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2歳、あいうえおカードで「チジョウのホし中島みゆき」
――伊藤さんは1999年6月、福井県のお生まれだそうですね。
僕は福井県の越前市に高校卒業まで住んでいました。高校3年生時の冬には大雪が降り、勉強よりなによりまず雪かきをして親の車を出して、学校に行くという、そんな日々でした。
――『東大王』では「日本語の絶対王者」と言われていましたが、小さい頃から国語が得意なお子さんでしたか?
物心ついた頃から文字には興味を持っていました。2歳くらいのときに、あいうえおカードを買ってもらって文字を並べて言葉を作っていました。家で中島みゆきさんのCDがかかっていて、「この曲、なんて曲?」って聞いたのかな…、そうしたら『地上の星』だと教えてもらって、それであいうえおカードで「チジョウのホし中島 みゆき」って並べて遊んでいたみたいです。中島は漢字にしたかったので、母に「中」「島」はカードを手作りをしてもらいました。

早期学習や先取り学習はしない
両親は公立高校の教師で、父は美術、母は英語を教えていました。父は画家として作品の展覧会なんかもやっています。両親は、早期教育や先取り学習に取り組むのではなく、学校の勉強や宿題をしっかりするという方針でした。そのため、幼少期に『くもん』などの学習塾にも入っていなかったです。でも、分からないことがあれば、母が僕に分かるように教えてくれたし、少し大きくなると「自分で辞書を引いて調べてごらん」と辞書の使い方を教えてくれました。
母が自然に外国語を言えるように仕向けてくれた
――親御さんの教育の仕方が素晴らしいですね! お母様から英語を教わりましたか?
直接文法とか単語を教わったことはないです。勉強そのものを教えるわけじゃなくて、自然と英語に関心を持つように仕向けるのがうまかったのかもしれません。小さい頃、お風呂に入っているときに、「何秒数えてあがろう」ってなるじゃないですか。そのときの数え方を英語で言ってみたりするとか、英語以外にも中国語だったりとか、いろんな数え方を10くらいまで教えてくれたのは覚えていますね。様々な言語に触れる機会を増やしてくれました。
苦手なことをなくすよう意識して間口を広げてくれた母
あとから母親に聞いたのですが、「なるべく苦手なことをなくしてあげよう」と意識して接してくれていたようです。苦手意識が強いとなかなか前に出ていけないからでしょうか。勉強に限らず、たとえば逆上がりができないと、体育の授業の入り口が狭まるからと、手伝ってできるようになるまで練習し続けてくれました。

母はやりたいことがあったらサポートしてくれるし、いろんなことに興味が向くようにしてくれる人でしたね。カブトムシを捕まえるイベントに連れて行ってくれたり、福井の観光名所でもある恐竜博物館に行ったり、天体観測のイベントに行ったり、自然に触れながら理科を好きになれるものを探して誘ってくれました。
理科以外にも、5歳くらいのときに、レスリングの子どものイベントがあって、初めてレスリングを教えてもらったこともありました。その時の大会では、なぜか準優勝したみたいです。
勉強だけじゃない。体を強くするためにスポーツも数々体験
――小さい頃なのにレスリングをやるなんて、珍しいですね。
スポーツの面でも、とにかくいろんな体験をさせてあげようと思ったみたいです。体を強くする、という意味もあったと思います。テクニックよりも、その年齢ごとの発達とか体の使い方みたいなことを考えて、「こういうことをしたほうがいい」とあれこれ考えてくれていたのでしょうね。
――習い事もたくさんしましたか?
しましたね。小学校に入る前くらいからエレクトーンとスイミング、小学校2年生くらいになるとそろばんと習字とソフトボール。ソフトボールは、母親が何かチームでやるスポーツをやってみたらどうか、と思ったようで、「野球とサッカー、どっちがいい?」と聞いてきました。僕は野球のほうが好きなのでそう答えると、地域のソフトボールチームを探してきてくれました。
ソフトボールは練習が月水金土日と週に5回もあり、土日は試合のことが多かったです。これで結構時間をとられるのですが、ソフトボールは好きだったからそこまで大変だとは思わなかったですね。
友達と遊びたいから早く宿題を片付ける習慣ができた
――でも、忙しすぎて、友達と遊ぶ時間がなさそうです。
うちでは、「やるべきことはたとえ遊びたくてもやりなさい、先生に言われたことは守りなさい」という教えがあったので、宿題はサボれない。でも家に帰ってから宿題をやろうとするとすぐ習い事の時間になってしまうから、全然遊びの時間がとれないんです。遊んでいても途中で抜けたり、そもそも遊びに行けなかったりするのが悔しくて。

