重度身体障害者の恋愛の現実。批判を浴びても発信しつづける「障害者と性」【28歳の寝たきり系男子・ウッディさんが語る日々のリアル②】

唯一動かせる右手を使って、不特定多数の人に向けてコミュニケーションを取りながら、Xやnoteで一人暮らしのリアル、そして日々考えていることなど積極的な発信をつづける、寝たきり重度身体障害者・ウッディさん。とくに「障害者の性」については当事者としての悩みを赤裸々につづり、多方面から反響を呼んでいます。
今回は今のウッディさんの明るさを育ててくれた高校時代の恩師や苦い恋の思い出、そして障害者の性と恋愛についてお話をうかがいました。写真/©Kasane Nogawa

※この記事は『右手の指先だけで夢をかなえる 寝たきり系男子ウッディの日々(ウッディ 著・集英社)』の一部より抜粋・再構成しています。

僕が恋愛に前向きになれない理由

高校生のとき、僕には彼女がいました。

会うとしたら、学校か、病棟に会いに来てくれるかのどっちか。僕自身は会えるだけでうれしかったけど、逆の立場で考えると、どう思ってるんだろう? と毎回心苦しくなっていました。

どこかに一緒に遊びに行くことはかなりハードルが高い。行けたとしても親や介助してくれる人と行く場合が多くなるので、それもしんどい。当時、このことをかなり悩んでいた気がします。

特に苦しかったのは自分の意思で人に触れられないこと。

高校生なので異性に触れたいとか、イチャイチャしたいとか、そういう欲求はありました。それをその都度相手に言葉で伝えないとできないのって意外と苦しい。

まあ、僕が奥手すぎたのもあります(笑)。

でも、女性経験も少なくて、何もわからない中、これって結構なハードルだったんじゃないかな、と今となっては思います。

泣いている彼女になにもできなかった悔しさ

身体が動かないことでいちばん辛かった出来事があります。それはある日、学校で彼女が泣いていたとき。

泣いていた理由は置いておいて、泣きながらうずくまっている彼女を横目に抱きしめることも隣に座ることも、触れることさえできなかった。

言葉はかけられるけど、やっぱりそれ以上に肌に触れるってコミュニケーションの上で大切なことだと思うんですよね。このとき、自分だけで完結する悩みの何倍もの苦しさを感じたのを覚えています。

障害を持った人生の中でいちばん辛いのは、間違いなく自分だけじゃない誰かとの問題に病気が関与したとき。病気が本当の意味で「障害」になるのはその時だと僕は思っています。

自分一人で出かけられないことに加えて、親や介助者がいないと友達や好きな人と遊びに行くことさえ難しい。自分が置かれた状況として我慢しなければならないことではあるけど、年頃の男の子にとって、彼女と行きたい場所があるからついてきてくれ、と親に言うのはかなり嫌なのも事実です。

出会いを求めてマッチングアプリも経験

大人になった今もぶち当たって悩む壁はある。大人になれば出会う手段も遊べる場所も増えるから、本来楽しいはずだとは思う。けれども。

例えば出会いの場を持つためにマッチングアプリをしたとする(実際僕もやっていました)。

ここでもやはり、自分だけで出かけられないという問題にぶち当たる。相手とマッチングして、会う約束もできて出かけようとしたとき。身だしなみを整えるために入浴をしたくても、何人か介助してくれる人がいないとできない。着替えにも時間だけじゃなくて、周りの人も自分も結構な労力を必要とする。すると一つ一つの作業がすごく高い壁のように感じる。

そもそもお風呂も毎日入れるわけじゃない。そんな中で人と会うのは気も遣うし、自分自身あまり気分は良くはない。外出には人の手が必要になるから、家に来てもらって会うことも考える。だけど、マッチングアプリで知り合って、会ったこともない人をいきなり1対1で家に入れるのは怖いし、相手も怖いだろうなと思うから微妙。

そんなことを考えていると時々心がしんどくなることもあります。この手の悩みは出会った後も続く。むしろ人間関係の数だけ悩むのかもしれない。自分が何をどう許容するか、何を選択して何を我慢するか。そして、自分は何ができるのか、どんな工夫ができるのか。結局そういうことなんだと思う。

できないことばかりに向き合ってもしょうがない。けれど、人との関係を育む以前に、実際こういう壁がある。僕自身、人と出会いたい気持ちは強いけど、今は恋愛をしたい気持ちはありません。一人で自由にやりたいことがあるから。それに収入も安定していないので、経済面での自信のなさもある。

