
「役不足」は、本来の意味が揺れている語
みなさんは「役不足」をどういう意味で使っていますか?
本来の意味は、「(1)本人の力量に対してその役目が軽すぎること」です。でもひょっとすると、「(2)本人の力量に対して役目が重すぎること」という意味だと思っていませんでしたか。
(2)の「本人の力量に対して役目が重すぎること」は本来の意味とは異なる意味であるため、多くの国語辞典は「誤用」「誤り」としています。
でも、最近はこの(2)を新しい意味として載せる辞典も出てきました。なぜそのようなことが起きているのかというと、「役不足」は意味が揺れている語だからです。
先ごろ発表された文化庁の令和6年度「国語に関する世論調査」でも、本来の意味の(1)「本人の力量に対してその役目が軽すぎること」を選択した人が45.1パーセント、本来の意味ではない(2)を選択した人が48.9パーセントと、逆転した結果が出てしまったのです。もちろんこの調査だけで判断はできませんが、本人の力量に対して役目が重すぎることという意味が広まっていることは確かなようです。
「力不足」と混同されて、本来とは違う意味が広がった?
では、なぜ「役不足」に本来とは異なる意味が生じたのでしょうか。それは、似たような語の「力不足」のせいだろうと考えられています。「力不足」は、与えられた役目を果たすだけの力量がないことをいいます。つまり、「役不足」は「本人>役目」ですが「力不足」は「本人<役目」という関係になります。正反対の意味の語だと言ってもいいのですが、どちらかといえば「力不足」の方が自分の力量を謙遜していう場面でよく使う語であるため、混同してしまったのかもしれません。
ただ、この混同はけっこう古くからあったようで、たとえば太宰治の『新ハムレット』(1941年)でも「役不足」を次のように使っています。
ホレ「いやしい声を、お耳にいれました。どうも、此の朗読劇に於(お)いては、僕は少し役不足でありました」
(注:ハムレットの学友「ホレーショー」のこと)
ここでの「役」は演劇の配役のことですが、自分の力量が配役に及ばない、すなわち「本人<役目」の意味で使っています。太宰が使っているからということではなく、「役不足」の新しい意味は今後も広まっていくだろうと思います。
ただ、やはり本来の意味を大事にしたいという方は、「役不足」は「役が不足している」と覚えておくといいかもしれません。
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記事監修

辞書編集者、エッセイスト。元小学館辞書編集部編集長。長年、辞典編集に携わり、辞書に関する著作、「日本語」「言葉の使い方」などの講演も多い。文化審議会国語分科会委員。著書に『悩ましい国語辞典』(時事通信社/角川ソフィア文庫)『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)、『一生ものの語彙力』(ナツメ社)、『辞典編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)。監修に『こどもたちと楽しむ 知れば知るほどお相撲ことば』(ベースボール・マガジン社)。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』にも、日本語のエキスパートとして登場。新刊の『やっぱり悩ましい国語辞典』(時事通信社)が好評発売中。