右手しか動かせない重度身体障害者が一人暮らしを実現させるまで【28歳の寝たきり系男子・ウッディさんが語る日々のリアル①】

現在大阪で一人暮らしをしている28歳男子・ウッディさんは、生後間もなく「脊髄性筋萎縮症(SMA)」を発症。指定難病の脊髄性筋萎縮症は進行性の病気。いずれ指先を動かすことも、しゃべることもできなくなると言われます。
ウッディさんは唯一動かせる右手を使って、Xやnoteで寝たきり生活のリアル、障害者としての考えを発信中。そしてこのたび、noteに投稿した記事に加筆修正を加えた初の著書『右手の指先だけで夢をかなえる 寝たきり系男子ウッディの日々』が出版されました。そんなウッディさんに子どものころからの夢である「一人暮らし」をどのように実現させたのか。経緯をうかがいました。写真/©Kasane Nogawa

※この記事は『右手の指先だけで夢をかなえる 寝たきり系男子ウッディの日々(ウッディ 著・集英社)』の一部より抜粋・再構成しています。

1人暮らし4年目の僕は、寝たきりの重度身体障害者です

©Kasane Nogawa

僕は身体も手足もほとんど動きません。人工呼吸器もつけていて、生活の全ての動作に他の人の手が必要です。

そんな僕ですが、2023年の3月に愛媛県で一人暮らしを始めました。そして、今は大阪に引っ越して一人暮らしを続けています。

小学生から高校生の間(9歳から18歳)、僕は実家のある愛媛を離れて、香川県の病院に入院していました。入院期間は9年間。高校卒業とともに退院し、実家に戻りました。

この9年間は自分の生活基準や考え方がかなり形成された時期です。いくら家族とはいえ、9年間離れていて、再び一つ屋根の下で暮らし始めると当然生活スタイルや考え方の違いでぶつかりました。親子だからこそ言葉が強くなりすぎたり、腹が立ったりする状況がとても苦しく辛かった。

今振り返ると、当時は障害者雇用で会社員として働いていた時期でもあったので、自分自身にも余裕がなかったな、と思います。2年ほど会社勤めをしていたものの、体調やメンタル面の不調により退職しました。

このまま何もできずに、ただ死んでいくのか……?

気管切開をしているので、この吸引機で1日数回の吸引が必要です。 ©Kasane Nogawa

当時、僕は22歳。

「このまま何もできず、身体の病気も進み、ただ死んでいくのか……?」と考えるようになりました。

何がどう変わるかなんて想像もできなかったし、自分が変われるとも思っていなかった。だけど、ただただ何かしないといけないという気持ちだけがありました。怖さや様々な心理的な抵抗はあったものの、まずは人とつながるところから始めようと思いTwitter(現X)を始めました。

今まで障害を持つ人との関わりが少なく、友達や知り合いもほとんどが健常の人ばかりでした。ネットの世界で自分以外の様々な障害を持つ人の存在に触れると、これまでは想像できなかったほどアクティブな方が多く、少しずつだけど考え方も変わっていきました。特に強く印象に残ったのは、重度の障害を抱えながらも一人暮らしをする方が意外と多くいたこと。

子どもの頃からの夢は一人暮らし。 1本の映画との出合いで固まった決意

『こんな夜更けにバナナかよ 愛しき実話』(DVD/発売 松竹)

子どもの頃に漠然と思い描いていた夢は、親から離れて一人暮らしをすることでした。その当時の気持ちを思い出しました。

でも自分には無理だろうと心の奥底にずっと隠し続けていた夢でした。ずっと周りの目を気にして、自分のやりたいことに意思表示ができていなかった。子どもの頃からそうだったかもしれません。

何よりも寝たきりで、自分一人で生活のことを何一つできない僕が、言ってもいいのか。ここがいちばん悩みました。そんなときに出合ったある映画があります。

『こんな夜更けにバナナかよ』(2018年)という映画。筋ジストロフィーを患う鹿野靖明さんという方が、どのような人生を送られたのかが描かれた映画です。

自分の人生をどう生きるのか。何を思って、何を希望するのか。そんなことを悩んでいた僕にとって、この映画はなりたい自分の未来を見ているようでとても輝いて見えたのです。この映画を観てから特に道筋が定まった気がします。

