【小学校受験】「親がジャッジされることに違和感…」母が選んだ“森の中の学校”で育った娘は小2で起業家に! 軽井沢風越学園の新しい学びの形とは《料理家・川上ミホさん》

小学校受験というと「人気校に入るには、親子で早くから綿密な準備が必要」というイメージを持つ方も多いのではないでしょうか。

そんななか、東京・代官山でバイリンガル幼稚園に通っていた娘さんと、ご主人とともに軽井沢へ移住。そこで自然豊かな環境の中で“生きる力”を育むことを大切にする「軽井沢風越学園」と出合った料理家・川上ミホさん。

選考はあったものの、型にはまった小学校受験とは違い、家族の思いや子どものありのままを大切にするプロセスを経て入学。なぜ軽井沢へ移住したのか、学校選択で大事にしたこととは? 実際に学校生活を送る娘さんの成長、そして受験を経験したからこそ見えてきた家族の学びについてなど、じっくりお話を伺いました。

学校選択の出発点は「親が子どもの将来を決めてしまうのでは」という不安

お互い大人になってから海外に出て勉強した経験があったので、「いずれ海外に出ることを前提にするなら、英語は小さい頃から自然に触れられる環境にあるのがいいよね」と、そこも一致していました。なので、最初は代官山のバイリンガル幼稚園に通わせることにしたんです。

――代官山での教育環境はいかがでしたか? 小学校はインターナショナルスクールも視野に?

川上さん:もちろん英語の延長でそのような話もしていました。でも同時に、小さいうちからインターに入れることが、娘のその先の道まで決めてしまうような気がして……。

それは教育に対する安心感というより、むしろ「将来の道が限定されてしまうのでは」という恐怖感でした。最初は「英語をコミュニケーションのツールとして楽しく学ぼう」という雰囲気だった園が、途中から「どれだけインターに進学させられるか」という方針に変わってきたのも、不安を強くした理由のひとつです。

料理家・川上ミホさん

――では、インターナショナルスクール以外の小学校受験も考えられたのですか?

川上さん:はい。幼稚園には私立小学校を受験するご家庭も多かったので、選択肢のひとつとしてはありました。ただ、親がジャッジされるような空気に強い抵抗があって。実際に受験をするとなると対策も必要で、調べれば調べるほど違和感が大きくなってしまいました。そんなときに「軽井沢」という場所に出合ったんです。

軽井沢で子育てしたい! そしてそこで出合った「軽井沢風越学園」

――学校に出合ったのではなく、軽井沢にということでしょうか?

川上さん:そうなんです。夏の間だけ仕事の料理に打ち込むためのアトリエを軽井沢に構えようと決め、東京と行き来するようになりました。ちょうどその頃、夫の親友がUターンで軽井沢に戻ってきていて、ご家族と過ごす時間が増えたんです。自然の中で子育てを楽しむ姿を間近で見ていると、「こんな環境で子どもを育てられたら素敵だな」と思うようになりました。

「娘が庭で寝転がって、地球と一体になっているところです(笑)」と川上さん

――東京と比べて、どんなところに魅力を感じたのでしょう?

川上さん:まず、人が少ないところでしょうか。だから「走っちゃダメ」「静かにしなさい」など、注意しなければいけないような場面が驚くほど少ないんです。最低限のルールはもちろんあるけれど、子ども同士の小競り合いは少なく、譲り合いや会話で解決できることが多い。お互い穏やかでいられるんですよね。

代官山にいた頃は近くに公園がなく、休日に出かける大きな公園では、炎天下ですべり台の順番待ちなんていうこともしばしば。顔を真っ赤にしながら並ぶ娘の姿を見て、「もっとのびのびさせてあげたい」と思わずにはいられませんでした。

バイリンガル幼稚園から森の中の園へ

軽井沢風越学園のグラウンド

――そのタイミングで学校と出合ったのですね。

川上さん:はい。軽井沢風越学園ができると聞いて、プレオープンで開催されていたワークショップに参加してみました。「すべての子どもに幸せな子ども時代を」という理念や、大人も子どもも一緒に学校をつくっていく仕組みに触れたとき、胸の奥にすとんと落ちるものがあって。学校に入るために準備するのではなく、ありのままの姿で一緒に歩んでいける部分に、とても惹かれました。

――小学校からの入学だったのですか?

