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よく眠る育てやすい子で、6~7ヵ月健診で聞こえに関しては何も言われなかった
――先天性の難聴とわかったときのことを教えてください。
亀澤選手:耳が聞こえないことがわかったのは、生後10ヵ月のときです。母は私を連れて、父の実家に毎日のように通い、お店の手伝いをしていました。
「6~7ヵ月健診で特に聞こえに関しては何も言われなかったし、おとなしくて、育てやすい子」だと思っていたようです。

亀澤選手:ですがある日、私を遊ばせていた祖父が「名前を呼んでも振り向かない」と母に言ったようです。また母の実家に行ったとき、「大きな花火の音にも反応せず、すやすや寝ている」のを見て不安になり、病院を受診しました。
そこで検査をしたところ、生まれつき両耳が聞こえない先天性の難聴とわかりました。診断されたとき、母はすやすや寝ている私をぎゅっと抱きしめて「ごめんね。ごめんね」とずっと泣きながら謝っていたそうです。
補聴器を使い始めたのは1歳から
――子どものころから補聴器を使っていたのでしょうか。
亀澤選手:診断された後、1歳から補聴器を使い始めました。でも、補聴器をつけていてもかすかに音が聞こえる程度です。
小学1年生から卓球を始め、中学生でデフリンピックの夢が

――卓球を始めたきっかけを教えてください。
亀澤選手:卓球を始めたのは、小学1年生からです。父が卓球の指導者で、たまたま近くの体育館に卓球場があったので行きました。兄も一緒だったので楽しかったですね。でも、当時は「卓球の選手になりたい」とは思っていませんでした。
――卓球選手になりたいと考えるようになったのは、何歳ごろからですか。
亀澤選手 選手になりたいと思ったのは中学1年生になってからです。初めて日本ろうあ者卓球協会からデフ卓球の合宿に呼ばれて、元世界チャンピオンの方の講演を聞いて、そこで「私もデフリンピックに出場したい」と夢を抱くようになりました。
中学生時代、チームメイトと距離を感じたことも
――練習は健聴の子と一緒に行うのでしょうか。
亀澤選手 そうです。中学校では卓球の強豪校に通い、健聴の子と一緒に練習に励みました。でもコミュニケーションの壁に悩んだ時期もあって…。ミーティングが終わると、話し合った要点が書かれたメモを渡してくれるのですが、紙1枚を渡されることに寂しさを感じたこともあります。
卓球は、団体競技でもあります。今、振り返ると、そうした壁を乗り越えてコミュニケーションがとれる工夫があったほうが、「チーム全体でより強くなれたのかな~」と考えたこともありましたね。
手話を覚えたのは中学2年生になってから
――手話はいつ覚えたのでしょうか。
亀澤選手:実は、手話を覚えたのは中学2年生になってからなんです。私が幼稚部から小学3年生まで通っていたろう話学校では口話教育(※読唇や発声訓練など音声言語を活用し、聴覚障害のある人がコミュニケーションを取るための教育方法)が専門だったので、中学生になってから独学で覚えました。
今はYouTubeなどで手話を覚えるための動画をたくさん見つけられますが、当時はそういった動画があまりなかったので、手話の本を購入しました。でも、1人で本を見ながら学んでもつまらないんです。そのため最初は手話ができる卓球仲間に教えてもらいました。

コミュニケーションをとるために、手話を覚えてくれる選手も
――デフ卓球の選手同士は、手話でコミュニケーションをとっているのでしょうか?
亀澤選手:手話ができる選手とは手話でコミュニケーションをとっています。
「聞こえない」といっても、程度はさまざまです。デフリンピックは、補聴器など何もつけないで、耳で音を聞き取る力が55デシベル以上聞こえない人が参加できる決まりがあります。55デシベルというのは、ふつうの声での会話が聞こえないレベルです。
今、デフ卓球チームの中で、最も聞こえないのが私ともう1人の選手です。チームには電話ができるレベルの人もいますが、私は難しいですね。なかにはあまり手話を使わず、相手の口の動きを見て理解する「口話」によるコミュニケーションをとる選手もいます。でも、みんなが楽しくコミュニケーションをとるために協力し合ったり、情報を共有したりしているので楽しいんです。
音に頼れないから、目と体のリズムで瞬時に反応する練習を積む

――音が聞こえない中での練習は、どのようにしているのでしょうか。
亀澤選手:デフ卓球のルールは一般の卓球と同じですが、試合会場に入ったら補聴器を外す決まりがあります。
本来、卓球はボールがラケットに当たる音、ボールが卓球台に当たる音、ボールが回転する音などを聞いて瞬時に判断して動くスポーツです。ですが、デフリンピックは補聴器をつけないので、目と体のリズムで瞬時に反応するしかありません。音が聞こえないため、とっさに判断して動くことが難しい場合もあります。
そのため、ふだんから補聴器をはずして、目と体のリズムで反応できるように練習しています。うまくいかないときは補聴器をつけて、わずかに聞こえる音を手がかりにして感覚がつかめるまで行います。
「東京2025デフリンピック」の目標は、もちろん金メダルです!

「デフリンピックって初めて聞いた」というママ・パパもいるのではないでしょうか。「デフリンピック」は、オリンピックやパラリンピックのように知名度が高くないため、資金面などに課題が。亀澤選手は、東京で開催されることでオリンピックやパラリンピックのように「デフリンピック」も知名度が上がってほしいと話します。
後編のインタビューでは、健聴のお子さんとのコミュニケーションの取り方や、子育てとアスリートの両立について紹介します。
お話を伺ったのは

1990年東京都生まれ。住友電設㈱所属。先天性の難聴で、日本聾話(ろうわ)学校に通っていた。幼少期から始めた卓球で、全国ろうあ者卓球選手権大会や世界選手権大会といったデフ卓球の国内外の主要大会に出場し、世界一も経験。2024年には全日本卓球選手権大会のデフ部門の出場枠を勝ち取る。
これまで4大会連続で出場するも銀メダルにとどまるデフリンピック。デフ卓球をけん引する存在として、東京2025デフリンピックでの悲願の金メダルを目指す。
Instagram@ripotan_official
取材・文・構成/麻生珠恵 撮影/五十嵐美弥 手話通訳/保科隼希