これからどう生きていこう。身体が動けるうちに何をしたいか。

周りの人、特に家族にはとても迷惑をかけるかもしれない。多くの人に協力をお願いすることになっても、それでもやりたい目標ができたのは人生で初めてでした。

だからそのときに決めた。「自分の人生を賭けてでもチャレンジしよう」と。絶対に何かあっても諦めないでいようと。

進行性の難病を抱えた上で、長い期間の目標を立てて進む。それは身体の状況次第で急にできなくなることもあるということ。人と時間の流れ方は違う分だけ、失敗したときのリスクが高い。だからいろんな意味で「人生を賭ける」つもりでした。

一人暮らしを決意。父にどう伝えよう…。3ヶ月悩んで胃腸炎になった

やりたいことに向かって少しずつ動きだしたものの、一つだけどうしても乗り越えられない壁がありました。それは父に一人暮らしの希望を伝えること。

重度の障害を持っている僕が、人生を大きく変えたいとき、年齢にかかわらず必ず家族の理解と協力が必要になります。同時に父が応援、賛成してくれないことを強引に押し通したくはなかった。

だから少しでもわかってもらえるように、事前に一人暮らしに必要な物事を調べたり、いろんな方に話を聞いたりもした。伝えるために、自分ができる最大の準備はした。でも面と向かっては言えませんでした。悩むこと3ヶ月……毎日悩んでいたので、しまいには胃腸炎になります……。

「推し」の中田花奈さんの乃木坂46の卒業に背中を押され、父に決意表明

そんなとき、ある出来事が起こります。

アイドルの中田花奈さんが乃木坂46から卒業することが決まったのです。それはそれでオタクとしてはショックでしたし、複雑な想いもありましたが、同時に「推しが新たな一歩を跨み出すタイミングで僕も人生のスタートを切ろう」と決意。

中田花奈さんが卒業したのが2020年10月25日。推しの卒業と同じ日に一人暮らしをしたいというカミングアウトまでするのは、さすがにメンタルが耐えられる気がしなかったので(笑)、その2日前。10月23日に手紙を渡そうと決めました。

当時まだ、今より動いた右手で、3日かけて手紙を書いた。手紙を書いたものの、今度は渡すのが怖くなった。けれど、なんとか「自分が寝た後に読んで」とだけ伝えて渡すことができました。

朝起きると神妙な顔をしている父。何を言われるのか。心臓が口から出そうとはまさにこのときのことで、ドキドキが止まらなかった。父はひと言だけ。「サポートはするから、やるだけやってみろ」と言ってくれました。

2年半の準備を経て愛媛で一人暮らしを実現。人とのつながりとスマート家電で夢を叶えた!

玄関の様子。アプリと連動するインターホン(中央)を設置している ©Kasane Nogawa

結果として一人暮らしの準備にかかった期間は約2年半。そこではたくさんの問題が出ました。大きな問題点だけを簡潔に書くと次の通り。こまごました問題を含めると数えきれないほどあります。

  • ・地元に障害者で一人暮らしをしている先駆者的存在を知らなかったため、ノウハウがなかった。
  • ・僕が住んでいる場所には、当時夜間訪問してくれる事業所がなかった。
  • ・24時間、365日動いていなければならない人工呼吸器を、どう管理していくのか、リスク対策をする必要があった。
  • ・地域的にバリアフリー物件はほぼ皆無で、手当たり次第探さないといけない。
  • ・夜間は一人になる時間が長いので、何かあったときに手が不自由な自分でも確実に助けを呼べる連絡手段の確保が必要。

まず、実家暮らしのときに、日中来てくださっていたヘルパーさん、訪問看護師さん、訪問入浴の事業所の方々が引き続き来てくれることになり、夜間訪問については、最終的にこれまでお世話になっていた事業所が引き続き対応してくれることになりました。事業所が決まってからは、実家で暮らしている間に、一人暮らしのシミュレーションをし、なんとか最低限の生活ができるということが確認できてから、ようやく一人暮らしをスタートできるようになりました。

