「日本は窮屈」と言った長女が、日本に住むワケ
—— 長女・ナツエさんは、今年9月から日本で就職予定とのこと。どのような経緯があったのですか?
中村江里子さん(以下・同):実は、本人から「日本で1年、生活をしたい」と言い出したのです。私たちが提案をしたということではなく、自分の意思で。
彼女は今、大学を卒業したタイミングで、これから“ギャップイヤー”として日本での生活にチャレンジする予定です。
高校や大学卒業後、すぐに進学や就職せずに1年ほど自分の興味があることや社会経験を深める期間を設ける、ヨーロッパでは一般的なスタイルです。
アルバイトをしたり、旅をしたり、新しい国に住んでみたり。進学や就職のためだけじゃなく、自分自身の視野を広げるための時間ですね。長い人生を焦るのではなく、自分自身を見つめ直すことで、様々な方向性が見えてくるようです。
子どもたちはフランスと日本のミックスとして育ってきた中で、これまで日本に滞在するのは1年を通じてトータルせいぜい1カ月くらい。それも家族旅行の延長のような感じで、自分一人の力で生きるという経験ではなかったんです。
だからこそ、「今、この時期に日本に住んで、もっともっときちんと日本のこと、日本人のことを理解したい」と言ったのだと思います。

—— 親としてその決断を聞いたとき、どのように感じましたか?
夫とともにとっても驚きました。そして同時に泣きそうになるくらいうれしかったです。
というのは、長女は小さいときから「日本はいろいろと窮屈な気がする」とか、例えばお腹を出したスタイルのときに「その格好で電車に乗るのはどうかな?」と注意すると「なんで? 裸でいるわけではないのに、どうしてこのスタイルがダメなの?」と。
確かにフランスでは問題ないことに、私自身も日本では気を遣いすぎていたのかもしれませんが……。
だから、私や兄弟とともに日本に観光気分で滞在をするのには楽しいけれども、“住む”という選択肢は彼女の中ではゼロだったのです。
でも年齢とともに、自分は“日本人”であること、これまで毎年、日本に滞在する機会があったのに心と目を見開いてきちんと“日本”を見ていなかったことに気づき、“拒否”をするのではなく、まずは生活をして“見て”“感じ”“知り”たいと思ったようです。
彼女にとって、これからの1年はとても大きな大切な1年になるはず。日本に、そして日本人に恋することだってあるかもしれない(笑)
長男の決意「この大学以外は受けない」
—— 長男・フェルディノンさんは、来年から国外の大学に進学予定なんですね。
彼は14歳の頃から「A市の大学に行きたい」と切望していました。本当に最初は冗談かと思っていたのですが、その思いは数年経っても変わらず、願いを実現させました。
実際にアプライの準備を始めるときには、夫とともに「その国でなくても、その都市でなくても様々な選択肢があるよ」「フランスの大学は学費なども安く、また教育レベルも高く、まずはそこに進学をしてから海外に出ることを考えたらどうかな?」などと話しあいをしましたが、彼の意思が1ミリも揺らぐことはなく……。
「アドバイザーの先生やパパママたちがそう言うなら、アプライをするのは良いけれども、仮にハーバードに合格したとしても僕は行かないよ。最初から行かないところにアプライをする意味がない!!」と。
あ……ハーバードはあくまで例え話ですので(笑)
—— ハーバードでも行かない(笑)
それくらい息子の意思は強く、自らが描くこれから先の姿が明確だったのでしょうね。
明確にしたいことが見えているのはとても良いことですが、大人として、そして親としては、様々な可能性があることを伝えたかった。
でも、彼の意思が変わらないのなら……私たちは彼の思いを見守ることにしたのです。

—— なぜそこまでA市にこだわったのでしょうか?
インターナショナルな場所で、可能性が広がる場所に見えたのでしょう。親戚がそこに住んでいることもあり、また我が家の親しい友人たちも住んでいることもあり、彼にとっては距離は遠いけれども、身近に感じる場所でもあったのかもしれません。
同時に私たちに話をしていないだけで、彼の心の中ではもっともっと「こういうことをしたい!」というビジョンがあるのかも。
子どもの進路は「親が決めるもの」ではない?
—— ナツエさんやフェルディノンさんの進路を見ていると、「自分で決める」という軸がしっかりしていますね。
私たち親が決めたことは、毎夏、フランスの学校のヴァカンスがスタートすると子どもたちを日本に連れて行き、幼稚園から中学まで、終業式までの2~3週間通園、通学をさせたことくらいです。
日仏の学校の違い、授業の進め方の違い、お友達との交流の仕方などなど、体験したことで自分たちでその違いについて考えたりしていました。
日常会話が理解できるのと、授業内容がわかるかどうかは別の次元ですし、我が家は残念ながら読み書きはできないので……。
子どもたちにとっては決して楽しい時間ではなかったと思います。本人たちも「みんなヴァカンスで遊んでいるのに、どうして僕たち、私たちはまた学校に行くの??」と初日は必ず文句を言っていましたが、2日目からはだんだん口角を上げて(笑)通っていました。

