【不登校】HSCの息子が入学式直後から行きしぶり…沢木ラクダさんに訊く4年間の記録。付き添い登校から特別支援学級、親の送迎卒業まで。親子の変化と乗り越え方とは?

春、期待に胸をふくらませて小学校の門をくぐったわが子。けれどその数日後には、「学校に行きたくない」と玄関で立ち尽くしてしまう――そんな朝を迎える家庭も少なくありません。とくに、人一倍敏感な気質を持つHSCの子どもにとって、小学校という大人数の集団環境は、大きな負担になることがあります。

今回お話を伺ったのは、入学直後から行きしぶりが始まったお子さんと向き合ってきた沢木ラクダさん。およそ4年にわたる付き添い登校と試行錯誤の日々を経て、親子はどのように変化していったのでしょうか。そのリアルな軌跡を伺いました。

入学式直後に始まった行きしぶり。 わずか1か月ほどで不登校へ

――前回のインタビューでは、入学直後からHSCの息子さんの行きしぶりが始まり、不登校に至るまでのお話を伺いました。あらためて、当時の様子を教えてください。

沢木さん:入学して間もなく、行きしぶりが始まりました。当時はコロナ禍だったこともあいまって、細かなルールの多い学校環境や、先生の厳しい指導などがしんどくて、楽しみにしていた学校が不安な場所になってしまったようなんです。最初はそうと気づかず、そのうち慣れるだろうと、登校を促す毎日でした。まさか「行きしぶり」が「不登校」につながるとは思わず、嫌がる息子をかついで学校に連れて行く日もありました。

*HSC(Highly Sensitive Child):ひといちばい敏感な子ども、環境感受性が高い子どものこと。

沢木さん「行きしぶり」が「不登校」に至るまでは、本当にあっという間でした。入学からわずか1か月経った5月の連休明けには、学校に行けなくなりました。「学校は行くものだ」という常識で、無理やり行かせようとしてしまい、結果的に子どもを追い詰めてしまったんです。
共働きだったこともあり、当時は途方に暮れ、頼れるものはすべて頼りました。2学期に不登校支援の制度を使えるようになってからは、週に1日だけ登校するように。他の日は、民間のデイスクールに通うか、自宅で休む生活でした。

学校には行きたい気持ちがあるけど、もとの教室には怖くて戻りたくない。安定した居場所がない状態が続き、本人の自己肯定感も下がったまま。登校は安定せず、心の状態も不安定で、ちょっとした不快感などで癇癪を起こすようになりました…。

いま振り返ると、当時の息子は、思いがけず社会的な居場所が失われたことで、とても苦しかったのだと思います。その気持ちを言葉にすることができず、不安やイライラを表出していたのだろうと思います。

付き添い登校が続くなかで頭をよぎる「不登校離職」の現実

――付き添い登校が続くなかで、仕事との両立やご自身の負担をどのように感じていたのでしょうか。

沢木さん:付き添い登校は、3年ほど続きました。仕事と登校サポートの両立は、本当に大変でした。立ちあげたばかりの会社の営業はできないし、執筆活動をしていたのですが、取材に出られない。仕事量を大幅に減らし、収入も激減。

「不登校離職」という言葉がありますが、まさにそれに近い状況でしたね。夫婦ともにフルタイム勤務の会社員だったら、どちらかが辞めていたと思います。「子どもの心」と「仕事」のどちらを優先するかみたいな状況で、個人では解決が困難な社会問題だと考えています。

――校内では、どのようにお子さんに寄り添っていたのでしょうか。

沢木さん:送り迎えにとどまらず、教室の中か廊下の空きスペースなどで一日中、子どものそばにいるような状態です。1時間、2時間と少しずつ離れられる時間が増えていきましたが、自分では先生に伝えられない不安なことがあると、また一日中付き添いが必要になったり…。行きつ戻りつが3年生の2学期まで続き、夫婦で交代で対応していました。

保護者にとって学校に「ただいるだけ」なのは、子どものためとはいえ、すごくつらいです。さいわい、学校と相談する中で「授業の妨げにならなければ校内で仕事をしていてもよい」と理解をいただけたので、スマホやタブレットでできる事務作業をしたり、原稿のチェックをしたりと、できる範囲でリモートワークをしながら過ごしていました。どうせ学校にいるならと、PTAの役員になってみたり。子どもが学校に安心感を抱けるようにとあれこれ試行錯誤しました。

「ここなら大丈夫かもしれない」特別支援学級で見つけた居場所

――特別支援学級への移行は、どのような経緯だったのでしょうか。

沢木さん:わが家の場合は、1年生で行きしぶり・不登校を経験してから、2年次に特別支援学級へ移りました。オルタナティブスクールやフリースクールなども探しましたが、移住が前提となって断念。子どもも友達がいる所属先の学校を離れたいわけではなかったので、特別支援学級が選択肢になりました。遊びのなかで学んでいく環境だったので、一番身近なオルタナティブスクールという印象でした。

――実際に通ってみて、印象的だったことはありますか?