態勢は整っても苦労した物件探し。手当たり次第に不動産会社をあたりました

一人暮らしをする物件については様々な機関に相談しましたが、バリアフリーで探すと、そもそも物件自体が存在しないし、予算的にも難しかった。結局、自分で手当たり次第不動産会社にあたりました。そんな中、実家から遠くない場所で条件に合う物件を見つけたので、即不動産会社に問い合わせをし、事情を全て話しました。

物件のオーナーにも最終的に承諾を頂き、なんとか話が決まりました。内見にはまず父と一緒に行きました。一人暮らしを始める9ヶ月前。父が一人暮らしを承諾してくれたときから2年経っていました。

最後まで問題となったのが緊急時の連絡手段。僕は基本的におでこに手を置いていて、顔の周りしか手が動かせません。だから何かしらの衝撃で顔から手が滑り落ちると、途端に手が使えなくなります。

そうなったとき、音声だけで連絡を取る方法はないか、試行錯誤、iPhoneを駆使しながらいろいろな設定を試して、手を使わなくても連絡を取れるようにしました。

今の生活の中で使っているスマート家電をまとめておくので参考になればうれしいです。

  • ・スマホから電源プラグのオンオフを切り替えられるプラグ(スマホの充電をしっぱなしにしないために使用)
  • ・玄関の開閉をスマホまたは音声でできるスマートロック
  • ・家電のリモコンを全て記憶できてスマホから家電が操作できるようになるSwitchBot
  • ・これら全てを音声で操作できるようにするスマートスピーカー(アレクサ)

こういった工夫を重ねて、今、問題なく生活ができています。

地元を出て一人暮らしをしたい! 情報収集にSNSやYouTubeの発信を本格化しました

©Kasane Nogawa

愛媛で一人暮らしをするためにかけた時間は約2年半。たくさんの方々に力を借りて、助けてもらって実現することができました。それから一年。僕は大阪への移住を考えるようになりました。

2024年の年明け、僕は新型コロナウイルスに感染しました。そのときは父が元気だったから良かったけど、「あ、これ二人とも倒れたらやばいな……」と思った。それが大阪移住の目標に向かって動き出したきっかけでした。父が今ほど動けないことを想定したとき、住んでいる場所が田舎の方なので取れる対応策の選択肢はそれほど多くない。

まず、このまま一人暮らしは成り立たない。父に変化があるということは、実家での生活も多分厳しい。おそらく僕は施設に入ることになるでしょう。施設に入ること自体を否定はしていない。いずれはそうなる可能性は高いし、それはそれで安全な暮らしはできる。

でも……でも……。その前にやりたいことはたくさんあるし、やれる体力はギリギリある。だからまだ選択肢に入れたくない。父に万が一のことがあった場合、父以外の人の確保が大きな問題になります。

そう考えると、ある意味では愛媛の暮らしは今の状態が常に最高。裏を返せば、日を追うごとに、年を増すごとに、日々生活の安定は厳しくなると肌で感じました。

だから地元を出ようと思いました。都会に出たからと言って人手不足やその他のリスクは拭いきれない。でも圧倒的に選択肢はつくれる。そして父も元気、僕もまだ動ける。いつか、きっと、この選択が父の生きる道のためにもなると信じているし、そうさせる。

僕自身ができるせめてものことが、「生きる力をつける」こと。それしかないかなと思い、SNSやYouTubeなどの活動も本格化させたのもこの時期です。

大阪に引っ越して変わった介護への意識。生きる自信がついた気がしています

物件探しで苦労したものの、2025年11月29日土曜日。福祉車両をレンタルして、父の運転で愛媛を出ました。無事、引っ越しを終え、今、大阪で暮らしています。

自分自身の考え方も大きく変わることになった、大阪と愛媛との違いがあります。それは携わってくださる方々から受け取る印象の違い。

大阪に来てからは、より「28歳の成人男性」として生きている気がします。

愛媛にいるときのイメージは訪問看護師さんやヘルパーさん、様々なサービスの方がチームとなっている。その中心に僕がいました。周りの方々が安全第―で、「万が一」がないように中心の僕を守りながら、囲ってくれているイメージ。もちろん本人の意向や意思は聞いてくださるけれど、チーム全体としての最善を選ぶ。そんな感覚がある。