限られた時間で遊ぶ時間をとれるように、学校で配られた宿題はその場でやることにしました。みんながのんびりしている休み時間などに宿題を先に終わらせてしまう。そうすれば誰にも何も言われないよな、と。
そうやって、「やるべきことを早く終わらせる」習慣がついたのはすごいメリットでした。ストレスなく勉強や習い事ができるようになりました。
少しつらいことも乗り越えれば自信になる!
――習い事も勉強も、という日々がつらくなることはなかったのですか?
ソフトボールは小学校高学年になるとだんだんテクニックを教えてもらえるようになったのですが、難しくなって練習量を増やさないといけなくなりました。うまくいかなくて、泣いて練習するっていうこともありました。つらいな、苦しいな…というのはたしかにあったけれど、それは母親がちゃんと見てくれて、さりげなく励ましてくれて…。やめたい、とか言う前に頑張る心を育ててくれたというか、「苦手をなくす」という母親の方針にまんまとハマった感じでしたね(笑)。
どの習い事も自分がどうしてもやりたい、っていう始まりではなかったけれど、続けているとある程度できるようになって。そういうことで、自信がついた。あきらめる前に努力をして乗り越えることを教えてもらったと思います。
生活の仕方や勉強面は母親が、倫理観や芸術面は父親が教育を担当
――お父様はどんな教育方針でしたか?
普段の生活の中でのしつけなどは基本的に母親の役目で、僕がちゃんとできていないと叱りますが、そういうときは父は笑って見ていました。お母さんは怒っているけれどお父さんは笑っている、というのはかなり気持ちの上でラクでした。
ただ、今日は練習に行きたくないなぁ…、みたいにつぶやいたときにカツを入れるのは父親でした。「それぐらいで休んではダメだ!」と。また、友達とケンカしてケガさせてしまう、というようなときは、父親がガツンと叱る。役割分担がうまくできていたと思いますね。どっちからも怒鳴られる、という経験はあまりしていなくて。そこは父母がバランスをとって、子どもを追い詰めないようにしていたんだと思います。

また、父はアーティストでもあるので、家でも「創造的な活動の時間」みたいなのを作ってくれましたね。勉強も終わってくつろいでいる夜などに、父母と3歳下の妹も一緒にリコーダーで演奏をしたり、みんなで絵しりとりをしたり。妹は父の血をひいたのか、今、東京学芸大学で美術教師の道を歩んでいるんです。小さい頃から絵が上手でした。僕は文字で考えて頭を使って表すようなものを描いていて。それぞれの特徴をうまく生かしてくれていました。
父も母も「勉強も生活もできるだけ楽しめるように」と考えながら教育してくれたので、うちって楽しいな、と思いながら大人になりました。
◆『東大王』の家庭が幼少期にした家庭教育
・幼少の頃から自然に多言語に触れる
・「苦手をなくす」よう多様なチャレンジをする
・成長に合ったスポーツに挑戦する
・先取り学習をほぼせず、学校の勉強を中心に
・「遊びたくてもやるべきことはやる」「先生の言うことは守る」を約束事に
・日常の勉強は母親、倫理観や芸術性は父親が教育と親の役割を分ける
――なんと素晴らしいご家庭! ご両親がそれぞれの役割でお子さんたちを豊かに育てたのですね。ここまで完璧にはできないけれど、みなさんのご家庭でもできることをまねしたら、お子さんの知力が『東大王』に近づけるでしょうか(笑)。後編は、「塾なしで東大に受かる中高での勉強の仕方」や、伊藤さんの現在について話を伺います!
塾なし東大の勉強法は後編をチェック

お話を伺ったのは

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ベストティーチ>>公式
取材・文/三輪泉 撮影/五十嵐美弥