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家族の数だけある「弁当の日」がもたらしたエピソード
自分で作る、親が手伝ってはいけない。この「弁当の日」の作用は100の家族がいれば、100通りあります。それぞれが実践して初めて、弁当の日の意味が理解できて、そこから気づきが得られるのです。
「弁当の日」の提唱者、竹下和男先生が教えてくれたエピソードです。
「弁当の日」に親が作っていた弁当をもってきていた中学生男子
ある中学校の「弁当の日」、ゆうきくん(仮名)が持ってきたのは、ごはんの上に、焼きすぎて真っ黒に焦げた肉や野菜をのせた焼肉弁当でした。
実は彼、これまでの「弁当の日」には、きれいな彩りのいい弁当を持ってきていたんです。なぜなら、お母さんがいつも作っていたから。
「弁当の日」は、メニューを考えて、買い物をして、調理して、弁当箱に詰めて、片づけをして……、それをすべて自分でやる。親は一切手伝わないというのがルールですが、こっそりお母さんが作っていたのです。
お母さんは、中学生は勉強が一番。弁当を作るために早起きさせるのだったら、その分、夜遅くまでゆうきくんに勉強をしてほしい。そう考えて、ゆうきくんに弁当を作らせませんでした。
「弁当の日」は、クラスメイトは、みんな自分で作っている、こんなのを作った、これはうまくできた、っていう子がどんどん増えている。そんな中、お母さんの作った弁当を、だれにも見られないようにして、食べていたゆうきくん。
でも、ある何回目かの弁当の日に、今まではお母さんに作ってもらっていたけれど、今回は自分が作ると、ゆうきくんは言ったんです。
「自分で作りたいんや。たのむ、作らせてくれ」
お母さんは大反対。でも、ゆうきくんがあまりしつこく頼んでくるので、根負けしました。
母からの独立宣言弁当
それで、彼は初めて早起きをして自分で弁当を作りました。
初めて自分でつくった弁当は、真っ黒に焦げた肉と野菜がおかず。弁当箱に詰めていたら、それを見たお母さんが言ったんです。
「ちょっと待って、みんなの前で、その弁当の蓋を開けて食べるつもり? 私の料理のレベルまで疑われるって!」
お母さんは、ゆうきくんの作った真っ黒のおかずと自分の作ったきれいな卵焼きを詰めかえようとしました。
それでも彼は、お母さんを振り切って「これは俺が作った弁当だ! 自分で作った弁当を食べるのが『弁当の日』なんだ」と言って、その自分の作った弁当を学校に持っていきました。
クラスのみんなは、彼の真っ黒に焦げた弁当を見て、ゲラゲラ笑いました。けれど、彼はそんなことはものともせず、堂々と一粒残さず食べたのです。
それを見た竹下先生は、すごく喜んで、その弁当を「独立宣言弁当」と名づけました。
ゆうきくんは、それ以来、「弁当の日」には、自分で作った弁当をもってくるようになりました。
子どもには失敗する権利があります
弁当作りが、ゆうきくんにもたらしたものは、自立心ではなかったでしょうか。同時に親にも大きな気づきが与えられたように思います。
親が弁当作りを手伝っていては、子どもが自立する機会を逃してしまいます。だから親は先回りをしない、我慢する、そして子どもに失敗させること。
「子どもには失敗する権利がある」
竹下先生もよくそうおっしゃいます。大人は失敗しないように、失敗しないように先回りしますが、子どもは失敗を繰り返すことで自信がついていく。その子ども時代の失敗を思う存分できるのが、「弁当の日」なんです。
家族揃って食卓を囲めば、日本中の非行は10分の1になる
竹下先生は弁当の日をきっかけに、一家団欒がもっと広がってほしいと願っています。
「もし全国の子どもたちの、すべての家庭で、毎晩家族そろって夕食を食べるようになれば、日本国中の非行は10分の1になる」
そう言い切っています。
亡き妻の書棚にあった『”弁当の日”がやってきた』
まだ妻が生きていて、娘が5歳になったばかりの頃。福島県の会津若松市で17歳の少年が母親の頭部を切断するというショッキングな事件がありました。そのニュースを見た妻は「家族そろって食卓を囲む環境で育っていた子は、親を殺めるようなことはしないんじゃないかな」と言ったんですね。
実は、妻が他界した後に、家の中から竹下先生の著書『“弁当の日”がやってきた』が出てきたんです。
その中の「『弁当の日』に託した夢の一番に、『一家団欒の食事』を置いている」という部分に、蛍光ペンで線が引かれていました。私が引いたわけではない。妻が引いたんです。妻も一家団欒の食事というものに、とてもこだわっていたことがわかりました。
妻からも、そういうインスピレーションをもらっていたので、映画のラストは一家団欒の食事のシーンを入れました。
巣立つ日の朝、家族全員の朝食をつくった高校生。息子が作った玉子焼きの味は
登場人物は、大分県佐伯市に三世代で暮らす後藤家。その日は、長男の希一くんが東京に巣立つ日でした。彼は弁当の日の経験者。また地元の有志が主催する調理実習「巣立つ君たちへの自炊塾」で、みそ汁や玉子焼きの作り方も教わっていました。
そこで東京に出発する日の朝、希一くんは祖父母、両親、二人の弟のために朝食を一人で作ったんです。希一くんが作った玉子焼きを一口食べて、お母さんは微笑みます。弁当の日に自分が教えたわが家の味だって。
子どもが自立していこうとする心、子どもを見守る親の愛情、家族への感謝……、そこには、まさに「一家団欒」の風景がありました。私はカメラを回しながら、手が震えました。「弁当の日」が目指している家族の姿というのは、こういうことなんじゃないかと、何となくわかったんです。
「一家団欒の食卓」は本来、家庭でやることですが、なかなかできないのが現実です。でも竹下先生は、家庭との橋渡しとして、「弁当の日」というしくみを学校に落とし込むという仕事をされてきた。一生かけての仕事をされてきたのです。
「弁当の日」を映画化した思いとは
平和な社会と子どもたちの幸せを願った妻の志と、子どもをとりまく環境を変えていきたいという竹下先生の活動のあと押しが、少しでもできたらという思いで、私は「弁当の日」を映画化しました。
ドキュメンタリー映画を撮るのは初めてでしたが、新聞記者の仕事と同じだなと思いました。ペンをカメラに持ちかえているだけ。本音を聞き出すために大切なのは、やはり信頼関係です。
登場する子どもや家族の数だけの本音が詰まったこの映画を、ぜひ多くの方に観ていただきたいと思っています。
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2023年1月22日に東京・国立市で上映会があります>>>>
映画・『弁当の日~めんどくさいは幸せへの近道』
2019年に撮影をスタートし、2021年に完成したドキュメンタリー映画。『弁当の日』を実践する中学校や大学を舞台に、子ども自身や親子関係が変わっていく様子が描かれる。映画製作中に安武さんは西日本新聞社を退職。映画「弁当の日」は自主上映で全国で上映会を実施中。スケジュールなどはサイトから>>>>https://bento-day.com/
教えてくれたのは
参考:『泣きみそ校長と弁当の日』(竹下和男・渡邊美穂/西日本新聞社)『“弁当の日”がやってきた』(竹下和男/自然食通信社)『できる!を伸ばす 弁当の日』(竹下和男編著/共同通信社)
取材・構成/池田純子 写真提供/安武信吾さん(©以外)