大阪でももちろんチームを組んで、たくさんの方に支えてもらって、安全に、そして常に危険を排除しながら携わっていただいています。けれど、チームのど真ん中に自分がいる感覚ではない。先頭に自分がいる感覚がする。

僕自身のあれをやりたい、これをしたいという、そんな想いを最大限に叶えようと動いてくださる。そう、進む方向を自分で決めている感覚が強い。リスクがあるからやめよう、ではなく、面白そうだから話し合いながらやってみよう! そんな感覚が大阪の方々には強い気がする。

何をしたいか、どう生きたいか。どう身体の残り時間を使っていくのか。そんなことを考えるようになった今の自分。生きる自信が出てきたからこそ、大阪の環境が合っているのかもしれない。

「障害者は家にいろ」という言葉に対して思うこと

これから書くことは当然のことながら「僕の主観」が100%です。障害者がみんな同じ気持ちというわけはない。なんなら僕は少数派なのかもしれない。このことを理解していただいた上で読んでもらえたらと思います。

「障害者は家にいろ」という言葉はリアルの世界では面と向かって言われることはほぼないものの、ネットの世界では実は身近に、頻繁に飛び交う言葉です。

このような言葉に対して、100%の怒りを覚えることが僕にはできません。それはなぜかというと、もし自分が健常者として生まれたとして、障害者や福祉に全く触れることなく生きていたとしたら……。どこまで知らない世界に対して許容できるのだろうと思うのです。

社会の多くの人は障害者のことを知らない。だから、知ってもらうことから始めよう

「知らない」は「恐怖」、「嫌悪」になりやすい。僕はそう思います。知らないから傷つけやすく、知らないから切り捨てやすい。障害者にいいイメージがなく、むしろ嫌なイメージを抱いている人も中にはいると思います。ネガティブな感情を抱くのは「よく知らない」ということが大きいのかなと思います。

社会をつくる多くの人は、自分たち障害者のことを知らない。
そして、知ろうと思わない人も多い。
差別意識の前に、知ろうと思わない。

これは事実としてあるのかなと思います。その中で自分のような障害者が生きやすくなるには「知ってもらう」しかないと思います。

厳密に言うならば、理解してもらうのではなく、まず知ってもらうこと。どう違うかと言うと、理解してもらうには相手の方にこちらを向いてもらう必要がある。理解まで求めるとなかなかハードルが高くなる。でも、ただ知ってもらうだけなら少しハードルが低くなる。僕はそう思います。

後編はこちら。批判されても「障害者と性」について発信し続けるワケとは

重度身体障害者の恋愛の現実。批判を浴びても発信しつづける「障害者と性」【28歳の寝たきり系男子・ウッディさんが語る日々のリアル②】
僕が恋愛に前向きになれない理由 高校生のとき、僕には彼女がいました。 会うとしたら、学校か、病棟に会いに来てくれるかのどっちか...

教えてくれたのは

ウッディ @人工呼吸器系男子

脊髄性筋萎縮症という難病を生後間も無く発症。 25歳の春に2年半かけて準備をして一人暮らしをしています! 右手の指先しか動かないこの身体で人生を謳歌する! 

ウッディ 集英社 1980円(税込)

脊髄の運動ニューロン(脊髄前角細胞)と呼ばれる神経細胞の変性によって、筋力低下と筋萎縮を引き起こす進行性の難病「脊髄性筋萎縮症(SMA)」 を生後間もなく発症。現在は、寝たきりで一人暮らし生活を送るウッディさん。唯一動かせる右手の指先とスマホを駆使してXやnoteなどで日々の暮らしのリアル、障害者としての考えや想いなどを積極的に発信中!
これまで投稿した記事に加筆修正を加えた、初の書籍が刊行。

構成/国松薫

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