沢木さん:もっともよかった点が、「対応の手厚さ」ですね。当初は先生1人に対して、子どもが1人か2人の授業。在籍する子が増えたいまでも3、4人程度と少人数で、先生の目がしっかり行き届いています。子どもの個性や特性に合わせた合理的配慮にも積極的に取り組んでくれるので、子どもも日々楽しく過ごせるようになっていきました。

学校は本来、人も教材も宝の山です。わが家の場合、メカ好きの先生が、息子の好きなレゴ教材を用意して授業してくださったことが、不登校から復帰するきっかけの一つになりました。うまく言葉がしゃべれなくても、⚪︎×で答えを選べるようにしてくれたり、見通しが持ちやすいように予定を視覚化してくれたり。

小さな積み重ねが先生との信頼関係を築き、だんだんと本人にとっての「居場所」になっていったようでした。

安心できる先生との“出会い”が子どもを変えた

――お子さんの心が安定していくなかで、先生とのかかわりはとても重要ですね。

沢木さん: そうですね。まずは先生との信頼関係が築きなおせたことが、子どもの心の安定につながったと感じています。2年生になって、校内に居場所を得たとたん、ずっと悩んでいた癇癪も一気に落ち着きました。

息子の場合は、「自分の不安な気持ちを、他者に伝えられないこと」が学校への行きにくさにつながっていました。たとえば、給食は全部食べないといけないと思い込んでいて、食べたくないと言えないとか、校外学習は行きたいけど、バスのにおいがいやだとか。
そういう一つひとつの「ひっかかり」を先生と共有し、対応策を一緒に考えていきました。自分のペースで、自分なりの過ごし方をつくり、どんな選択をしてもOKと認めてもらうことで安心と自信が育まれていったように感じています。居場所が学校である必要はないと思いますが、その子らしさが受け止められる社会的な場は必要だと思います。

――特別支援学級で過ごすなかで、感じている葛藤や課題はありますか?

沢木さん:支援級自体は、子どもにとって安心できる環境で感謝しています。ただ、息子には、「みんなと同じことがしたい」という思いもあります。そのときに、通常学級と支援級というかたちで学びの場が分離されている現実に、どうしても違和感と葛藤が残ります

支援級は、本来、不登校支援の制度ではなく、障害のある子どもに対する教育支援の制度です。ですが、わが家のケースのように、公立校の通常学級の規模や一斉授業のペースなどに合わず傷つき、不登校となった子どもたちの居場所となっていることもあります。

息子も、「多数派」のペースには合わず、手厚い支援も必要なのだと思います。でも、多様な学びや育ちのペースがあることが前提となっている環境が通常学級のなかにももっとあれば、子どもたちが分けられずに済む場面ももっと増えるのではないかと感じます。
中学進学にあたっても、どんな選択肢が子どもの尊厳や育ちにとってプラスになるのか、親としての模索は続いています。

この4年間で見えてきた“わが子の変化と成長”

――この4年間で、お子さんにどのような変化や成長がありましたか?

沢木さん:3、4年生ごろから、自分の気持ちを言葉にできるようになってきて、すごく変わりました。それまでは、不安や不快感を、不機嫌さや癇癪を起こすことで伝えていました。「今日は疲れているから行きたくない」「あの先生の言葉が怖かった」などと、自分で具体的に伝えられるようになってくると、情緒がすごく安定していきました

低学年のころは刺激で疲れやすかったのですが、最近は、だいぶ体力もついてきました。友達も増えました。不登校傾向にあった子が、一緒に遊んでいるうちに楽しく登校するようになる、という循環も何度も見てきました。結局、シンプルに学校が楽しければ子どもは行きたいと思うのではないでしょうか。

“できない”のではなく“合っていない”だけだった

――勉強面では、どのような工夫をされているのでしょうか。

沢木さん: 息子はもともと、早生まれで成長もゆっくり。文字に興味を持つようになったのも1年生になってからでした。ところが、1年生のときに、ほぼ初めて書いた文字を先生に赤ペンで直された経験が大きなショックで、字を書くのが嫌いになってしまったのです…。抵抗感がなくなるまで、妻が2、3年、辛抱強く寄り添い続けました。

