幼い頃から周期性嘔吐症という病気のために学校に行けない日が多く、字が読めないのは、そのためだと本人も家族も思い込んでいたという髙梨智樹さん。智樹さんは中学3年生の時に、はじめて「識字障害」があると診断されます。診断後、家族はそれをどう受け止め、そして、進学・就職をどのようにサポートしたのでしょうか? ドローンパイロットとして活躍することになったきっかけは? 智樹さんのお母様の朱実さんにお話しを伺いました。
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親にとって残酷な、子どもの障害告知
私と主人が、智樹の障害のことをなかなか受け入れることができずに戸惑っていたころ、智樹は意外にもすんなりと、自分の障害のことを受け入れて前を向いていました。小さい頃からの自分の苦労が、障害があるからなのだとわかり、すとんと納得できたそうです。それだけ苦労してきたのかもしれません。
障害告知はガン告知より残酷なことだなと感じます。もちろん、ガンは怖い病気ですが、ガンには治療法があります。しかし、障害は治療できません。ひとりひとり違う症状や特性があり、特効薬もありません。つまり、一生、抱えていかないといけないことです。私たちが死んだ後も、智樹がひとりで生きていけるようにするには何ができるのかを、そこからずっと考え続けています。
特別支援学校で合理的配慮を受けて学力アップ。高校進学も可能に
学力が落ちていた智樹を塾に通わせた方がいいのか?と考えたこともありましたが、識字障害や周期性嘔吐症がある子を預かってくれる塾を探すのは無理だと諦めていました。
しかし、幸いなことに、中学では特別支援学校の先生方が、ほぼマンツーマンで指導。しかも、「識字障害」の智樹がわかりやすい学習法まで見出してくださり、専用の時間割を作成。文字が書けないのならパソコンを使っていい、計算が苦手なら電卓を使っていいという指導で、智樹がどうしたら理解できるかを考慮してくださいました。おかげで小学校時代にほぼ授業を受けられなかった智樹の学力がアップ。高校進学なんて夢のまた夢と思っていた智樹が高校受験できるまでになりました。
学習時間が短い定時制高校をあえて選択
高校は地元の定時制高校に進学しました。定時制といっても夜間でなく、午前の部と午後の部がある二部制の学校で、智樹は午前の部へ進学。毎日通学することに不安があった智樹は、卒業するのに4年かかるけれど、1日の学習時間が短い方がよいと判断したのです。そこでも合理的配慮の必要性を認めていただき、担任や副担任の先生はもちろん、補助の先生までつけていただき、智樹の学習を手厚くフォローしてくださりました。先生方がとても熱心にフォローしていただいたことを、ありがたく思います。
転機は、高校1年生の時に参加した、東大先端技術研究所のプログラム「DO-IT Japan」
智樹にとって高校1年生のときに参加した「DO-IT Japan」のプログラムは、ひとつの転機になりました。これは東京大学先端科学技術研究センター(先端研)が主催しているプログラムで、障害のある児童生徒や学生の進学と就労への移行を支援し、次世代のリーダーの養成を目的にしています。
智樹が中学3年生の頃、通っていた特別支援学校に、先端研の先生が講演にいらして、そのご縁をきっかけにプログラムに応募しました。本人がまとめる自己アピールなどの書類に加え、特別支援学校の担任の先生が推薦文を書いてくださいました。このプロジェクトはとても人気があり、全国から何千人もの応募があるうちから、選ばれるのは10名程度です。面接は担当教授が自宅まで足を運んでくださり、智樹はドローンの操作と、識字障害を克服するためにスマホの読み上げツールなどを駆使していることをPRしました。そこが評価されたのかもしれません。
「DO IT Japan」について詳しくはこちら
障害があっても生きていく道はたくさんある!
