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不妊治療で第二子を授かるも、妊娠3カ月で切迫流産と診断され自宅安静に
夏歩を授かったのは、私が32歳、夫が39歳のときです。
結婚してもなかなか子どもに恵まれず、結婚4年目で不妊治療を始めました。長女は不妊治療を開始して1年で授かりました。長女の出産から3年後に、次女の夏歩を授かりました。
――妊娠の経過は順調でしたか。自然分娩だった第一子の時とどんな違いがありましたか?
長女のときは妊娠30週で子宮口が開いてきてしまい、自宅安静を指示されました。妊娠37週で自然分娩で出産しました。出生時の体重は2762gでした。自宅安静になるまでは、妊娠経過は順調でした。
しかし夏歩は、妊娠が判明したと同時につわりがひどくて1カ月ぐらい入院しました。私は看護師をしているのですが、つわりが落ち着いて退院できたので仕事に復帰しました。
しかし、妊娠3カ月に入るとおなかの張りがひどくなってしまって…。産婦人科を受診すると切迫流産と診断されて自宅安静を指示されました。仕事を休み、ずっと自宅で安静にしていたのですが、妊娠7カ月に入ったころ、医師から「問題ない」と言われて仕事に復帰しました。
でも復帰後、しばらくして職場で出血してしまい、NICU(新生児集中治療室)がある大きな病院に救急搬送されたんです。水のようなものも出てきたので「破水している」とも思いました。
まだ妊娠7カ月です。「お願いだから、もう少しママのお腹の中にいて」「1日でも遅く生まれて」と祈るような気持ちでした。
妊娠26週(妊娠7カ月)で緊急帝王切開。手のひらにのるぐらい小さな赤ちゃんが誕生
――救急搬送されて、すぐに出産されたのですか?
MFICU(母体胎児集中治療室)に入院して、張り止めの薬を点滴しながら、様子を見ることになりました。「おなかの赤ちゃんは大丈夫かな?」と不安でいっぱいでした。
しかし出血が増えてきて、急に逆子になり、陣痛も来てしまったので緊急帝王切開をすることになったんです。夏歩は、妊娠26週(妊娠7カ月)で生まれました。出生体重は897gでした。
超低出生体重児として生まれ、医師から言われた「生まれて72時間は何が起きてもおかしくない」

――1000g未満の赤ちゃんは「超低出生体重児」ですね。夏歩ちゃんが生まれたときのことについて教えてください。
夏歩は、すぐにNICUに運ばれました。NICUに運ばれるとき、夏歩を見せてくれましたが抱っこはできませんでした。
私が夏歩に会えたのは出産の2日後です。NICUで医師からは「生まれて72時間は何が起きてもおかしくない」と言われ、合併症の説明をされました。
保育器に入っている夏歩は手のひらにのるぐらい小さくて真っ赤で、いろいろな管につながれていました。現実を受け入れられずに「私が本当に生んだのかな?」と不思議な気持ちでした。
また医師から「生まれて72時間は何が起きてもおかしくない」と言われたときは、「あと1日だ…。どうにか乗り切って」と祈るような気持ちだった反面、早く会いたかったのですが、会いに行くのが怖い気持ちもありました。生まれてすぐに医師からの言葉を聞いていたら、不安で平常心ではいられなかったと思います。
まだ名前も全然考えていなかったときに生まれたため、夫と急いで名前を決めました。夏歩は、本当は5月が出産予定日でした。夏に向かって一歩ずつ歩いて行ってほしいという願いを込めて「夏歩」と名付けました。
わたし自身の経過は順調で1週間ほどで退院しましたが、娘はそれから4カ月の入院生活を送ることになります。
生まれてから2か月目で初抱っこ。初めて「私の子だ!」と実感しました

