目次
「アゲハ蝶は僕を覚えているかも」
― 長井くんが取り組んできた研究について教えてください。
長井くん: アゲハ蝶の記憶が、子や孫の世代にまで受け継がれるのかを「エピジェネティクス(後成遺伝学)*」の視点から研究しています。
小学3年生のとき、卵から育てたアゲハ蝶を外に放したら、僕の周りを何度も円を描くように飛んでから飛び立っていったんです。その様子を見て、「もしかして僕のことを覚えているのかな」と思ったのがきっかけです。
以前の研究では、論文にするにはサンプル数が不足していると分かったので、2025年3月以降、新たにナミアゲハ265頭・508回の実験を行い、累計を397頭・770回に増やしました

*DNAの配列そのものは変わらなくても、環境や経験によって遺伝子の働き方が変わり、その影響が次の世代に伝わると考えられている仕組み
蝶に興味を持ったきっかけは芋掘りで見つけた幼虫。「かわいい」から芽生えた好奇心
― 研究のきっかけは、幼稚園の頃にあったそうですね。
長井くん: 幼稚園で芋掘りをしたときに見つけたエビガラスズメの幼虫がかわいくて、そっと手のひらに乗せて家に持って帰りました。どうしても羽化させたくて、図鑑で餌や育て方を調べながら育てて。成虫になったときの感動は今でもはっきり覚えています。
―その幼虫をきっかけに、生き物全般が好きになったのですね。
長井くん:はい。今では猫や亀、ヤモリも飼っています。

― 小学1年生のとき、コロナ禍の休校期間に本格的にアゲハ蝶の研究を進めたそうですね。
長井くん: 入学式もなく、学校もしばらくお休みだったので、家にいる時間を研究にあてられました。実は幼稚園の年長の頃にも一度アゲハの飼育に挑戦したのですが、羽化不全で死なせてしまってとても悔しかったんです。次こそはという気持ちでした。
1年生のときは、アゲハ蝶を羽化させて成虫になるまでの記録を「ぼくとチョウの35日間」にまとめました。


2年生のときは、普通の幼虫より脱皮の回数が多い個体について調べて「アゲハの過齢幼虫の大発見」として研究にまとめました。



小2のとき、アメリカの大学教授に手紙で質問
―ところで、日本では「アゲハ蝶の記憶が遺伝することはない」という意見が多かったそうですね。研究テーマを思いついたとき、誰に相談したのですか?
長井くん: 母にサポートしてもらいながら海外の研究を探すと、ジョージタウン大学のマーサ・ワイス教授が、僕と同じように「昆虫の記憶」の研究をしていると知りました。「この人に聞いてみたい」と、小学2年生の終わりに英語の手紙を書いて、思い切ってレターパックで送りました。


― お返事は来ましたか?
長井くん: 1カ月くらいして、教授からEメールが届いたときは、しばらく画面を見たまま固まってしまいました。言葉にできないくらい嬉しかったです!英語も難しくて、一人では理解できなかったので、母と一緒に一文ずつ読みました。
知りたいワクワクが原動力に。時間を忘れて研究に没頭
― そこから研究はどう進んだのでしょうか?
長井くん: ワイス教授からY字装置を使って記憶の実験をしていることを教えていただきました。
最初は、成虫を大きな蚊帳に入れ、ラベンダーをそばに置いた砂糖水と砂糖水のみのどちらを選ぶのかを調べる方法も試しましたが、安定した結果は得られませんでした。

そこで、論文の図を何度も何度も見ながら、自分でY字装置を作ることに。Y字の通路は、100円ショップでA3クリアファイルを買ってきて組み立てては、「ここをもう少し細くしよう」「風の流れが変かもしれない」と考え、何度も作り直しました。気づけば、夢中で時間を忘れていることもよくありました。

― Y字装置でどのような実験をしたのですか?
長井くん: まず約100匹の幼虫を孵化(ふか)させました。そのうち半分の幼虫に、ラベンダーの香りを嗅がせながら、低周波治療器で電流を流します。3秒ほどで幼虫は嘔吐してしまうのでかわいそうなのですが、「ラベンダーの香り=嫌なことが起きる」と覚えてもらうために、1日3回、毎日繰り返しました。

そして成虫になったあとで、
①砂糖水+ラベンダー
②砂糖水のみ
のどちらに行くかを観察しました。
電流を流していないグループは、①と②がほぼ半々だったのに対して、電流を流したグループの80%は②を選んだんです。
「やっぱり、幼虫のときの記憶は成虫に受け継がれている!」と分かった瞬間は、思わず声が出ました。

― 小学3年生とは思えない研究です。
長井くん: ありがとうございます!小学2年生のときに、いつもお世話になっている伊丹市昆虫館の学芸員さんから「学会で発表してみたら?」と言っていただき、小学3年生のときに信州大学で初めて学会発表をしました。そこでの発表を聞きに来てくださった ICE2024KYOTOの委員長の先生から、国際昆虫学会議でも発表してみたらとすすめていただき、小学5年生のときに初めて英語でポスター発表に挑戦しました。

