忠犬ハチ公とは
東京・渋谷駅前の銅像のモデルとして有名な「忠犬ハチ公(ちゅうけんはちこう)」は、どのような犬なのでしょうか。ご存じの方も多いと思いますが、忠犬ハチ公は実在した犬です。飼い主や犬種について見ていきましょう。
大学博士が飼っていた犬
忠犬ハチ公の物語といえば、亡くなった飼い主をいつまでも待ち続ける忠義に厚い犬の感動的な話です。
この物語の主人公は、東京帝国大学(現在の東京大学)で農学部の教授だった上野英三郎(うえのえいざぶろう)博士が飼っていた犬です。名前はハチですが、博士の教え子たちが恩師の飼い犬を呼び捨てにすることをはばかり、「公」を付けてハチ公と呼びました。
犬種は「秋田犬」
ハチの犬種は、秋田犬(あきたいぬ)です。天然記念物指定の日本犬で、飼い主に忠実な性格が特徴です。ただしハチが生まれた頃は、まだ「秋田犬」という犬種名はありませんでした。
秋田犬の祖先は「マタギ犬」と呼ばれる猟犬です。大型で従順なマタギ犬は、秋田地方の猟師のよい相棒として活躍していました。
明治時代以降に外来犬が入ってくると、交配が進んで純粋なマタギ犬は激減します。大正時代に入ると、純粋な日本犬への関心が高まり、保存のための改良が行われました。1931(昭和6)年には、9頭の犬が天然記念物の指定を受け、「秋田犬」が犬種名として正式採用されたのです。
博士との出会いから最期の日まで
ハチは秋田犬らしく、主人の上野博士にとても忠実でした。博士との出会いから亡くなるまでの、ハチの生涯を紹介します。
ハチと博士の出会いは、教え子経由
ハチは、1923(大正12)年11月に秋田県大館市大子内(おおしない)の斎藤家で、父「大子内山号」・母「ゴマ号」との間に生まれました。
斎藤家の主人は、上野博士の教え子である世間瀬千代松氏の部下の知人です。博士が純系の日本犬を探していることを聞いていた教え子は、斎藤家からハチを譲り受け、博士に贈ることにしました。
翌年1月、生後約50日のハチは、鉄道で長時間かけて東京まで運ばれ、博士と出会います。
博士との蜜月は、1年半程度
博士はハチをたいへんかわいがり、一緒に食事をしたり、夜は自分のベッドの下に寝かせたりして育てました。やがてハチは、渋谷区松濤(しょうとう)の上野宅から、渋谷駅や駒場(こまば)にある大学まで、博士を送り迎えするようになります。
しかしハチの幸せな生活は、突然終わります。1925(大正14)年5月21日、博士が大学内で脳溢血(のういっけつ)を発症して亡くなってしまったのです。
その日も、ハチは大学に博士を迎えに行きましたが、会えないまま帰宅しました。その後は、博士が最後に着た服が置いてある物置にこもり、3日間食事もせずに過ごしたそうです。
博士の帰りを駅で待つハチ
博士の夫人は、正式な妻ではなく、子どももいませんでした。博士の死後、夫人はハチを浅草の知人宅に預け、自分は世田谷(せたがや)の小さな家に引っ越します。
しばらくして、ハチは夫人のもとに戻りますが、活発だったために、近隣の畑を荒らすなどのトラブルを起こしてしまいます。夫人は、ハチがもっとのびのび暮らせるようにと、代々木(よよぎ)の植木職人である小林氏に託すことにしました。
以降、渋谷駅の改札口周辺で、ハチの姿がたびたび目撃されるようになります。博士は出張の際に渋谷駅を利用しており、ハチも送迎でついていったことがありました。そのため渋谷駅で待っていれば、いつか博士が帰ってくると信じていたのです。
主人を待ち続ける「忠犬ハチ公」になる
人通りの多い駅前に毎日現れ、じっと座っているハチに、事情を知らない駅員や乗客は冷たく当たります。蹴られたり、いたずらされたりすることもありましたが、それでもハチは渋谷通いをやめませんでした。
やがてハチが帰らぬ主人を待っていることが知られると、人々はハチに水やエサを与えるようになります。すでに老犬となっていたハチを不憫に思い、駅員たちも親切に接したそうです。
さらに新聞でハチの忠犬ぶりが紹介されると、支援の輪は全国へ広がります。ハチを称える銅像を建てる計画が持ち上がり、全国から募金が集まりました。1934(昭和9)年4月21日に行われた銅像の除幕式には、ハチも参加しています。
その後も、ハチは渋谷に通うものの、だんだん弱っていきます。銅像完成の翌年3月8日についに病気で力尽き、天国の博士の許へと旅立っていきました。
忠犬ハチ公に関する豆知識
上野博士とハチのエピソードは、人々の記憶に強く残り、現在も大切に伝えられています。ぜひとも知っておきたい忠犬ハチ公の豆知識を紹介します。
渋谷駅前の銅像は2代目
現在、渋谷駅前にある銅像は、2代目です。最初の銅像は、戦時中に兵器用の金属として使うために回収され、鋳潰(いつぶ)されてしまいました。
戦後まもなく、渋谷の人々がハチ公像再建に立ち上がります。全国から再び募金が集まり、1948(昭和23)年に「2代目忠犬ハチ公像」が完成しました。一度はなくなってしまった銅像が、戦後すぐに再建されたことからも、当時の人々のハチに対する深い愛情が見て取れるでしょう。
なお、ハチ公の左耳が垂れているのは、ほかの犬に嚙みつかれで軟骨を傷めていたためで、その生前の姿に忠実に再現されているといわれています。
本物のハチに博物館で会える
ハチは、銅像になっただけではありません。貴重な秋田犬でもあるハチは、死後すぐに上野の国立科学博物館で「はく製」にされ、標本として展示されています。
日本館2階北翼の「日本人が育んだ生き物たち」のコーナーで会えるので、訪れた際には「お疲れ様」とねぎらってあげましょう。
国立科学博物館 National Museum of Nature and Science,Tokyo
忠犬ハチ公の生涯を知ろう
ハチは、子どもの頃にかわいがってくれた上野博士を生涯忘れず、帰りを待ち続けた忠犬です。主人に忠実で従順な秋田犬の性質を存分に発揮して、全国に存在を知られるまでになりました。
ハチの生涯を知った後で見る忠犬ハチ公像は、これまでとは違って見えるかもしれません。親子で渋谷駅に立ち寄る機会があった際には、雑踏の中で今もじっとたたずむ忠犬ハチ公に会ってみてください。
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構成・文/HugKum編集部