そして、僕はここで書いたようなことが、自分の中で「負い目」のように頭をよぎるのです。自分がただ人を好きになってお付き合いをしたとき、相手に負担をかけてしまうのではないか。我慢をさせてしまうのではないか。そんなことがずっとよぎる。たとえ相手が気にしていないとわかっていても、です。

今は恋愛に向かうつもりはないけど、この不安や負い目が頭をよぎっても、それでも一緒にいたい人に出会えたとき、僕はまた前に進めるのかなと思います。

「障害者と性」についてはこれからも発信していく

©Kasane Nogawa

僕がnoteで記事を100本以上書いてきた中で、ダントツの反響と売り上げがあったのは「障害者の性」に関する記事でした。様々な業界、境遇の方に読んでいただき、たくさんのメッセージも届きました。

その中には、一部ではありますが否定的な意見もありました。

「あなたは自分が悩んでいたことが解決して、自慢したかっただけなのではないか」

「もうこの類のテーマは見たくない」

「気持ち悪い」

「本当に必要なことなのか」

など、厳しい声も頂きました。否定的な意見の要因には、僕の書き方や表現の仕方、文章力などもあると思いますし、こういった意見に対して怒りはありません。ただ、一つだけ言いたいのは、これからもこのテーマに関して僕は発信を止めることはありません、ということ。

好意を持った人間同士なら、触れ合いたい、時間を共有したい

「性の話」とひと括りにしても様々な意味、テーマがあると思います。恋愛的な人との関わり。性的欲求との向き合い方。自己との向き合い……。

このテーマに触れると必ずいただく言葉が「性欲は解決しなくても死なないだろ」というもの。確かに性欲が原因で人は死にません。食欲とは違って、命が脅かされる問題ではない。でも「生きていていいんだ」と自己を肯定するには結構大切なことなのかなと僕は思います。

性欲とひと括りにしても人によって様々な想いやゴールがある。ここで書いていることは、ただ一方的に性的欲求を発散したい、という話ではありません。

相手と話したい。好意を持った人間同士、触れ合いたい。自分を認めてほしい。大切な人と時間を共有したい。など、何かを満たしたいというよりも、今生きている世界の中でぽっかり空いている穴を埋めたい、そんな想いの方も多いのではないでしょうか。

ずっと抱えてきた性の悩み。自分なりの選択肢で受け入れてもらえる経験を積んできた今

なぜこう思うようになったかというと、自分自身がそうだったからです。性の悩みをずっと抱えてきた僕は、同時に心の奥底で、自分はただでさえ人に迷惑をかけて生きている。だからワガママを言ってはいけない。その上でこの問題さえ解決したらこれ以上求めるものはないや、とさえ思っていました。

性の問題に対する選択肢をつくり、少しずつ解決していく中で、そして様々な人と関わり、触れ、受け入れてもらえたことで「自分が思う道を生きてていいんだ」と思えるようになった。大袈裟かもしれないけど「この社会にいてもいいんだ」とさえ感じました。

人によって事情や想いは様々だろうけど、このことでしか埋まらない穴がきっとあると思います。

僕が発信している内容は「性問題における障害者の生きにくさ」です。でも、社会が全てを受け入れ、福祉サービスとして全面サポートしてほしいかというと、そうではない。ただ、「声を出しやすい風潮」がもっとあればいいなと思うのです。人と恋愛をしたいのなら自身が変わらなければならない。女性と会いたいのであれば自ら会える環境をつくらなければならない。

人と話したいのであれば外に出ないといけない。そこには障害者も健常者も関係ない。自分がしたいことには自分からアプローチをしないといけないのは当たり前。ただ、決して障害者だからって我慢しないといけないことではない。求めてはいけないことでもない。

世の中の障害者の中には「したいこと」さえ声に出せない人がたくさんいる。この話題は特にそう。誰もがしたいことをしたいと言えるそんな世の中になってほしい。そして、障害者であっても、自らの行動に自らが責任を取れる世界であってほしい。そのために一つの歯車になれたらうれしいので、僕は発信を続けます。ずっと悩んできたからこそ、いつか大きな何かを変えられるように。

