ディスレクシアで「学校一のバカと言われ…」不登校だった画家・絵本作家の濱口瑛士さん、20歳を過ぎて考える将来の幸せ

文字の読み書きに困難があるディスレクシアなどの発達障害を持ち、子ども時代に生きづらさを抱えてきた濱口瑛士さん。不登校を乗り越え、社会に認められ、現在20歳を越えてたくさんの人と関わりながら、画家の仕事をしています。障害がなくなることはない中、どんなサポートが必要なのか。誰もが抱える将来への不安や希望について、お母様の園子さんと子ども時代を振り返りながら、お話をお伺いしました。

教育したいという親の欲求を抑えてくれたことに感謝

いじめられ、居場所がなかった小学校時代

――濱口さんは子どもの頃、どんな部分で生きづらいと感じていましたか?

濱口瑛士さん(以下、瑛士):私はディスレクシアという識字障害があって、小さい頃から文字の読み書きが苦手でした。それにADHD(注意欠如・多動性障害)、ASD(自閉スペクトラム症)、DCD(協調運動障害)、視機能障害などが重なっていて、小学校時代は学校一のバカと言われていじめられました。いまでこそ学校でもタブレットが導入されて、文字を書かなくても授業を受けられるようになってきていますが、その頃は授業が苦痛で仕方がありませんでした。小5で不登校になりました。


瑛士:学校が辛かったので、親が「家にいるときは好きなこと、楽しいことをしていいよ」って言ってくれたことが、心の余裕になりました。学校のことを根掘り葉掘り聞かれることもなく、学校で勉強の遅れている部分を取り戻そうと塾に通わせたりすることもなくて、本当に好きなことに没頭できたから、一番辛い時期もやってこれたように思います。

濱口園子さん(以下、園子):その頃、私が学校に行ったときに見た瑛士は、本当にしょんぼりしていて、みじめで、心が痛かったんです。家で好きな絵を描いているときが一番生き生きしていました。自分の興味がある国立天文台に行ったときには天文学者に自分から質問に行くような子で、幼稚園時代はそういう所を褒めてもらえたのに、学校ではできないことばかり指摘されて、なかなか認めてもらえなかったですね。

学校以外で認められた文章と絵の才能

――小6から、東大の「異才発掘プロジェクトROCKET」に所属して、そこで才能を認められて、本を出版することになったんですね。

※学校には馴染めないものの突き抜けた才能を持つを有する子どもたちに向けて、さまざまなプログラムや研修など行うプロジェクト

瑛士:ROCKETに入れたことは大きかったですね。親以外の人から、絵や文章など自分のやっていることを「おもしろい」と言ってもらえたことは、自分にとっても前進だったかなと思います。

園子:はじめて同年代としゃべったり、褒められたりして、居場所ができていました。学校一のバカと呼ばれていたのに、ROCKETの先生は、全国模試3位という子を差し置いて「瑛士の方が文章がうまい」と偏見なく褒めてくれました。

瑛士:海外研修のレポートが良かったので、次も研修に連れていってもらえると聞いたときは、自分が認められた、重要なことを学べたという安心感もありました。障害だけを聞くと文章が苦手と思われがちですが、自分の考えていることを形にする、言葉にすることだけはやっておきなさいと母に言われてきました。いまになって思うと、文筆の仕事をいただけているのはこのおかげですね。言葉に表すというのは重要な作業で、言葉にしたものは残りますし、そういう経験を積ませてくれたのは良かったなと思います。作文は本当に嫌で、当時はいらないと思ってましたけど。

