先生に叩かれて9年間不登校だった少年が夢を叶えて漫画家に。「鳥山明先生からの一言が人生を変えた」【棚園正一さん・不登校体験記】

現在、漫画家として活躍する棚園正一さんは、小学1年生から中学3年生までの9年間、不登校を経験しました。
インタビュー【前編】では、絵を描くことが支えになった日々から、漫画家・鳥山明先生との出会い、そして自分を肯定できるようになった楽しい時間まで。不登校だったころの棚園少年が感じていたこと、見えていた景色を語ってもらいました。

先生に叩かれたことがきっかけで小1から不登校に

――幼少期はどんなお子さんでしたか? そして、いつ、どんなきっかけで学校に行けなくなってしまったのでしょうか。

棚園正一さん(以下、棚園さん):母によると、私は小さい頃から慎重なタイプだったそうです。みんなが遊んでいても、すぐに飛び込むのではなく、「このグループなら大丈夫かな」と様子を見て、安心してから仲間に加わるような子どもだったみたいです。

小学校1年生のとき、先生の説明についていけず、「わかりません」と言ったら叩かれてしまって。それをきっかけに、学校に行けなくなりました。

――そんな出来事が…。当時は、どんな気持ちで過ごされていたのでしょうか。

棚園さん:学校に行けないことへの負い目が、すごく大きかったんです。みんなは学校に行っているのに、自分だけ行けない。だから家にいる間も、「せめて何か頑張らなきゃ」と思っていました。

勉強が遅れることよりも、「みんなと同じようにできない自分」―その“普通”から外れている感覚が、何より怖かったですね。

「普通にならなきゃ」と思っていた子ども時代

棚園さん:母とは毎朝、「今日は行く」「行かない」ってやり取りを繰り返していました。行ける日もあれば、どうしても行けない日もあって……。お互いどうしていいかわからないまま、言葉をぶつけ合うことも多かったように思います。

でも今思うと、母からどんな言葉をかけられても、ぶつかり合うことは避けられなかった。
何よりも僕自身が自分のことを許せず、その気持ちをぶつけられる相手は母しかいなかったんだと思います。

他愛もない母との会話で「自分はここにいていいんだ」と思えた

――そんな中で、救いになった時間はありましたか?

棚園さん:学校の話をしない時間でした。「今晩なに食べる?」とか、「今度の休みは〇〇に行こう」とか、そんな何気ない会話がいちばんうれしかったです。母がいつも通りに接してくれる時間が、“自分はここにいていいんだ”と思える瞬間でした。

――棚園さんにとって、「普通」とはどんな意味を持っていたのでしょうか。

棚園さん:「みんなと同じであること」ですね。うちは、父はサラリーマンで、母は専業主婦。朝、父親は会社に行き、子どもは学校へ、母親は家のことをする――そんな家庭の姿が「普通」だと思っていました。テレビやドラマで見るような家族像も重なって、知らないうちに「自分もそうでなきゃ」って思い込んでいたんです。

「学校へ行けない僕と9人の先生」(双葉社)

棚園さん:さらに、歳を重ねるにつれてその「普通」のハードルがどんどん上がっていって。“勉強もできて、友だちも多くて、何でもこなせる人が普通なんだ、普通にならなきゃ”という焦りに近いような気持ちが、ずっとありました

人生を変えた出会い――鳥山明先生との時間

――日中、家ではどのように過ごしていたのですか?

棚園さん:学校に行かないと、もう有り余るほどの時間があって。だから、小さい頃から好きだった絵をよく描いていました。「ドラゴンボール」というマンガが大好きだったので、そのキャラクターを真似して描くことが多かったです。それで、下校時刻になると窓からみんなが帰る様子を眺める――それが、学校に行けなかった僕の毎日でした。

――その後、漫画家を目指そうと思ったきっかけは何かあったんですか?

棚園さん:中学生になっても、変わらず学校に行けない日々を過ごしていました。そんな中学1年生のとき、母の同級生というご縁で、大好きだった「ドラゴンボール」の作者・鳥山明先生にお会いすることができたんです。

「学校にいけない僕と9人の先生」(双葉社)

棚園さん:自分が描いた落書きのようなマンガを見せたり、他愛もない話をしたりするなかで、漫画家という仕事がどんなものかもよくわからなかったけれど、「こんな世界があるなら、自分もやってみたい」と感じるようになっていきました。

「学校にいけない僕と9人の先生」(双葉社)

「学校に行かなくても漫画家になれますか?」

棚園さん:最初にお会いしたとき、「学校に行かなくても漫画家になれますか?」と質問したら、鳥山先生は「行かなくてもなれるとは思うけどさ、行ったほうが学校の話とか描けるから便利かもね」と、穏やかに答えてくれて。

“そうか、それだけのことか”と肩の力がすっと抜けて、気持ちが軽くなり、僕の人生にあたたかな光をくれた気がします。

実体験をもとにした『学校へ行けない僕と9人の先生』と、その続編『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』は、今も支持を集めるロングセラー作品

「得意」は、コンプレックスの裏返しでもある

――「得意なこと」を伸ばしていくことは、大事なことだと思いますが、学校に行けない時間が多いと、それは特に意識したほうがいいのでしょうか?