川上さん:第一期生の募集が始まった時期に合わせて幼稚園からです。コロナ禍で東京との行き来が難しくなり、本格的に軽井沢に拠点を移すことに。その流れで、娘は小学校を待たずに年中から通うことになったんです。選考では、子育てや学校を選んだ理由についての作文や、面接がありました。

――結果的に「受験」という形に?

川上さん:そうですね。ただ、いわゆる型にはまった「お受験」とは違い、相性を確かめるための場、という感覚に近かったと思います。でもお受験自体を否定する気はなくて、どこの学校においても、その子や家庭との相性なのかなと。わが家の場合は、たまたま風越学園とご縁があったことが幸運でした。

一番よかったのは、娘の進学をきっかけに、家族でたくさん話し合えたことです。学ぶ環境や生き方のこと、親の仕事の仕方や家族のあり方まで。

軽井沢という土地を選んだからこそ、生活そのものが大きく変わり、自然と「家族で共有して、理解して、協力する」という習慣が生まれました。

「探究の時間」は何をしてもいい! 育まれる子どもの探求心と表現力

――軽井沢風越学園に通わせてみて、驚かれたことや特徴的な授業はありましたか?

川上さん:すべて同じクラスで行動するのではなく、「縦割りのホーム」と「学年別のラーニンググループ」という二つの軸で動いているんです。これは自分が昔通っていた小学校とはずいぶん違う点です。

朝と帰りは異年齢の子どもたちで集まるホームで過ごし、活動内容を子ども自身がファシリテーターとなって決めていきます。国語や算数といった基礎学習は二学年ごとのグループで行われ、先生が一方的に教えるのではなく、子どもたち同士で教え合ったり学び合ったり。そういう姿を見ていると、大人の想像以上に子ども同士の力って大きいんだなと感じます。

さらに毎週水曜日には「探究の時間」があって、4時間ほど、何をしてもいいんです。理科室で実験を繰り返す子もいれば、ひたすら本を読む子、工作に没頭する子、森に出かける子……。それぞれがやりたいことに夢中になります。

そして、その成果を「アウトプットデー」で発表する。人に見せるためにやっているわけではありませんが、誰かに伝えるとなると、内容や方法もきっと少し変わってきますよね。子どもたちがどう考えるのか面白い部分です。

発表は親も見られるのですが、人前で話すのが苦手だった子が回を重ねるごとに堂々と自信を持って語るようになるのを見ると、表現する力も自然に育まれているんだなと実感します。

アウトプットデーの様子

――東京から軽井沢へ。さらにユニークなカリキュラムにも娘さんはすぐ慣れましたか?

川上さん:最初は戸惑っていたようです。バイリンガルの幼稚園では、公園や園庭がなくて、建物の中で英語の歌やダンスをしたり、アルファベットの練習をしたりするのが日常でしたから。「今日は何も練習していないけど大丈夫なの?」と不安そうに言うこともあって。

でも3か月もするとすっかり馴染んで、森に入って泥だらけになって帰ってくるように(笑)。まだ小さかったからこそ、順応も早かったのだと思います。

一人っ子なので、ひとりで没頭するのが大好きなのは今も変わりません。ただ、その世界を自分だけで完結させるのではなく、人前で発表したり誰かと共有したりするようになったのは大きな変化。

年上や年下の子どもたちとも自然に関わるようになって、「きょうだいがほしい」と言わなくなったのも大きな変化のひとつです(笑)。

娘が小学2年生で会社設立したいといった、大人にはわからない意外な理由

褒めてほしくて、私は話しているのではない!

――娘さんは今、どんなことに関心を持っているのでしょう?

川上さん:自然に触れるうちに、環境や森のことに強く興味を持つようになりました。あるとき「こんなに木を切ってしまっていいの?」と疑問を口にして、SDGsの学びともつながりながら「森は人間だけのものじゃないよね」と考えるようになったんです。

娘さんが代表を務める株式会社Miraiwotsukuru インスタグラムhttps://www.instagram.com/mirai.tsukuru/

川上さん:私たち大人は娘の考え方に対して「すごいね、えらいね」と言ってしまったのですが、娘はそのことに対して泣きながら怒ったんです。「ほめられたいから言っているんじゃない。本当に何とかしたいのに、子どもだから真剣に聞いてもらえない」と。