世界中の研究者の前で、自分の研究を説明するのは緊張しましたが、「もっといい研究にしていきたい」と思うきっかけにもなりました。

― 4年生の時には約300匹を孵化(ふか)させ、「アゲハの大研究4~親の幼虫期の記憶は子や孫に遺伝するのか~」についての研究成果を、ICE2024 KYOTOでも発表しました。
長井くん: 「ICE2024 KYOTO」は英語での発表なので、母と毎日練習しました。前の研究に加えて、電流を流した幼虫が成虫になって産んだ子ども、その孫の世代まで調べました。すると、子も孫もラベンダーの香りを嫌がる傾向を示したんです。「もしかして、記憶が遺伝しているのでは?」という最初のモヤモヤが、データとして形になっていくのが嬉しかったです。
アゲハ蝶専用のテントの横で生活

― 新しい疑問が生まれたときは、どのように調べているのですか?
長井くん: まずは本や動画、インターネットで調べます。それでも分からなかったときは、伊丹市昆虫館の学芸員さんや、ほかの昆虫館の学芸員さんなど、専門家の方に直接会いに行って教えてもらっています。同じ質問でも、行くたびに少しずつ違う視点の答えがもらえるのも面白いです。
― 実験は自宅で行っているのですか?
長井くん: はい。アゲハ蝶の飼育は自分の部屋で、Y字装置の実験や、電気ショックを使う実験は、光の影響ができるだけ出ないように、照明が一つしかない部屋でやっています。
僕の部屋は6畳なのですが、その中に蝶専用のテントを作っています。蝶と同じ部屋で寝て、勉強もしていて、朝起きたらまずテントをのぞいて、「今日はどうかな」と様子を見るのが毎日の習慣です。夜、幼虫が葉っぱを食べる「シャリシャリ」という小さな音を聞きながら眠る時間もすごく好きです。
― 研究で一番大変なことは何ですか?
長井くん: 計画通りにいかないことです。交尾のタイミングが少しずれるだけで失敗したり、卵を産んでもウイルスで全滅してしまったりします。せっかく育てたのに、一晩でほとんどが動かなくなってしまったときは、本当にショックでした。


― そんなときは、どうやって乗り越えたのですか?
長井くん: 伊丹市昆虫館の学芸員さんに、次亜塩素酸での完全除菌や温度・湿度管理、成虫を運動させる方法などを教えてもらいました。東京大学総合研究博物館の方にも助言をいただいて、何度も飼育環境を修正。失敗のたびにノートは赤ペンで埋まり、次の実験へのヒントが増えていきました。

フロリダ大学と共同研究へ。中学受験とも両立
― 現在は中学受験の勉強の真っ最中だそうですね。研究との両立は?
長井くん: 優先順位を決めています。今(2025年11月末)は、いちばんがオオカバマダラのフロリダ大学との共同研究の計画、次が受験勉強、その次がアゲハの研究です。一番楽しいのは、やっぱり実験の計画を考えているときです。「次はこんな実験ができるかも」と思いつくと、ワクワクして、つい机に向かう時間が延びてしまいます。
― 長井くんは、孫正義育英財団の9期生でもありますね。
長井くん: はい。財団では、宇宙や医学など、自分の専門以外のイベントにもたくさん参加しています。違う分野の考え方に触れることで「この考え方は自分の研究にも応用できるかも」と思うことが多くて、視野が広がっていると感じます。
― 最後に、これからの夢を教えてください。
長井くん: まずは、これまで研究してきたエピジェネティクスの考え方を、オオカバマダラの渡りの研究に応用したいです。フロリダ大学と共同で研究を進め、3年後に南アフリカで開かれる国際学会で発表することが今の目標です。そして将来は、エピジェネティクスの研究を人間だけでなく、さまざまな生き物の医療分野にも役立てていきたいと思っています。
長井丈くんのお母さん「迷ったら、ワクワクする方を選びなさい」子どもの好奇心への寄り添い方

長井丈くんの研究の背景には、いつも寄り添い続けてきたご両親の存在があります。丈くんの尽きない好奇心はどのように育まれてきたのでしょうか。お母さんにお話をうかがいました。
子どもの「好き」に寄り添う
―丈くんがエビガラスズメの幼虫を「飼いたい」と持って帰ってきたそうですね。そのときのお気持ちは?
お母さん: もう、本当にびっくりしました。8センチくらいある大きな幼虫だったので、正直、悲鳴が出そうでした(笑)。慌てて図鑑で調べると、エビガラスズメの幼虫はサツマイモの葉を食べると分かり、幼稚園の先生に相談したところ、園で育てていたサツマイモの葉を分けてくださって。おかげで無事に成虫まで育てることができました。
― 飼うことに反対しなかったんですね。
お母さん: 本人が「飼いたい」と本気で言ったものは、餌をきちんと確保できること、世話ができることの二つの条件がクリアできれば、できるだけ止めないようにしています。ただし、私がどうしても苦手な、生きた虫を餌にしなければならない生き物だけはNGです(笑)。
― 丈くんの実験環境を整えるのは、やはり大変ですか?
お母さま:はい(笑)。幼虫のうちは虫かごで一匹ずつ管理しなければなりません。夏場は50匹、100匹と増えることもあり、虫かごが子ども部屋だけではとても収まりきらず、玄関や廊下にまで並ぶことも。成虫になると、部屋の中に大きな飼育用テントを張って管理します。研究に必要なものだと理解して、家族みんなで工夫しながら支えています。