棚園さん:僕の場合は、絵を描くことがとにかく楽しかったので、いい意味でエネルギーになりました。でも同時に、“みんなができることが自分にはできない”という負い目を埋めるために、絵を頑張ってきた部分もあるのかなと。いつの間にか、「絵は上手くなきゃだめだ」「人よりうまく描けないと意味がない」みたいに、自分を追い込むようになっていった気がします。

マンガがうまくいかない時期には、やめようと思ったこともありますが、やめられなかったというのが本当のところ。でも、好きなこと、得意なことを続けていると、不思議と誰かが助けてくれたり、力を貸してくれたりと、そんな巡り合わせもあるのかもしれません。

好きなことを見つけなければと焦る必要はありませんが、もし見つかったら楽しむ気持ちを大事にしてもらえればと思います。

嫌いだったのに、どこかでずっと憧れていた“学校生活”

――中学卒業後は、どのような進路を選ばれたのですか?

棚園さん:専門学校のアニメーター科に2年間通って卒業しました。そのあと定時制高校に進んだのですが、どうしても合わなくて……。それで大学入学検定(大検)に向けて勉強する大検予備校に通うことにしたんです。

――専門学校を卒業したあとに、あえて定時制高校へ。その後また大検予備校へ進まれたのは、どんな理由があったのでしょう?

棚園さん:専門学校で過ごした2年間は、友だちもできて、毎日が楽しかったんです。だからこそ、「みんなと同じように普通の高校生活を送ってみたい」という気持ちが出てきて。でも、実際に通ってみた定時制高校は、自分が思い描いていた学校とは少し違っていたので、結果的に辞めて、大検予備校に行くことになったのですが。

不登校の講演会を行う棚園さん

僕はずっと、“学校に行けない自分”に強いコンプレックスがあって。学校が大嫌いだったくせに、どこかでずっと憧れてもいたんですよね。だから、街を歩いていても、制服姿で友だち同士歩いている同年代の子を見ると、「いいなぁ」「うらやましいな」って。“みんなと同じように”が、やっぱり心の中にずっとあったんだと思います。

高校に行っていないといっても、理由はさまざま

――大検予備校に通われてみて、いかがでしたか?

棚園さん:入学時の説明で「さまざまな事情で高校をドロップアウトした子も多いので、フリースクール的な側面もあります」と言われて、正直“自分みたいな社会的脱落者が集まってる場所なのかも”なんて、今思うと失礼なことを考えながら通い始めたんです。

「マンガで読む 学校に行きたくない君へ」(ポプラ社)

棚園さん:でも、いざ通ってみると、自分と同年代の人たちがたくさんいて、みんなすごく楽しそうで。僕みたいに学校になじめなかった人もいれば、いじめがきっかけの人、帰国子女の人、高いレベルの勉強をしたくてきている人……本当にいろんな人がいたんです。“高校に行っていない”って一言でくくれない、多様な世界がそこにありました

授業以外にもクラブやゼミのような活動があり、10日間みんなで東北を野宿しながら旅したこともありました。普通の高校に通っていたら、きっとできなかったような経験もたくさんさせてもらい、一方で、友だちと街を歩いたり、カラオケに行ったりといった何気ない時間も楽しくて、本当に充実していました。

気づけば、街で高校の制服姿の子たちを見ても、「あれ? 前よりうらやましく感じないな」って。

「マンガで読む 学校に行きたくない君へ」(ポプラ社)

――学生生活で一番望んでいたのは、友だちとの楽しい時間だったのでしょうか?

棚園さん:そうですね、友だちと関わりたいという気持ちは、ずっとあったと思います。小学生の頃なんて、友だちの下校姿を窓から毎日眺めていたくらいですから。

でも、大検予備校でいろんな人と出会って、「こういう生き方もあるんだ」って、初めて心の底から思えた。“学校に行けなかった自分”も、“今ここにいる自分”も、ようやく少しずつ肯定できるようになった気がします。

ーーさまざまな出会いを通して、少しずつ世界が広がり、「自分は自分でいい」と思えるようになっていった棚園さん。インタビュー【後編】では、大人になった今、そして親となった今だからこそ感じること――不登校を経験した自分が、どんなふうに“あの頃”を見つめ直しているのかを伺います。

後編はこちらから

「自分の人生は欠けているのか」9年間の不登校に悩み苦しんで…今思うことは「全部、いつからだって取り戻せる」【漫画家・棚園正一さん】
前編はこちらから 「マンガで読む 学校に行きたくない君へ」に込めた想い ――著書「学校へ行けない僕と9人の先生」や「学...

お話を伺ったのは

棚園 正一さん 漫画家

1982年、愛知県生まれ。義務教育期間の小〜中学校の9年間を不登校をして過ごす。
13歳の時に漫画家・鳥山明氏に出会い、漫画家を志す。
大学入学資格(現 高卒認定)を取得し、名古屋芸術大学に進学。
不登校だった自身の経験を描いた著書『学校へ行けない僕と9人の先生』『学校へ行けなかった僕と9人の友だち』(ともに双葉社)が話題に。
他には不登校経験者16名のエピソードをマンガで描いた『マンガで読む 学校に行きたくない君へ』(ポプラ社)。
山奥で集団生活するニートの若者たちの日々を描いた『マンガ「山奥ニート」やってます。』(原作・石井あらた/光文社)など。
テレビ・ラジオ・新聞をはじめメディア出演多数。
また、自身の経験をもとに、不登校に対する支援のあり方や、当時感じていた想いを語り、不登校当事者やその家族に寄り添った講演会を全国各地で行っている。
愛知県大府市にて長期欠席支援の啓発サポーター「虹の架け橋サポーター」に就任。

 

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取材・文/篠原亜由美

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