書きたいことはあっても忘れてしまう

園子:瑛士の場合、文章を考えるのは得意なんですけど、好きじゃないんですよ。好きなことと得意なことってちょっと違うんですよね。私の祖父が校長先生だったんですが、詩人で短歌をやっている人で、作文は最初の一行がすごく大切だって言われて育ったんです。だから瑛士が「今日、ぼくは…」なんて当たり前のことを書き出したら、なんだこりゃーって言ってね(笑)。太宰治の『走れメロス』を見ると、「メロスは激怒した」で始まるわけですよ。この一文で、これからどうなっちゃうの!ってなるでしょうって。あとはADHDゆえの短期記憶の弱さで、書きたいことはいっぱいあるのに書いているうちに忘れてしまうから、ちゃんとプロットを作った方がいいと言っていました。

母・園子さんと瑛士さん

園子:瑛士には、とにかくたくさんの本を読み聞かせしました。おもしろいんだよということだけ伝えて、自分が読み出すまでこう読むのよって教えなかったことがよかったのかもしれません。不眠症もあるので、毎晩寝る前に10冊読んでも寝ないんですよ。読むものがなくなると、読んだ本の続きを考えたり、絵を描きながらお話を作っていくような遊びをしていたんです。多動だから、とにかくじっとさせるためにそれをやっていたのですが、読書嫌いにさせなかったというのは大きかったなと。

瑛士:子どもにはその子なりの自然な発達の過程があるのですが、それを飛び越して「教えたい」という欲求を抑えて接してくれたことは、すごくありがたいと思っています。

障害があっても、自分が生きている「意味」を持ち続けたい

ディスレクシアでも仕事にあまり支障がないと知った

――いまは画家としてお仕事をされていますが、障害があることで、将来の不安を感じたことはありましたか?

瑛士:普通のサラリーマンにはなれないだろうな、とは思っていました。書いた文章が評価されることが多くあったので、漠然と芸術系に進むのがいいのかなと。知的な遅れがあるわけではないので、書けなくても読めなくても理解はしているんです。学校の外に出れば、いまは便利なデバイスがあるので、読み書きで困ることはあまりありません。自署を書かなきゃいけないときに苦労するぐらいです。ただ、相貌失認の特性もあり、人の顔をなかなか覚えられません。ビジネス上は信頼を壊しかねず、そこは困りますね。それでも、後々の関係性で補っていける部分はあります。展覧会や取材で絵の説明をしたり、共通の話題を見つけたりということは、だんだんできるようになってきました。親しくなってくると特性を理解してくれて、やっていける部分もあります。

仕事の絵を描く濱口瑛士さん。毎日息をするように絵を描いているという
濱口さんの作品。三部作。

瑛士:ただ、作品の思いなどは伝えられても、その次の段階として日常的な会話が出てくると、ちょっと大変です。日常の些細なことを会話する引き出しがあまりなくて。私は古典や哲学の本が好きで、つい主語が大きくなってしまうんです。人類史における私の意味はどういうことなのかは語れるのですが、「我々は…」など言うと煙たがられてしまうんですよね。大きなものごとについて語りたいという欲求が大きくて。でもその感覚こそ、いまの絵が描ける理由なのかもしれません。

できないことは誰かに頼れるように環境を整えればいい

仕事は自分に挑戦する機会を与えてくれている

――いま、どんなお仕事をされていますか?

瑛士:ディスレクシアに関する絵本を制作したり、ファッションロスに取り組んでいる会社と、服の廃材で作ったパネルに作品を描いた展示会もしています。一番したいのは絵の仕事ですが、基本は来るものは拒まずという姿勢で仕事をしています。どんな仕事からも学べることがあると思うからです。普段描かないような絵の依頼もありますが、重要なのは、なぜ私に依頼してくれたのかを考えること。それに応えられるよう、挑戦する機会を与えていただいています。

本来は、積極的に挑戦しようとする人間じゃないんですよ。惰性で生きている方が生きやすいです。でも、自分の人生を無意味にしたくないんです。生きる意味がないということに、耐えられないんですよ。大変だけれど、絵はたくさんの人に見てもらうほど解釈も違って、何百人に一人でも認めてくださる方がいれば、それが仕事にもつながります。

 

できることとできないことを把握することが大事

――成人してから、親はどんなサポートができると感じていますか?