― 丈くんの部屋の「蝶ハウス」は手作りだそうですね。
お母さま:息子と一緒に大きさや見やすさを相談しながら、寸法を測って作りました。私は主にミシン担当で、メッシュ部分を縫ったり、袋状に仕立てたり。テーブルクロス用の透明なビニールを縫い合わせ、「もっと観察しやすい蝶ハウス」に作り替えたこともあります。

― 冬に羽化してしまう蝶もいるそうですが、その場合はどうされているのですか?
お母さま:研究の関係で、本来は春や夏に羽化する蝶が冬に出てきてしまうこともあります。そのときは、その蝶のためだけに部屋の暖房をつけて温度管理をします。「この子には今この環境が必要だね」と、息子と一緒に相談しながら調整しています。

支えているというより、「一緒に環境をつくっている」という感覚ですね。どうすれば蝶が快適に過ごせるのかを親子で考える時間は、私にとっても大切な時間になっています。
「迷ったら、ワクワクする方を選びなさい」
― ご家庭では、丈くんの知的好奇心をどのように伸ばしてこられたのですか?
お母さま: 「体験」を大切にしています。本人が興味を持ったことがあれば、博物館や動物園、水族館など、実際に見て、触れて、感じられる場所にできるだけ連れて行くようにしています。

息子にはいつも「迷ったら、ワクワクする方を選びなさい」と伝えています。うまくいくかどうかよりも「自分の心がどちらに動くか」を大事にしてほしいんです。たとえ失敗しても「やってよかった」と思える経験の方が、きっと次につながるはずなので。
― 研究がうまくいかず、丈くんが落ち込んでいるときは、どのように声をかけていますか?
お母さま: あえて声はかけません。息子は、部屋にこもって、自分の中で「なぜ失敗したのか」「次はどうするか」をじっくり整理するタイプ。私も気になって、つい「こうしたらいいんじゃない?」と言いたくなるのですが、そこはぐっと我慢です。
少し時間が経つと、気持ちが落ち着いた顔で部屋から出てきて「こう思うんだけど」と話してくれます。そこから一緒に、今できることを考えます。答えを与えるより「一緒に考える」ことを大事にしています。
家でも英語で会話。理科は英語の教材を使用

― 丈くんは小学校1年の頃から英語で観察記録をつけ、国際学会でも英語で発表しています。英語教師でいらっしゃるお母さまの影響なのでしょうか。
お母さま: 息子はアメリカで生まれましたが、1歳で帰国して以来、英語を含めた学びはすべて日本で続けてきました。3歳上の兄もいたので、二人が英語を忘れないように、幼稚園の頃から家では英語で過ごす時間を意識的に作ってきました。
理科は、アメリカの小学生が使う教材を取り寄せて、自宅で英語で学んでいます。国際学会の発表準備でも、日本語で考えたものを英語に訳すのではなく、最初から英語での質問を想定し、英語で答える練習を繰り返しました。「英語を勉強する」というより、「英語で考えて、英語で学ぶ」感覚ですね。

「また会いたい」と思われる人になってほしい
― 丈くんの活動を支えるうえで、孫正義育英財団のサポートはどのような力になっていますか?
お母さま: 財団にはさまざまな分野でトップレベルの挑戦をしているお子さんたちが集まっています。その仲間の存在が、息子にとって大きな刺激になっています。「自分も頑張ろう」と自然に思える環境ですね。
海外での研究発表など、一般家庭では費用面でためらってしまう挑戦も、財団のサポートのおかげで踏み出すことができます。専門書や高価な機材の購入を支援していただけるのも、本当にありがたくて。「知りたい」という気持ちにブレーキをかけずに続けることができるのは、非常に大きなことだと思います。
― 最後に、これから丈くんにどんな大人になっていってほしいと願っていますか?
お母さま: 息子の研究は、学芸員の方々、学会の先生方、そして財団の方々など、本当にたくさんの方の支えがあって続けることができています。感謝の気持ちを、ずっと忘れずにいてほしいです。
そして、人としても誠実で、「また会いたいな」「応援したいな」と思ってもらえる人になってくれたら、それが一番うれしいですね。研究だけでなく、人とのつながりも大切にしながら、一歩ずつ進んでいってほしいと思っています。
お話を聞いたのは
2014年生まれ。現在小学6年生。小学1年から「アゲハの記憶の遺伝」をテーマに研究を続ける昆虫学者。鱗翅目に強い関心を持ち、全国児童才能開発コンテストで神戸市代表として5年連続受賞、日本昆虫学会や筑波大学「科学の芽」、ICE2024 Kyotoなど国内外で多数の賞を受賞。エピジェネティクスや遺伝研究を深め、将来は医学分野への応用を目指している。孫正義育英財団9期生。
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取材・文/黒澤真紀 構成/HugKum編集部