――確かに…大人は子どもたちの気付きをほめるだけで終わってしまうかもしれません

川上さん:そうですよね。それで娘は「子どもだから聞いてもらえないなら、社長になりたい」と言い出し、小学2年生の終わりに「会社を作りたい」と宣言今は実際に社長として名刺を持ち、人に会って想いを伝えることもしています

最近だと、カプセルトイを使って、子どもたちに森へ関心を持ってもらえるようなアイデアを出し、ゆっくりですが一歩ずつ進めていて…私はすっかり娘の会社のアシスタントです(笑)。

左:展示した作品に寄せられた付箋のフィードバックを見つめる娘さん
右:自ら提案したプロジェクトを発表する様子

――すごいですね! 同世代の子にもそういうお子さんが多いのですか?

川上さん:他のお子さんも本当にユニークです。個展を開くアーティスト活動をしている子や、馬を学校で飼うプロジェクトを企画して本にまとめた子、ジャグリングで世界大会に挑戦する子、水槽を持ち込んで校内に水族館をつくった子。音楽に打ち込む子もいれば、本や勉強に夢中な子もいます。

アウトプットデーでは、そうした活動を発表する子もいれば「今回は発表しない」と選ぶ子もいて、それも認められるんです。やりたいことがある子も、そうでない子も、みんなそれぞれのあり方を受け入れてもらえる。そういう余白があるのがいいなと思います。

――娘さんの成長は、学校の存在がやはり大きいですか?

川上さん:大きいとは思います。ただ「どんな環境であっても、やる人はやるし、やらない人はやらない」というのと、「どんな学校に行っても家庭や学校外の関係性も大きい」というのが夫婦の共通認識です。

川上さん:代官山時代も友人や先生方に恵まれて、今もつながりが続いていますし、習い事や大人の友人関係など、さまざまな人との関わりの中で娘は育っています。学校は大切だけれど、すべてではない。そこは忘れないようにしています。

受験はゴールじゃない――未来を考える大切なきっかけ

生きる力を、人生をつくる楽しさを

――これから、娘さんをどのように見守っていきたいですか?

川上さん:これからも変わらず、娘がやりたいことを応援するのが一番だと思っています。親が「こうしたほうがいい」と決めることはしません。私自身、学生時代に自分の将来を深く考えないまま社会に出て戸惑った経験があるので、子どものうちから「考えて実行していく」経験を持てるのはとても大切。そうやって自分の人生をつくっていくことを楽しんでほしいですね。

「娘といるパパは幸せそう。パパといる娘は楽しそう。そんな2人を見ているとほっこりする」と川上さん

――本当にそうですね! 一度きりの人生ですもんね。

川上さん:子どもは誰しも大きな可能性を持っていると思うので、それを信じることが親にできる一番のことかなと。もちろん私も日常では「水筒持った?」なんてつい口を出してしまうんですが(笑)。娘がいなければ見られなかった世界もたくさんあるので、親が子どもと一緒に新しい景色を見に行くのもいいなと思っています。

――あらためて、軽井沢風越学園を受験した経験を振り返ってみていかがですか?

川上さん:子どもと一緒に過ごせる時間は思ったより短いし、日々忙しい中で真剣に向き合える機会は限られています。その意味で「受験」を通じて家族でよく話し合えたことは、とても大きな意味があったと思います。

もちろん軽井沢風越学園と縁があったから今を楽しめているけれど、たとえ違う選択をしていたとしても、その過程自体が私たちの大切な経験になっていたはず。受験や進学はゴールではなく、未来を考えるきっかけなのだと思っています。

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お話を伺ったのは

川上ミホさん 料理家/ブランドディレクター/フードディレクター/ソムリエ

1978年、埼玉県生まれ。東京とイタリアのレストランでのシェフ、ソムリエとして経験を経て、独立。食のスペシャリストとして、TVCM、書籍、雑誌などのメディアを中心に活動。シンプルでストーリーのあるレシピとスタイリングに定評がある。近年は料理家・ソムリエとしての知識や豊かな審美眼を軸に、商品開発、ブランディング、空間・体験設計など多岐にわたるプロジェクトを統括するなど活動の幅を広げている。

HP:MIHO KAWAKAMI
Instagram:@miho.kawakami.5

取材・文/篠原亜由美 撮影/五十嵐美弥 写真提供/川上ミホさん

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