「DO-IT Japan」には、智樹のような発達障害の子もいますが、体が不自由な方など、いろいろなタイプの障害のある人たちが集まります。これまで、智樹を囲む人たちは、智樹を助けてあげたいとやさしくフォローしてくれる人たちが多かったものです。もちろんそのことには感謝していますが、先端研の教授方は、いい意味で特別扱いをしない感じで、ズバッと真実だけを言ってくれるのが心強かったです。
たくさんの障害のある方との出会い、障害を持ちながら生き生きと働く先輩たち、そして、障害をサポートしてくれる先端技術の数々など、多くの収穫があったプログラム。なにより、障害があっても生きていく道はたくさんあるし、自ら作り出す方法はあると気づけたことは、私たち親子にとって大きな収穫でした。先端研の先生たちとは、現在も交流があり、最新のツールについての情報交換などをしています。
高校2年生の時にドローンレースで全国大会優勝 世界大会出場
中学からはじめたドローンは、智樹にとってとにかく楽しかったようで、週末ごとに夫と一緒に練習コースへ出かけるようになりました。もともと指先が器用でラジコン操作が得意だった智樹は、ドローンの腕もみるみる上達し、高校2年生の時に初めてレースに参加。いきなり4位に入賞しました。ちょうどドローンが注目され始めたころだったこともあり、16 歳の智樹が入賞したことで、テレビの取材を受けたりしました。体が弱くて、小さい頃から運動会は参加することに意義があるタイプの智樹が、レースで活躍できるなんてびっくりしました。
そして、同じ年に開かれた全国大会で優勝し、世界大会出場も果たしました。世界のレベルは高くて足元にも及ばなかったようですが、ドローンでなら勝負できるのかもしれないという自信が生まれました。
家族の協力を得て、18歳でドローンの会社を起業
「読み書き障害」のある智樹がどんな仕事をするのかは、親として想像がつきませんでした。特別支援学校の保護者たちのなかには、障害者雇用枠での就業を希望する方もいらっしゃいました。障害者雇用枠でもし企業に就職したり、公務員になれたりしたら、社会保障もしっかりしていて、将来、安定した生活が送れるのかもしれません。それはそれで大切な制度だし、制度があることで救われる人たちがいることは確かだと思います。でも、智樹は障害者雇用枠の道は取りたくないと思いました。本当にその支援が必要な人たちに道は譲り、智樹なりの生きる道はきっとあると思っていたのです。
普通でなくてOK 本人がやりたいことを応援したい
高校4年生になり智樹が大学に行かずに、ドローンの会社を作ると言いだしたときは少し驚きましたが、「自由に好きなようにやるのでいいよ」と思いました。正直、智樹が4年制の定時制高校に行った時点で吹っ切れていたのです。大学に行きたいのならば行けばいいし、就職するならすればいい。通うのは本人なのだから、好きな道を選べばいいと思っていました。無理やり就職させてもきっとうまく行かない。無理にやらせると周りと合わなくて引き篭ってしまうかも。いわゆる普通の枠になんか、今さらハマるわけがない。枠にはめても無理なのだから、自由に好きなようにやるのでいいよと思っていたのです。
夫がサラリーマンを辞めるのも、いいんじゃない
智樹が会社を起こすにあたり、主人がサラリーマンを辞めてサポートすることにしたのも、「いいよ」と受け止められました。それはドローンレースの現場で出会った方々のおかげでもあります。ドローンレースの現場には、金銭的に余裕のある方たちが多かったのかもしれませんが、主人と同世代の方たちが自由に生きていて、すごく楽しそうだったのです。主人も息子も、そして私も、その素敵な生き方を見て、「これもありだ」と自然に思えました。サラリーマンこそが生きる道だと思っていた私の考え方が変わったのです。平日にサラリーマンをしながら、週末に智樹のレースや練習に付きそう主人の生活が大変そうだったのも気になっていました。だから、この際、ふたりで新しい会社を興すのもいい!応援したいと思いました。
一度きりの人生、やりたいことがあるならやってほしい
時代の流れとともに、働き方はどんどん多様化し、サラリーマンと自営業の垣根のようなものも、ずいぶん低くなったと感じます。智樹はサラリーマンじゃなくていいかと思えたのは、彼がサラリーマンの枠にあてはまらないなと感じたから。小さいころから見ていて、朝9時〜夕方5時という長時間、毎日仕事をすることは体力的に無理だろうと思っていました。それに、紙の文字を読んだり書いたりする事務仕事は、智樹にはできないかもしれない。サラリーマンとして働くのは難しそうだと思っていました。だから、智樹が「ドローンで起業したい」といい出したときは、家族で応援しようと思いました。
息子がやりたいと思うことをずっと応援したい
智樹はみんなと同じように毎日学校に通うことはできなかったけれど、智樹にしかできないことで、お金を稼ぐ仕事になることを見つけました。
ドローンの世界にしがみつくわけではなく、これからも彼にしかできないことを見つければいいと思っています。智樹がこれから一緒に仕事をできる仲間を見つけることや、子どもの頃からの夢であるヘリコプターのパイロットを目指して次のステップへ進むことがあるかもしれません。そのときはまた智樹がやりたいと思うことを、ずっと応援していきたいと思います。
お話しを伺ったのは
髙梨朱実さん
『文字の読めないパイロット
〜識字障害の僕がドローンと出会って飛び立つまで』
髙梨智樹/著
1300円(税抜)イーストプレス
構成/江頭恵子