に関する著作、「日本語」「言葉の使い方」などの講演も多い。文化審議会国語分科会委員。著書に『悩ましい国語辞典』(時事通信社/角川ソフィア文庫)『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)、『一生ものの語彙力』(ナツメ社)、『辞典編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)。監修に『こどもたちと楽しむ 知れば知るほどお相撲ことば』(ベースボール・マガジン社)。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』にも、日本語のエキスパートとして登場。新刊の『やっぱり悩ましい国語辞典』(時事通信社)が好評発売中。