――夏歩ちゃんを初めて抱っこできたのはいつですか?
生まれて2カ月が経ったときです。毎日、冷凍した母乳を持って、片道1時間かけて電車に乗って夏歩に会いに行っていたのですが、その日、看護師さんに「シーツを交換するから抱っこしていてもらえますか?」と言われて、「えっ? 抱っこしてもいいんですか?」と聞き返すぐらい、嬉しかったし驚きました。
NICUに入院して2週間後ぐらいに、夏歩はブドウ球菌性熱傷様皮膚症候群と診断されました。点滴を止めるテープを貼ったり、聴診器を当てることすら皮膚の刺激になるようで、水ぶくれができて、それがつぶれて赤くただれて痛々しいんです。人工呼吸器を使っても呼吸が不安定になっていました。
また搾乳して持って行った母乳は冷凍庫に溜まってしまう一方で…。母乳は、母乳バンクに寄付をすることにしました。
初めて抱っこできたときは、ブドウ球菌性熱傷様皮膚症候群も治り、呼吸の状態もずいぶん安定したころでした。夏歩を抱っこして初めて「私の子だ!」「私、出産したんだ…」と実感できたんです。
生まれてすぐにNICUに会いに行ったときは「私が本当に生んだのかな?」と不思議な気持ちで夏歩を見ていましたが、実はその気持ちをずっと引きずっていたんです。
母子手帳につづった夏歩への思い。記録しておきたいことが山のようにありました
--NICUで同じようなママたちと交流はあったのでしょうか
毎日同じくらいの時間に面会に行っていたので、顔見知りはできたものの、声をかけて交流するというような雰囲気にはならなかったです。みんな、自分の子どもが不安定な状態で不安を抱えてきているわけですから…。そういう意味で、孤独を感じてしまいましたね。
思いを分かち合える関係性がなかった分、当時の素直な気持ちや子どもに対する想いなどを、いつか、この子が無事に大人になることができた時に、自分がどのように生まれてきたのか伝えられたらなと思い、包み隠さずに母子手帳に書きました。
母子手帳には、生まれてからのことを書くスペースがほとんどありません。
妊娠中の経過の欄にあるフリースペースを使い、修正週数(実際に生まれた日ではなく、出産予定日だった日を基準とした週数)に合わせて記録しました。出産して1週間2週間は、自分の気持ちも子どもの状態も目まぐるしくて、書きたいことがたくさん。娘の少しの変化も細かく書きました。その結果、母子手帳は、すごいことになりました(笑)。私も親に自分の母子手帳をもらっていたこともあり、夏歩が大人になった時に渡したいと考えています。
低出生体重児の赤ちゃんには、通常の母子手帳はそぐわない
--通常の母子手帳の発育曲線では、小さく生まれた赤ちゃんの記録はできませんよね
母子手帳は、正期産の赤ちゃんに合わせて作られているため、小さく生まれた赤ちゃんには使いづらいところが多々ありました。その度に、「早く産んでしまったから」「うちの子はやっぱり普通の子とは違うんだ」と娘の存在を認めてもらえない感じがして悲しかったです。出産したのに、赤ちゃんのケアが第一で、祝福ムードを味わうことができなかったことも寂しいことでした。
その思いが、その後の家族会の結成や、低出生体重児のための冊子「リトルベビーハンドブック」の普及活動につながりました。「リトルベビーハンドブック」は、小さく生まれた赤ちゃんを「ようこそ」と受け入れてくれる存在です。
誕生から4カ月で退院。夏歩ちゃんとの新たな生活がスタート

――夏歩ちゃんが、退院できたのはいつですか?
夏歩が生まれたのは2月ですが、退院できたのは6月です。本当は5月に退院予定でしたが、ミルクをじょうずに飲めなくて、退院が1カ月延びました。長女は面会が許可されていなかったので、退院して初めて夏歩と会いました。本当に喜んで、可愛がってくれました。
退院時の体重は2860g。医師からは、とくに生活上の注意点は受けませんでしたが、私も夫も、これまでの時間を取り戻すように夏歩とたくさんスキンシップをしました。「少しでも発達が促せるように」と思い、ベビーマッサージもよくしましたね。
身長は105㎝になり、4月には1年生に。子どもの生きるチカラに感嘆しています

――今年、夏歩ちゃんは小学生になるんですね。
はい、夏歩は4月から小学1年生になります。今、身長は105cm、体重は15kgです。年長クラスの中で一番小さいのですが、年長児になって体つきもだいぶしっかりしてきました。まわりにも小柄な子がいるので、目立って小さい感じはしません。
生まれてからすぐNICUに入院して何カ月も外気に触れることすらできなかったし、退院してからも発達の不安も少なからずありました。でも、今では毎日、元気に外で走り回っています。子どもの生きるチカラってすごいなとつくづく思います。
川満さんが、小さく産まれた子どもと家族の会『一歩』を立ち上げた活動はこちらから

取材・構成/麻生珠恵