—— ご夫婦で教育方針がぶつかるようなことはなかったのでしょうか?
基本的な部分ではなかったです。
夫も私も学歴があることで、物事のスタートがスムーズになったり、選択肢が広がったりすることはあると思っていますが、それ以上に「どんな人生を歩みたいのか」が大事だと思っているので、子どもたちには人間力を蓄えてほしいと願っています。
経済力や学歴はもちろん、ないよりはあったほうが断然良いです(笑)。でも、世界は動いていて、“絶対”がないわけですから……人間力、解決力、生命力、体力などなど(笑)そういう力を身につけてほしいと思っています。
だから、彼らの思いを尊重し、私たちはあくまでサポート役です。
子どもたちが小さいときに、3人分のおやつを準備して学校に迎えに行き、お稽古のない日はそのまま公園へ直行。走り回り、ただただ遊びまわる時間を持ち、知らない子どもたちとも喧嘩したり遊んだりする時間を大切にしてきました。
その時間は私にとっても生命力、体力(笑)を育む時間となりました。
「完璧じゃなくていい」ママが笑っていることが、いちばん大事
—— 最後に、今まさに子育てをしている日本のママたちに向けて、何かメッセージをいただけますか?
私は今で言う“ワンオペ”育児でした。夫は月の半分以上はパリにいませんでしたから。いつも自分で自分を褒めていましたよ! (笑)
でもね、私、1人で子どもたちと向かい合うこの時間がこの上なく大好きで……独り占めできていて最高に幸せでした。
夜中の授乳も、夫が起きたことは一度もありません。というか「こんな愛おしい時間を奪われてたまるか!」って(笑)。だから夫が起きないように、パッ! と起きていました。おむつ替えも、限られた期間だけのこと。最大限に、あの時間を楽しみました。
だから、体力的にはかなりきつかったのですが「もう1人、赤ちゃん欲しいなあ」って思っていたくらい。

—— 日本の“ワンオペ育児”よりも、悲壮感が漂っていませんね。
でも、それはフランスだからできたことかもしれない。日本のママたちはやることが多すぎるのかもしれません。
長女出産時に産科や婦人科のドクターと話をしました。そこで、産科のドクターに言われたのです。
「エリコ、ママが笑っているのが一番だからね。疲れている体に鞭打って、夜中に起きて離乳食を作るくらいなら、スーパーで売っている瓶詰を使いなさい。
今の瓶詰はクオリティーも高いし。あなたが疲れてイライラしているよりも、あなたが笑顔でいるのが赤ちゃんにとっては一番大切なんだよ」って。
全てを完璧にやりたいけれども、できないのなら……それを自分でも許そうと思っていました。
—— 「やらなきゃ」と思ってしまうママたちに、どう伝えますか?
「まず、寝てください!!」(笑)
ママの気持ちが穏やかでいられるのが、結局は子どもたちにとっても最高の栄養だと思うのです。私たちがイライラ、キーキーしてしまったら、家族みんなに伝染してしまう。
日本人ママたちは真面目で、何事もきちんとやろうという気持ちが強い。それは正しいことなのですが、人それぞれ体力や物事への対応力が違う。
他人と比較をすることではないので、目に見えないプレッシャーやストレスはあるかと思いますが……。
自分の心と体を労って、穏やかに子どもたちとすごせる時間を持てますように。
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1969年生まれ。フジテレビのアナウンサーを経て、フリーのアナウンサーとなる。2001年にシャルル・エドワード・バルト氏(化粧品会社経営)と結婚し、生活の拠点をパリに移す。現在は21歳、18歳、15歳の3人と子どもの母親でもある。パリと東京を往復しながら、テレビや雑誌、執筆などで幅広く活躍中。
取材・文/綾部まと
