
吉原の遊女たちが使っていた「特殊なことば」
今年のNHK大河ドラマ「べらぼう」は、江戸の遊里だった吉原が舞台です。この吉原は、江戸時代に「ありんす国(こく)」とも呼ばれていました。ドラマに出てくる遊女たちも、「ありんす」という独特なことばを盛んに使っていますが、そのようなことばを使う国という意味で、外国の国のように言ったものです。

ちょうど「べらぼう」の時代と重なりますが、『川傍柳(かわぞいやなぎ)』(1780~83年)という雑俳集があります。そこに、
「日本(にっぽん)を越すとありんす国へ出る」
という句が載っています。「日本」は「日本堤(にほんづつみ)」のことで、当時隅田川の今戸(いまど)から山谷(さんや)にいたる間の掘割(山谷堀)の土手をこのように呼んでいたのです。ここは、吉原通いの道でした。つまり、「日本(国)」から先に「ありんす国」があるという洒落なのです。
吉原の遊女たちが使っていた「ありんす」のようなことばを、「廓詞(くるわことば)」「里ことば」「遊里語」などといいます。吉原でこのようなことばが使われたのは、諸国から集まる遊女の生国の方言やなまりを隠すためだとも、特殊なことばを使って仲間うちの意識を育てたものともいわれています
代表的なことば「ありんす」は、「あります」が転じたもの

「ありんす」はその代表的な語だったのです。「ありんす」は「あります」から転じた語だと考えられています。
やはり「べらぼう」とほぼ同時代のものですが、柄井川柳(からいせんりゅう)が発行した『川柳評万句合 (せんりゅうひょうまんくあわせ) 』という川柳集があります。その明和4年(1767年)発行のものに、
「ありんすを通(かよ)ひ御針(おはり)もちっといい」
という句が載っています。「通ひ御針」は吉原の中に通いで縫い物の仕事をしに来ていた女性です。このような遊女ではない女性も遊女の影響で、「ありんす」をちょっとだけ使っているというのです。伝染しやすい語だったのでしょうね。
廓詞にはさまざまな語がありますが、みなさんも使わないにしても、聞いたことのあるはずの語もあります。たとえば、「ざんす」。私の世代では、赤塚不二夫のマンガ『おそ松くん』の登場人物「イヤミ」が使っていたので馴染みがあります。この語は、吉原の丁子屋(ちょうじや)という遊女屋から広まったといわれています。少し前まで小説や映画などの中でも上品ぶった女性であることを示ために使われていました。
この丁字屋のことは、以前、朝ドラ「虎に翼」で寅子が度々言う「はて?」とはどんな語?で触れました。吉原の中でも遊女屋によって使われることばが違っていたようです。吉原はことばの面でも大きな影響力を持っていたのです。

