・杉浦あきえ:モンテッソーリ教師

・夫:同じ年で多趣味
・長女:9歳(2016年生まれ)、何かを考えたり言葉にしたりすることが大好き
・次女:4歳(2021年生まれ)、天真爛漫でおしゃべりが止まらない
目次
なんでも「なんで? なんで?」
「なんで?」
「ねえ、なんで?」
口を開けば「なんで?」と聞かれる。3歳半になった頃、急に始まった「なんで?」攻撃。
私「明日はキャンプにいくよ」
次女「なんで?」
私「椅子に座って食べるよ」
次女「なんで?」
こんな感じで何でもかんでも「なんで?」と聞いてくる。
ある日の保育園の帰り道
車で信号待ちをしていた。ちょうど停まっていたその横にマンションがあり、娘はそのマンションの1階の、ある部屋に釘付けになった。
次女「あれは何?」
私「どれのこと?」
次女「あれ! あれだってば!」
疲れているのか、なぜかちょっとキレている。
次女「だから、あのさ、あれは何って聞いているの!」
私「あ〜、あれはマンションだね」
次女「そうじゃなくて!!! あのさ、あのさ、あのさ、こうやってお買い物するところ(お店)とか、みんなが寝たりご飯食べたりするところ(お家)とか!」
マンションなのは分かっているけど、それがお店なのか、お家なのか、どっちなのかが知りたい様子。
私「ああ、あれはマンションで、人が住んでいるところだよ」
次女「なんで?」
……来た! 「なんで?」が来た! 「あれは何?」の質問からも結構ラリーをしたけれど、人が住んでいるお家であるということが分かったら、ついに来た「なんで?」! ここからが本番!
私「…なんで?! なんで? か〜! なんでだろうね! このマンションは人が住むために建てられて、ここに住みたいって思った人がいるから、このお部屋の人はここに住んでいるのかな?」
次女「ふ〜ん。…なんで?」
私「そうね〜(いやいや、何がなんで?)。お部屋が素敵だったのかな? 場所がよかったのかな?」
次女「そういうことね!」
(お、今日はこんな簡単に納得してくれるんですか!)
次女「…なんで、あのさ、ここが良いな〜って思ったのかな?」
(あれ、また始まった…? 再開?!)
私「なんで良いと思ったのか? なんでだろうね〜! お仕事の場所から近かったのかな? 分からないけど、何か良いなって思ったことがあったんだろうね」
次女「ふ〜ん。なんでなの?」
私「なんでかは分からないけど、このお家の人にとっては良かったんだね」
そして、間をあけずに、私はこう言った。
私「そういうことにしておこう!!(圧あり)」
なんで? の理由は、私が勝手に決めた。

大人のスピーディーな時間軸と、子どものゆっくりじっくりな時間軸
こんな「なんで?」攻撃が毎日繰り広げられる。好奇心の芽が育まれていて、自分のいる世界に興味をもって。なんて素敵なことなんだろうと思う。
でも、でもだ。
こうして書くととても穏やかで、なんともかわいい子どもの様子も当事者となると、話は別。こちらは運転していて、車通りも激しく、どの人も帰路につくために急いでいる時間帯。隙あらば、我先にと曲がったり、進んだりしたい、みんな余裕のない時間帯。
拙い言葉を紡いで、頭の中でシナプスとシナプスを結びつけて全力で考えている子どもとの会話は時間がかかる。大人の私の身体と思考は、このせわしく、スピーディーに進んでいく時間軸の中で動いている。
しかし、子どもとの会話だけ別の時空で進んでいるかのようなゆっくりさ。そして、あれやこれやと会話しているはずなのに、話の内容としてはほぼ進んでいないようなじっくりさ。まるで子どもとの会話のときだけ、別世界にワープしているような感覚。
この「なんで?」攻撃のときにはなおさらだ。つい「もう、なんでって聞かないで〜(勘弁してください)」と言いたくもなる。
