「えっ?」と言われ続けた子ども時代
——子どもの頃はどんなお子さんでしたか?
onodelaさん(以下、onodela):小学生の頃はたくさんの習い事をしていて、友だちと遊ぶ時間が少なかったんです。学校でも一人の時間が多くて、「空気の読めない子」だったかもしれません。友だちに何かを提案すると「えっ?」と驚かれることが多くて、気まずい思いをしたことは結構ありましたね。
普通の人はそんなに「えっ?」と反応されないっていうことに気づいたのは、高校生くらいになってからですね。一人っ子だし、親も仕事で帰宅が遅くて、一人でいる時間が長かった気がします。

——習い事は楽しかったですか?
onodela:最初は全部楽しかったんです。でも、親から「やるんだったら、コンテストに出なきゃ」とか「賞を取らなきゃ」と言われ始めて、時間が経つにつれて苦痛になっていきました。水泳、ピアノ、書道、テニスなどいろいろやったのですが、最後まで楽しくできたのは高校生のときに始めたドラムだけ。その頃は親も忙しくて、あれこれ言われなかったのもよかったし、ドラムだけは唯一自分から習いたいと言ったものだったんです。
ただ、今考えると、ほかの習い事も完全に無駄というわけではなかったかもしれません。今いるニューヨークではヨガが流行っているのですが、昔体操を習っていたから柔軟性があってヨガは得意。友だちから教えてほしいと言われることも多く、それをきっかけに仲良くなれることもあって、意外なところで活かせています。
親の期待がプレッシャーに、高校2年でうつ病診断
——高校2年生のときにうつ病と診断されたそうですね。
onodela:親からすごく期待されているように感じて、それがプレッシャーになっていました。勉強に対しては、とにかくトップになってほしいっていう感じでした。両親とも子どもの頃あまり経済的に余裕がない環境で苦労しながら育って、努力で今の生活をつかんだということもあって、私にもそうなってほしかったのかもしれないです。
勉強は親に怒られないようにと一生懸命やっていました。でも期待されても、そこまですごい子にはなれなくて。そんなに頑張らなくてもいいよと言ってくれる人もいなかったので、気持ちの出口がないままでした。今となっては自分がどれくらいの人間かもわかるようになったから悩まないんですけど、高校時代は自分を客観視できていなかったのも、うつ病の一因かもしれません。
父から良い影響を受けたこともある
——現在のご両親との関係はいかがですか?
onodela:本当に普通ですね。友だち親子ではないですけど、喧嘩もしないです。親と当時の話をすると、別にそこまですごい期待をしていたわけではなかったようです。ただ、伝え方が悪かったとは言ってました。
両親はすごく論理的な思考をする人で、あまり感情で動かないタイプなんです。だから私とは性格のタイプが違って、すれ違いもあったのかなと思います。

onodela:それでも今思うと、いいこと言ってくれていたなって思うこともあります。特に父の話には影響も受けています。「いつでも長期的な視点を持って5年後や10年後にどうなるかをずっと考えておくこと」とか、「どのシチュエーションでもいくつかの選択肢を握れるようにしておくこと」とか。
実際にその教えがあったからか、自分の大学院の専攻を選ぶ際にも金融一本にするのではなく、金融業界の衰退の可能性も考えてデータやプログラミングも学べる金融工学にしました。結果的にプログラミングの知識が今のキャリアにとても役に立っています。
アイドル時代の辛い経験から、人との関わり方を変えた
——その後大学に入学し、短期間ですがアイドル活動をしていましたね。いじめを告発しての引退宣言はネットで話題にもなりました。
onodela:アイドルはやってみたら本当に楽しくて。緊張するんですけど、やっぱりステージで歌ったり踊ったりという自己表現が本当に楽しいことだと感じましたね。でも、いじめにあって辞めることになってしまって…。いじめを告発した引退ステージでは、私がアイドルというキャリアに本気で向き合っていたことを伝えたかったんです。決して簡単に辞めたのではなく、いじめのある辛い環境だったからこそ、辞めざるを得なかった。アイドルを適当にやって、軽い気持ちで辞めたと思われたくなかったです。

onodela:ただその後メンバーが攻撃的なことを言われたり、自分にもヘイトスピーチがあったりしたので、やってよかったとは言い切れないんですけど、やってしまった事実は受け入れています。
——そのときの辛い経験はご自身にどんな影響を及ぼしていますか?
onodela:人との関わり方を大きく見直すようになりました。より周りの人への気遣いやフレンドリーさを大切にするようになりましたね。
以前は自分のことしか考えてなかったと思います。例えば誰かといても、自分が疲れていたら無言で座っていたことも。今は周りの人の様子も見ながら会話をして、その場を少しは楽しくしようとかそういうことも意識できるようになりました。
あとは、とにかくオープンな態度を心がけています。何かに誘われたら、本当に嫌じゃない限り「イエス」と答えるマインドセットになりました。それによって世界が広がっていくのも実感しています。
自己肯定感を育んでくれた「小野寺ならできるでしょ!?」の言葉
——アイドル活動を辞めたあとの学生生活はいかがでしたか?
onodela:大学という環境ではうまくやっていけていたんです。授業もきちんとこなせていたし、友だちもできました。サークルのイベントを主催したときには、「小野寺ならできるでしょ!?」って信じて背中を押してくれる人もいて。それでどんどん自己肯定感が上がって、ここならやっていけると思えたし、もしここで失敗しても絶対どこかに私が必要とされる場所はあると信じられるようになりました。へこんでもすぐ気分転換ができるようになった気がします。

——アイドル活動後もDJでの集客に苦労したり、就職活動がうまくいかなかったり苦労もされていますが、それらを乗り越えられたのも自己肯定感が高まっていたからですか?
onodela:そうですね。あとは自分を客観視できるようになっていたのもあると思います。例えば、DJとして成功した人々は、成功するまでどれぐらい時間を使ったのかとかを考えると、私なんて平均の半分にも及んでないんじゃないかなって冷静に考えられるようになりました。全然まだへこむ必要なんてないし、この先時間と努力を積めばいいんだと思えました。

onodela:最初の就職活動で目指していた金融業界のトップ4に入れなかったときも、やっぱりトップ4に入れる人は限られているし、今は入れなくてももし本当に入りたいならその方向に向かって努力し続けて足りない部分をプラスにしていけばいいだろうくらいに考えていました。
何かにへこむっていうのは、目の前の現実に対してどうしたらいいかわからなくて、自分の中で焦りが増えている状態ですよね。でも、その焦りを行動に変えてみれば、気持ちも落ち着くことがわかったんです。焦っている時間があったら、とりあえず何か動いてみる。そうすると不思議と前に進めるんですよね。もちろん、これは一日で身についたわけじゃなく、何年もかけて少しずつできるようになったことです。大学での「小野寺ならできる」という言葉の積み重ねが、自分を変えてくれたんだと思います。
——自己肯定感を取り戻したonodelaさんの人生が本当に花開くのはここから。後編では海外での道の切り拓き方や今伝えたいことを聞きました。
後編では早稲田大学→UCバークレー大学院へ進んだ経緯、卒業生代表スピーチに込めた思いなども伺いました。
取材・文/古屋江美子 写真提供/onodela