「僕は特別ではなかった」五十嵐亮太さんがプロになれた理由「苦しんだメジャーの3年間はいい時間だった」MLB挑戦を振り返って

「野球を好きになる子どもが増えてくれたらうれしい」そう語る元メジャーリーガーの五十嵐亮太さん。2025 MLB CUPと同時開催された野球教室の両方に参加し、元気に子どもたちと野球を楽しむ五十嵐さんですが、ご自身は子ども時代は「特別な選手ではなかった」といいます。では、なぜ、プロ野球選手になれたのでしょうか。そこには、大切にしたふたつのことがありました。

MLB CUPと同時開催!はじめての野球体験「PLAY BALL in SHIGA」

小学硬式野球の夢の舞台「MLB CUP ファイナルラウンド in 滋賀」と同時開催で行われた、はじめての野球体験「PLAY BALL in SHIGA」。2025年11月23日・24日の2日間で全3回にわたり、野球未経験、もしくは経験の少ない⼩学 1〜4 年⽣までの⼦ども合計約 170 名が参加しました。

「PLAY BALL」に参加した子どもにバッティングのお手本を見せる五十嵐亮太さん

ゲストの五十嵐亮太さんら元メジャーリーガーや現役メジャー選手から、基本プレーを直接指導してもらう貴重な機会とあって、子どもたちも興味津々。目の前でレジェンドのプレーが披露されると子どもたちは目を見開いて歓声を上げ、一緒に野球の楽しさを体感しました。

昨年に続き、今年も「MLB CUP」にゲスト参加され、「PLAY BALL」でも子どもたちに野球の楽しさを元気に伝える五十嵐亮太さんに、ご自身の子ども時代のお話を伺いました。

五十嵐亮太さん「7番ファースト」だった僕がプロになれた理由

――野球を始められたきっかけを教えてください。

五十嵐さん:僕が小学校1年生の時、町内会の野球チームの監督に母が「入ってみないか」と勧められたのがきっかけです。自分からやりたくて、というよりは誘われて始めました。

当時はキャッチャーのレガースが変身しているヒーローがつけるアイテムみたいで好きだったり、広いグラウンドでボールを追いかけるのが楽しかったですね。

――子どもの頃はどんな選手でしたか?

五十嵐さん:そこまで野球はうまくなかったんですよ。小学校の時はピッチャーもやりましたがコントロールは良くなかったし、足も速くない。プロ野球選手になるようなタイプの選手ではありませんでした。

中学校でも僕より優れたピッチャーがいたので、僕は「7番ファースト」。打てない、走れない、守れない、というパッとしない選手でした。

人との出会いと努力でプロへの道が開けた

2025 MLB CUPファイナルラウンドの開会式で、入場する選手たちにエールを送る五十嵐亮太さん(右)

――そこから、どうやってプロ野球選手への道が開けたのでしょうか?

五十嵐さん:高校の監督との出会いが大きかったです。監督自身が高校時代に甲子園に出たピッチャーで、僕の肩が強いのを見てピッチャーをやらせてくれました。

そして高校2年生の時、対戦相手のチームにいい選手がいて、その選手を見にスカウトの方が来ていたんです。その試合で僕が結構いいピッチングをして、注目されるようになりました。

「プロに行けるかもしれない」と感じてからスイッチが入って、めちゃくちゃ練習しましたね。練習量も増やしたし、遅くまで走ったりもしました。このチャンスを逃してたまるか、という意識はすごく強かったです。

環境を変えないと自分も変えられない。メジャーでの苦しかった3年間が今を支える

――プロ入り後は大活躍をされ、その後、メジャーリーグに挑戦されました。その決断の背景には何があったのでしょうか?

五十嵐さん:やはり、より高いレベルでやってみたいという気持ちがありました。それと同時に、日本の環境に甘えてしまっている自分がいたので、何か環境を変えないと自分も変えられないな、という気持ちもすごく強かったです。

――メジャーでの3年間は、ご自身にとってどのような経験でしたか?

五十嵐さん:思ったようにはいかず、結果もついてこなくて、すごく苦しい3年間でした。でも、その中で新しい人との出会いがあったり、野球観が変わったり、そこに行かないとできなかった経験がたくさんありました。

振り返ると、その苦しかった時間がすごくいい時間だったと思えます。挑戦すること、新しい世界を見ること、知らないことを知ること。その経験が、野球選手としてだけでなく、ひとりの人間として生きていく上で僕のすごく大事なものに繋がっている気がします。

野球を好きになる子どもが増えてくれたらうれしい

ホームランダービーで11本を放ち優勝した大阪柴島ボーイズ(ボーイズリーグ)の眞野怜くんを囲んで記念撮影。左から、ライパチさん、五十嵐亮太さん、森井翔太郎選手、眞野怜くん、マック鈴木さん、AKI猪瀬さん

イベントを終えて五十嵐亮太さんは、「MLBの開催するPLAY BALLにはこれまでも何度か参加していますが、各地で開催し、子どもたちに野球の楽しさを伝える取り組みは、とても意義のあるものだと感じています。今回のイベントをきっかけに、野球を好きになってくれる子たちが増えてくれたらうれしいです」とお話してくれました。

子ども時代に「自分は特別ではなかった」と語る五十嵐さん。努力を続け、人との出会いを大切に、前向きに道を切り開いてきた五十嵐さんのお話には、夢を追いかける子どもたちへの温かいメッセージが込められていました。

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お話を伺ったのは

五十嵐亮太さん

1979 年⽣まれ、北海道出⾝。⽇本を代表する剛球右腕。1997 年にドラフト 2 位指名で、ヤクルトスワローズに⼊団。その後 2003 年にクローザーに転向し、最優秀救援投⼿のタイトルを獲得するなど、メジャー移籍した⾼津選⼿の抜けた⽳を埋めながら、余りある活躍を⾒せ、名実ともにヤクルトスワローズの守護神となった。
2009 年 11 ⽉に FA 権を⾏使し、2010 年シーズンから MLB ニューヨーク・メッツに⼊団、5 勝を挙げる。2012 年からはピッツバーグ・パイレーツ、トロント・ブルージェイズ、ニューヨーク・ヤンキースと MLB を渡り歩く 。2013 年より福岡ソフトバンクホークスに移籍し、⽇本球界復帰。2019 年から古巣 ・ ヤクルトスワローズに在籍。2020 年のシーズンを持って引退を表明。

◾️小学硬式野球の憧れの地「 MLB CUP 2025」とは

全国予選を勝ち抜いた9チームが結集する「MLB CUP 2025 ファイナルラウンド」。今年の優勝は、大阪柴島ボーイズ(ボーイズリーグ)

2016年にスタートし、今年で9回目を迎えるMLB CUP。昨今の野球人口の減少に歯止めをかけるべく「MLBとして全ての野球選手を平等にサポートし、野球業界の発展に寄与できれば」という想いから、5リーグの垣根を越え、これまでの公益財団法人日本リトルリーグ野球協会(リトルリーグ)所属チームのみを対象としていたトーナメントに加え、公益財団法人日本少年野球連盟(ボーイズリーグ)、一般社団法人日本ポニーベースボール協会(ポニーリーグ)、一般社団法人全日本少年硬式野球連盟(ヤングリーグ)、九州硬式少年野球協会(フレッシュリーグ)の4リーグを対象とした新たなトーナメントを発足。小学校4年生以下を中心とするマイナー部門と、5年生以上を中心とするメジャー部門の2つのトーナメントを開催し、一人でも多くの子どもたちに夢を届けられる活動の一環として開催されている。

取材・文/吉利智子

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