不登校だった時期は、無学年式のオンライン教材を使ったこともありますが、間違ったときの「ブー」の音で癇癪を起こすので、1年で辞めたり、オンライン教材の学年を落として取り組んでみたり。試行錯誤はずっと続いていますね。
学年通りの進度でなくても、本人の成長が追いついてくると、本人が必要と思うことは自然と身についていく印象もあります。本当に元気になるまでは勉強どころではなかったですけどね…。

――学校の先生との情報連携やコミュニケーションも、とても重要ですね。

沢木さん:そうですね。学校とのコミュニケーションは、とても大切です。行きしぶりの強いころは学校への遅刻や欠席連絡が苦痛になり、出席時のみ連絡させてもらうことにしていました。安定してからも、先生とは密に連携させてもらっています。

毎年春に、1年の成長やいま困っていること、うまくいったこと、好きなことなどを書き出した資料を渡しています。一方的に要望を伝えるのではなく、「家ではこういう様子です」「最近はこんなことにハマってます」などと、普段から日々の様子をていねいに共有するようにしています。

また、気になることがあれば遠慮せず相談することも、結果的に子どもに合った環境づくりにつながったと思います。今年も「初」の負担をなるべく減らすべく、新担任の先生に始業式前に合わせてもらいました。

――お子さんは現在、「学校への送迎」も卒業されたそうですね!

沢木さん:はい。学校への付き添いが不要となった3年生の冬ごろから「いつから一人で帰れそう?」と話し合いを始めたところ、4年生の秋に「もう迎えに来なくていいよ」と自分から言ってきました。とても時間はかかりましたが、あんなに離れられなかった子であっても、少しずつ、でも着実に自立していくんだと感慨深いものがありました。

子どもの行きしぶりや付き添い登校があると、毎日振り回され、本当に不安で疲弊し、先が見えないと感じるものです。でも、子どもは少しずつ体験を重ね成長していて、安心が貯まると、どこかのタイミングであっけなく離れていく——そんな場面を少しずつ、何度も体験してきました

周囲の大人が支えていくことがもちろん大切ですが、付き添いできないときはできないし、先生のようにうまくなにかを教えられるわけでもない、親がすべてを背負い込む必要もありません。離れていくこと=学校に行くことではないと思いますし。
親としては、うちの子はなんとかなると根拠なく応援し、推してあげるくらいの立ち位置でよいのかなあと。子どもとも少しずつ対等な目線で話し合いを進めていくのがいいと、いまは思いますね。

「子どもの行きしぶり」で悩む親へ。 “いまつらいあなた”に伝えたいこと

――わが子の行きしぶりや不登校に直面したとき、どのようなことを大切にすればよいでしょうか?

沢木さん特に4〜5月は、環境の変化が大きく、大人も子どもも、緊張感が高まりやすい時期です。親も忙しいですから、朝、玄関で動けなくなるわが子を前に、イライラしてしまうことがあって普通です。でも、4、5月は自分も、子どもも盛大に甘やかしていい時期と思っていると、少しは気楽に過ごせるかもしれません。わが家では、この時期は叱る、指示する、しつける、みたいなコミュニケーションは一切やめようと話しています。

子どもの「行きたくない」はSOSです。口では「学校に行く」と言いながらも、からだが動かないときは、からだの声が本音なことが多い。たとえば、靴下をなかなか履かない日は、「今日は疲れてるなら休んだら?」とか「早退してもいいんじゃない?」とか。誰かが味方になってあげると、子どもは必ず元気を取り戻していきます。

子どもの「ひっかかり」を子どもの率直な声として、担任の先生と相談する。うまく伝わらない場合は、教頭や特別支援コーディネーターの先生と相談するのも有効です。子どもが不登校になると、保護者も子どもも孤立しがちです。でも、不登校はもはや35万人。どう考えても子どもや子育てのせいではありません。多様な学びの環境が生まれる、まさに転換期にいるのだと思います。
必ず地域に仲間や理解者はいるので、情報を得たり、人を頼ったり、「この状況おかしくない?」と声をあげたりしてみてほしいです。

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入学後3週間で小学校に行かなくなったHSC(ひといちばい敏感な子ども)のむすこと親の葛藤を綴る日記ドキュメント。夫婦が試行錯誤しながら情報収集した、専門家からのアドバイス、不登校支援制度なども掲載。

お話を伺ったのは

沢木ラクダさん ノンフィクションライター

異文化理解を主なテーマとする、ノンフィクションライター、編集者、絵本作家。出版社勤務を経て独立。小さな出版社を仲間と営む。ラクダ似の本好き&酒呑み。子どもの小学校入学時に付き添いを行い、不登校になる過程を克明に綴った日記ドキュメント(「毎日新聞ソーシャルアクションラボコマロン編」連載)が反響を呼ぶ。

取材・文/牧野 未衣菜

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