娘が泣くと唇の動きがわからず「口を大きく開けて話して」と伝えた
――今春から小学校に入学した娘さんがいらっしゃいますが、小学校生活はどうでしょうか。
亀澤選手:娘は小学校生活をとても楽しんでいますね。戸惑っているのは、どちらかいえば私のほうです(笑)。小学生になると「宿題はやった?」「忘れ物はない?」「時間割はそろえた?」と確認することが多いうえ、「今日は、エプロンを持たせないと!」とイレギュラーのこともあり、なかなかついていけなくて…。

――最初は親も大変ですよね。娘さんとは手話でコミュニケーションをとっているのでしょうか?
亀澤選手:手話は娘が興味を示して「手話だとどうやるの?」と聞かれたら教えていますが、ふだんは相手の口の動きを見て理解する口話でコミュニケーションをとっています。
今ではスムーズに口話で親子のコミュニケーションがとれていますが、イヤイヤ期のころは泣くことが多くて、なかなかコミュニケーションがとれませんでした。泣かれると、娘が伝えたいことがわからないんです。「口を大きく開けて話して」と口話で伝えても、さらに泣く悪循環でした。あのころを振り返ると、娘の成長を実感します。
――娘さんも卓球を習っているのでしょうか。
亀澤選手:卓球は習っていませんが、ダンスが好きでダンススクールに通っています。天真爛漫で、好きなことを自由にやりたいタイプのようです。本人がやりたいと思うことを、見守りたいと思っています。
学校の先生たちとは、音声認識アプリの文字起こし機能でコミュニケ―ション

――学校の先生やママ友だちなど、手話ができない人とはどのようにコミュニケーションをとっているのでしょう。
亀澤選手:ふだんはスマホの音声認識アプリを使い、音声を文字起こししてコミュニケーションをとっています。娘が保育園のころは、発表会の前にあらかじめ先生が台本を渡してくれるなどの配慮もありました。ありがたかったですね。
小学校の入学説明会など大切な集まりのときは、自治体に依頼して手話通訳者を派遣してもらうこともありました。
妊娠を機に引退するも、ママアスリートをめざして復帰
――亀澤選手は2度引退しています。引退の理由を教えてください。
亀澤選手:1度目の引退は、大学を卒業して一般企業に就職し、2013年の「ソフィアデフリンピック」に出場したあとです。振り返るとずっと卓球だけの人生だったので「この大会で引退しよう」と決めていました。大学時代の卓球部は恋愛禁止、スマホ禁止みたいな厳しい環境だったので、自由になりたいという気持ちが強かったです。
引退後は、卓球から離れて自由な生活を楽しんでいたのですが、運動不足で10kgも太ってしまって…。「これはまずい」と思って卓球を再び始めることにしました。

亀澤選手:2度目の引退を決めたのは妊娠がきっかけです。でも、テレビでバレーボールの荒木絵里香選手のインタビューを見て、「ママアスリートってかっこいい!」と思い、「私ももう一度チャレンジしてみようかな…」と考えるようになりました。しかし「子育てと仕事、アスリートの両立は大変だろうな…」という葛藤もありましたね。
でも娘に金メダルを見せたい! という思いが、次第に強くなっていったんです。
「東京2025デフリンピック」では金メダルが目標。3個以上メダルがほしい!
――娘さんは、アスリートとしてのママをどのように見ていますか?
亀澤選手:卓球の選手ということは理解していて、合宿などで忙しいときは私の両親に娘を見てもらっているのですが、「練習に行っちゃダメ!」と泣かれることもあります。でも私が練習に行った後は、「がんばってほしいね」「メダルとってほしいね」と、私の両親と話しているそうです。
「東京2025デフリンピック」の代表に内定したときは、娘から「ないてい おめでとう。金メダルとってね♥」とお手紙とお花をもらいました。とてもうれしかったです。

――すてきですね! 「東京2025デフリンピック」の目標を教えてください。
亀澤選手:私はこれまで2009年の台北、2013年のブルガリア、2017年のトルコ、2021年のブラジルのデフリンピックで、各大会2つずつ、合計8個(銀3個、銅5個)のメダルを獲得しています。
そのため「東京2025デフリンピック」でも3つ以上メダルがほしいし、金メダルが目標です! 金メダルを娘の首にかけてあげたいので、がんばります。
また東京で開催されることをきっかけに、聴覚障害への理解がさらに深まるなど、障害の有無に関係なく、みんなが生きやすい共生社会の実現につながれるように活動をがんばっていきたいです。
応援、どうぞよろしくお願いします。


2025年11月15日から開催される「東京2025デフリンピック」のビジョンには、「“誰もが個性を活かし 力を発揮できる”共生社会の実現」が掲げられています。亀澤選手も、「聞こえる・聞こえない」で分離されない社会になってほしいと話します。
「東京2025デフリンピック」は、100周年の記念すべき大会であり、日本では初めての開催になります。これを期に、ぜひ子どもと一緒にデフリンピックについて調べたり、実際に観戦することを考えてみたりしてください。
【前編から読む】耳が聞こえないとわかったきっかけ、卓球との出合い
お話を伺ったのは

1990年東京都生まれ。住友電設㈱所属。先天性の難聴で、日本聾話(ろうわ)学校に通っていた。幼少期から始めた卓球で、全国ろうあ者卓球選手権大会や世界選手権大会といったデフ卓球の国内外の主要大会に出場し、世界一も経験。2024年には全日本卓球選手権大会のデフ部門の出場枠を勝ち取る。
これまで4大会連続で出場するも銀メダルにとどまるデフリンピック。デフ卓球をけん引する存在として、東京2025デフリンピックでの悲願の金メダルを目指す。
Instagram@ripotan_official
取材・文・構成/麻生珠恵 撮影/五十嵐美弥 手話通訳/保科隼希