園子:成人したからといって、今までのサポートの仕方が変わるということはないですね。だんだんとサポートを減らしていくことはあっても、なくなることはないのではないでしょうか。まず、できることとできないことを区別して、できること=やるべきことに集中できる環境を整えること、できないことに対しては誰かに頼れるようにすることが大切だと思っています。

瑛士:障害があると、才能のある人でも、その場所にたどり着けなかったり、タイムスケジュールが守れなかったり、コミュニケーションが下手で怒らせてしまうなど、仕事に結びつかないことは多いです。サポートのいる10人より、普通の人を10人雇う方を選択されてしまうので、自立はものすごく大変です。でもサポートがあればできることはたくさんあります。

園子:仕事をしているときは、瑛士のことをむしろ頼もしいなと思います。生活面で頑張らないといけないことは多いですが、愛されることもありますし、助けてくれる人もいます。できないことを鍛えようとすると疲弊してしまうので、周囲の環境を整えていかないと難しいのかなとは思っています。

「子ども時代に子どもをやらせてくれたこと」幸せな時間を持てたことが希望になる

将来の不安があるのは、障害があるからではない

――ディスレクシアや発達障害で悩んでいる親子に、何かアドバイスがあれば教えていただけますか。

園子:私は一番あきらめきれないと思っていた瑛士の「学校」と「勉強」をあきらめたことで、すべての悩みが消えました。無理やり起こさなくていい、勉強の説明をしなくてもいい、と思ったら楽になりました。一日好きな本を読んだり絵を描いて没頭している姿を見ていると、学んでいないわけじゃないんですよ。学校ではあれもこれもできないと言われ続けていたので、せめて親はいい所を見てあげたいと思いました。
学校も行かず好きなことだけさせていると、わがままになるとよく言われましたが、好きな絵で展覧会を開くことは、楽なことばかりではありません。どんなに苦手でも人と話すことが必要で、苦手なことも乗り越えていかないと進めません。周囲に頑張って追いつこうというのでなく、乗り越える力をサポートしていく気持ちが大事なのかなと思っています。

園子:親としていままでやってきたことで何が正解かというのは難しい質問だと思います。本人に聞くのが一番いいかなと思って、昨日2人でちょっと飲みながら、私がしてきたことで何がよかった?って聞いてみたんです。そうしたら「くだらないことをたくさん話して、たくさん遊んでくれたこと」と言うんです。「子ども時代に子どもをやらせてくれたこと」と。

瑛士:あのまま普通の学校に行っていたら、絵の仕事にはつけなかったと思うし、本を作ることも難しかったと思います。画家としてやっていく道が開けたのは、母親のおかげだと思っています。正しかったかどうかはわかりませんが、生きている限り将来の不安はあると思うんです。

障害を持っていても持っていなくても、みんな今は将来が不安です。私は自分が、特別に悩んだり苦しんだりしているとは思いません。むしろ私はけっこう幸せな方だったと思っているんです。これからどうなるかわからないし、昔は不幸せなときもあったけれど、いまは幸せです。そう思える瞬間が人生にあったということだけでも、私は幸福な人間だなと常々思っています。

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お話を伺ったのは

濱口瑛士|画家、作家

2002年東京都世田谷区生まれ。3歳頃から絵を描き始める。物語を作ることも得意。絵以外に興味のあるものは、世界史(特にローマ史)民族や宗教問題。東京大学先端科学技術研究センターと日本財団の共同プロジェクト「異才発掘プロジェクト ROCKET」第1期スカラー候補生。著書に、作品集『黒板に描けなかった夢~12歳、学校からはみ出した少年画家の内なる世界』(ブックマン社)、絵本『ダビッコラと宇宙へ』(白泉社) 他。個展やTV出演なども多数。

構成・文/日下淳子 撮影/黒石あみ

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