でも、この別世界にワープしている感覚をもたらしてくれるお陰で、いかに自分が余裕がないかにも気がつく。周りがどうとか、時間がどうとか、やらないといけないことがあるとか。そんなものに全く目もくれず、気にすることもなく、目の前のことにただただ「なんで?」と思い続ける。
「あ〜いつから自分の中にある純粋な好奇心を後回しにするようになったんだろう」
子どもの「なんで?」に寄り添って“あげて”いるつもりが、純粋な好奇心に触れていく中で、気づけば意図せず手放してきた自分の中にある純粋な好奇心の在り処(ありか)を見つけてもらったような感覚にもなる。
でも、それはほこりが被っていて全体像は見えない。でも、子どもの「なんで?」に触れるたびにハタキでほこりをはたいてもらうような感覚。して“あげて”いるつもりが、して“もらって”いるのかも。そんなことを感じる「なんで?」攻撃。
私と子どもで作るオリジナルの「なんでなんでのミルフィーユ」
とはいえ、現実は甘くない。
余裕がないときに「なんで?」攻撃を何度も受けると、時空の移動に心も身体も疲弊する。だから私はこの「なんで?」攻撃を「なんでなんでのミルフィーユ」と呼んでいる。ちょっとおいしそうじゃないですか?
大変なもの、寄り添って“あげて”いるものと捉えると、「攻撃」として身構えてしまう。身構えるわりには、疲れのほうが多くて、さらにその後ぐっと疲れが増す。
だから、この「なんで」にサンドされて、私たちが答えて、またサンドされるこの感じを「ミルフィーユ」と呼んでいる。そうすることで、私と子どもにしか作れないオリジナルのミルフィーユが毎回完成する。攻撃だと少ないほうがいいし、持っていたくないけど、ミルフィーユなら多くてもちょっと胃もたれするくらいで、いい匂いもするから持っていられる。
「なんでなんでのミルフィーユ」に胃もたれしないように、スカッとするもので味変をしながらこれからも味わっていきたいと思います。
前回の話はこちら
最新著書『子育ての“イラッ”“モヤッ”を手放す本』
HugKumで人気を博した連載「あきえの子育てROOM」をもとに、大幅に加筆修正を加えた1冊。「泣き」「ぐずぐず」/「やってほしくないこと」/「ワガママ」「イヤイヤ」/「食」/「しつけ」「将来」/「パートナー」と大きく6つのパートにわけて、“イラッ”“モヤッ”を解決するためのメッセージを届けています。
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子育て中のママパパから高い支持を得ている著者が、「イラッ」「モヤッ」を感じる具体的なシーンに対してどのようにしたらいいか、マンガ付きでわかりやすくお伝えします。
プロフィール
国際モンテッソーリ教師(AMI)
幼稚園教諭、保育士、小学校教諭。二児の母。
幼い頃から夢見た保育職に期待が溢れる思いとは裏腹に、現実は「大人主導」の環境で、行事に追われる日々。そのような教育現場に「もっと一人ひとりを尊重し、『個』を大切にする教育が必要なのではないか」とショックと疑問を感じる。その後、自身の出産を機に「日本の教育は本当にこのままでよいのか」というさらなる強い疑問を感じ、退職してモンテッソーリ教育を学び、モンテッソーリ教師となる。「子育てのためにモンテッソーリ教育を学べるオンラインスクール Montessori Parents」創設、オンラインコミュニティ”Park”主宰。著書に『モンテッソーリ教育が教えてくれた「信じる」子育て』(すばる舎)、『モンテッソーリ流 声かけ変換ワークブック』(宝島社)、『子育ての「引き算」』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『子育ての“イラッ”“モヤッ”を手放す本』(小学館)。
Instagram @montessori_akie
Voicy モンテッソーリ子育てラジオ
公式HPは>>こちら
イラスト/カラシソエル