今の自分をつくってくれた高校時代の恩師

忘れられない先生がいます。それは、高校時代の3年間担任していただくことになったH先生。そしてこのH先生が、大人になった今も僕が尊敬している人になります。

印象に残っているのは入学式の日。「あなたたちはこの3年間で勉強よりも学ぶことがあります。それは心臓に毛を生やすこと。勉強も大切だけど、それ以外で人に何か誇れることや、人前に出る心の強さを身につけてください」と先生から言われました。

結果から言うと、うちのクラスはマジでメンタルつよつよ生徒が多く育つことになります。この先生が僕たち生徒をグイグイ引っ張って、積極的に前に出るように働きかけていてくれたから、だんだん慣れて、自分から積極性を出せるようになった生徒が増えたのだと思います。

高校1年生のある日のことH先生に呼ばれました。

「今度、県民ホールで県立学校の生徒が集まるイベントがあるんだが、代表で登壇して学校の魅力をアピールしてみないか? いや、というか拒否権はないんだが。ガハハ!」

「嫌ですよ! てか、どんくらいの規模の会場なんですか? それ」

「え、多分、2000人……くらい?」(ふぁっっっっ!? 何言ってんのこの人……!)

そして迫りくるあのとんでもない日……。そんなに長くないセリフではあったものの、何回も練習しました。いよいよ当日です。スピーチをする僕と、スピーチの間、隣で学校名を書いたプラカードを掲げる役目のクラスメイトが出演者として朝早くから招集され、会場でリハーサルをしました。他のクラスメイトのみんなは観客として参加です。

しかし、2000人規模の会場ってめちゃくちゃデカい……。壇上に上がって客席を見渡すとなおさらデカく感じるのです。「やべえ……」緊張しつつも、同時に「めちゃくちゃ練習して何回も確認して、もう大丈夫だ」。そう思いました。ええ、このときは……。

いざ本番を迎え、僕の学校名が呼ばれ、登壇して前を向いたとき。リハーサルとは別世界が広がっていました。ステージの上のこちら側は明るいので、客席側はあまり見えない。でも、こちらを見つめる聴衆の方々の目が光って見えるのです。しかも、めちゃくちゃ人数がいる……。

その人数の圧に押された瞬間、あんなに練習して、頭に叩き込んだセリフが一瞬で飛びました。体感的にはめちゃめちゃ長い時間が流れたように思いました。でも実際には10秒に満たない時間だったのかもしれません。言葉を失って、身体がすくんでしまいました。

ネットの発信やコミュニケーションに抵抗がない自分をつくってくれた「黒歴史」

「ウッディ@人工呼吸系男子」として発信しているXのトップ画像

そんな中で冷静さをギリギリのところで取り戻し、なんとかアドリブでセリフをつくり変えて、あいさつを言い切りました。これは僕の黒歴史とも言えるし、過去イチやらかした出来事。

でもこの失敗は、案外悪いことばかりではなくて、いい作用ももたらしました。あんなでっかい会場でやらかしたおかげなのか、不思議とそれ以降、校内のイベントで人前に立っても全く緊張しなくなりました。結果、あがり症を克服できたのです。度胸もついたのか、その翌年は生徒会長も務めることになりました。

今、ネットの世界でとんでもない数の人たちとコミュニケーションを取りながら自分の話をしたり、発信したりすることができるようになったのは間違いなくこの高校時代があったからだと思っています。

ちなみに、この担任のH先生は女性です。想像できるかもしれないですが言葉遣いは荒かった(笑)。今も僕の活動を見守ってくれています。

ウッディさんが一人暮らしを実現するまでの道のりを語る前編はこちら

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1人暮らし4年目の僕は、寝たきりの重度身体障害者です ©Kasane Nogawa 僕は身体も手足もほとんど動きません。人工呼...

教えてくれたのは

ウッディ @人工呼吸器系男子

脊髄性筋萎縮症という難病を生後間も無く発症。 25歳の春に2年半かけて準備をして一人暮らしをしています! 右手の指先しか動かないこの身体で人生を謳歌する! 

ウッディ 集英社 1980円(税込)

脊髄の運動ニューロン(脊髄前角細胞)と呼ばれる神経細胞の変性によって、筋力低下と筋萎縮を引き起こす進行性の難病「脊髄性筋萎縮症(SMA)」 を生後間もなく発症。現在は、寝たきりで一人暮らし生活を送るウッディさん。唯一動かせる右手の指先とスマホを駆使してXやnoteなどで日々の暮らしのリアル、障害者としての考えや想いなどを積極的に発信中!
これまで投稿した記事に加筆修正を加えた、初の書籍が刊行。

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構成/国松薫

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