小6で娘が拒食症に「ママごめんなさい」母が気づけなかった娘からのSOS【母と娘の奮闘記】

公認心理師の渡辺貴子さんには、2人の娘さんがいます。長女は、小学6年生の春に「拒食症」と診断されました。拒食症とは摂食障害の1つで、体重が増えることに過剰な恐れを感じて食べることを拒否してしまう病気です。10歳代で発症することが多く、90%以上が女性という報告もあります。
渡辺さんは「拒食症は必ず治る」と信じて、娘さんと乗り越えました。そして「家族」というものは何か、「生きる」「愛する」とは何かを考えるきっかけになったと話します。
インタビューの前編では、渡辺さんに拒食症と診断されるまでのことを伺いました。

夫の仕事の都合で、転園・転校を繰り返す

娘が拒食症と診断されたのは、小6の春です。拒食症は、心理的要因、社会的要因、環境的要因など様々な要因が複雑に関与して発症すると言われています。

娘の場合も、振り返ると1つの原因ではなく、様々なことが積み重なって拒食症を発症したと思います。私たち家族は、夫の仕事の都合で引っ越しを繰り返していました。そのたびに、幼稚園や小学校が変わり、仲がよかった友達と離れてしまい、一から新しい環境になじまなくてはいけないということは、娘には大きな負担になっていたのかもしれません。当時の私は、そんな娘の心の状態に気づいてあげられませんでした。

引っ越しが多い環境、またこだわりの強い性格だったと言います ※写真はイメージ
引っ越しが多い環境や、性格的な気質など様々な要因があったのかもしれません ※写真はイメージ

よく娘には「転校しても、新しいお友達ができるから大丈夫だよ」「転校しても、またみんなに会えるから大丈夫だよ。おうちに〇〇ちゃんたちを呼ぼう」と言って励ましていました。しかし「大丈夫」なんて言葉は娘にとっては、うわべだけの言葉に聞こえていたのかもしれません。その頃の私は、娘を励ますことに一生懸命で、ありのままの娘の感情を受け入れたり、寄り添ったりすることを知りませんでした。

また娘は、こだわりが強い一面がありました。たとえば幼い頃、昆虫に興味を持つと、図鑑などを見てとことん調べるんです。 探究心が旺盛で、身近な昆虫から世界の昆虫まで詳しくなり丁寧にスケッチしていました。それはとっても素敵な娘の個性ですが、そうした気質も少なからず影響したかもしれません。

小4の転校を機に、おっとりしていた娘が積極的に変わっていく

夫の仕事の都合で、娘が小4になったときも引っ越しをしました。小4の2学期から通い始めた公立小学校は文教地区にあり、子どもの力を伸ばすことに先生方が一生懸命な学校でした。

娘はおっとりした性格ですが、この小学校に通い始めてから、いい刺激をたくさん受けて勉強やスポーツ、委員会の活動などに積極的に取り組むようになっていきました。 私は、着実に成果を上げていく娘の様子を見て、その変化を喜ばしく思っていました。「いい小学校に転入してよかった」と安心する気持ちもありました。 振り返ると、 娘の頑張っている部分しか私は見ていませんでした。

運動会では、体重が軽いからと組体操のピラミッドのいちばん上に

小5の運動会で組体操をしたのですが、娘はピラミッドの一番上に立つことになりました。選ばれた理由は、体重が軽いからです。娘は「ピラミッドの上に立って、風を受けて気持ちよかった~」と言っていました。

ピラミッドの頂上が気持ち良かったと話していたと言います ※写真はイメージ
ピラミッドの頂上が気持ちよかったと話していたと言います ※写真はイメージ

振り返るといくつもの背景はあるけれど、大事なのは原因探しではない

娘が拒食症に至るまでには、 そうしたいくつもの背景がありました。

私は当初、原因を知ることができれば、治すことができると考え、原因探しに必死になっていました。娘の気質や環境的な要因の影響もあったかもしれませんが、、 治りゆく過程で最も大切だったのは、 娘に寄り添うこと、母親である私が自分自身と向き合うことでした。

今振り返ると、 いくら原因を探しても解決にはつながらなかった。そう感じています。

小5から身長は止まり、小6で体重は27kg。養護教諭に受診を勧められる

その後、娘が拒食症と診断されたのは小6の春です。医療機関を受診するきっかけとなったのは、小学校からの連絡でした。

養護教諭から「身体測定をしたところ、娘さんは体重が27kgで少なすぎます。小5の4月から身長も143cmで止まっています。もしかすると拒食症かもしれません。すぐに病院で診てもらってください」と言われました。私は「うちの子が拒食症? まさか…」と心の中で否定していました。

食が細くなり、食べるように促すと反発

拒食症と診断されるまで、私は娘のことをスリムな子だと思っていました。小5の3学期ごろから食が細くなって痩せ始めたことは気になっていたのですが、「年頃だから…」「食べないのは反抗期かな?」と考えていました。

それでも娘のことが心配で、食べさせたい一心で、娘が大好きなパンを作ったことがあります。それも食べなかったので「なんで食べないの? 少しは食べなさい! 食べないと死んじゃうわよ!」と叱ったことがあります。娘は「食べたくないの! いちいち言わないで!」と必死に抵抗しました。

大好きなパンを作ったけれどそれも食べなかったと言います ※写真はイメージ
大好きなパンを作ったけれどそれも食べなかったと言います ※写真はイメージ

そして数時間後、「ママ、せっかく作ってくれたのに、ごめんなさい」と言って、薄く切ったパンを一口だけ食べて、泣いているんです。私は泣く娘の姿を見て、「何かがおかしい」そう思いながらも、年頃だしあまり刺激しないほうがいいと考えてしまったんです。拒食症という言葉すら浮かんでこず、「反抗期」という言葉で片付けてしまっていました。

娘の食事の様子を改めて見ると、食べるふりをしていた

拒食症の疑いを指摘されてから、改めて娘の食事の様子を見ると食べていないことがわかりました。食べるふりをして、ごはんをポロッと落として、そっとティッシュに包んで捨てているんです。そんな娘の姿を目の当たりにして、「私は、子どものことをよく見ていたつもりだったけれど、実は見ていなかったんだ…」とショックを受けました。「この子は、いつから食べていなかったんだろう?」と不安でいっぱいになりました。

イライラをぶつけるのは、娘からのSOSのサインだった

娘はもともとおっとりした性格でしたが、イライラしていることが多くなり、3歳違いの妹とも衝突することが増えていきました。表情も乏しくなっていき、後から写真を見返したところ、その頃は笑っている写真が1枚もないんです。

今、思うと娘はたくさんのSOSサインを私に送っていました。でも私は、娘からのSOSに気づくことができませんでした。

その後体重が18kgに。後編では拒食症を克服するまでのお話を伺いました

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お話を伺ったのは

渡辺貴子さん

公認心理師。2人の子どもの母。自身の経験を活かし、拒食症克服サポート専門カウンセラーとして活動する。のべ1,000名を超える相談を担当。

渡辺貴子トレーナーへの相談は>>こちらから

取材・構成/麻生珠恵

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