【気象予報士・福山佳那さん】仕事をしながら合格率5.8%の超難関資格取得、さらに東大大学院へ。「安心できる場所」をつくってくれた両親のもとで挑戦し続ける心が育った

合格率わずか5.8%の気象予報士試験を働きながら突破し、2026年春からは東大大学院で防災の研究をスタートさせた福山佳那さん。「私は全然器用じゃないんです」と笑う福山さんのチャレンジを支えてきたのは、幼少期から育んだ好奇心と、ご両親が作ってくれた「安心できる場所」でした。

現場での実務と学術的な研究の両輪を回したい

社長の言葉に奮起。入社1年目で気象予報士へ挑戦

―福山さんは、2019年3月に神戸大学を卒業され、4月から地元の鳥取市にある「日本海テレビジョン放送」に就職。報道局に配属された1年目に気象予報士の資格を取得されたそうですね。

福山さん:当時の社長から、「うちには気象予報士がいたことがない」と聞いたのがきっかけです。それまでは自分が気象予報士になるという発想すらありませんでした。

もともと、私がテレビ局への就職を目指したのは、「災害を自分事として捉えてもらえるような報道に携わりたい」と思ったからです。

2011年、東日本大震災が起きたとき、家族と年少から5年生まで過ごした仙台が被災地になり、その状況がどこか他人事のように捉えられているのではないかというもどかしさがあったんです。気象予報士になれば、会社の役にも立てますし、自分のやりたいことにも近づけると思って勉強を始めました。

気象予報士として仕事をしながら、東大大学院で防災の研究をしている福山佳那さん

―福山さんが合格された第54回(2020年8月実施)気象予報士試験の合格率はわずか5.8%でした。働きながら超難関資格を取得するのはかなり大変だったと思います。どのように、勉強と仕事を両立されたのでしょうか。

福山さん:当時は記者として、朝から取材に出て夜遅く帰ってくるような不規則な生活だったので、勉強の計画を時間ではなく、日割りタスクに落とし込みました。

試験日から逆算し、それまでに過去問20年分×3周をやるためには、1日何問をやらなければならないかを決める。夜中に帰宅しても、ノルマは絶対にやり遂げました。朝早く起きてやることもありましたね。この時期が人生でいちばん忙しかったかもしれません(笑)。

入社2年目の2020年に気象予報士試験に合格し、資格を取得した後は、報道記者として働きながら、夕方は『ニュースevery日本海』のお天気コーナーを担当していました。

報道における「情報の伝え方」のジレンマを解決したい 

―2022年12月、現在の株式会社ウェザーマップに所属して、福岡で2025年3月まで朝の番組の気象予報士を担当。2025年4月、東京に拠点を移されました。さらに東大大学院で学び続けたいと思われたのはなぜだったのでしょうか。

福山さん:気象予報士として実務を重ねる中で、現場が抱える多くの課題が見えてきたからです。

例えば、メディアは防災や減災のために情報を伝えなければなりません。しかし、それが視聴者にとって「空振り」に終わると、受け手側は「どうせまた起きないだろう」と捉えてしまう「オオカミ少年効果」が生まれ、本当に避難が必要なときに逃げ遅れを招いてしまうおそれがあります。

災害情報の具体的な伝え方に関する研究はまだほとんどありません。実務に還元できる研究をしたいですし、逆に実務経験を研究に生かせるよう、仕事と研究の両輪を回していきたいと考えていたとき、防災の研究で有名な先生が東大にいらっしゃることを知り、受験しようと決めました。

「現場で感じたジレンマが、研究への熱意につながりました」

―現場での強い問題意識が、次なる大きなステップへと背中を押したのですね。大学院の受験に向けて、具体的にはどのような準備をスタートされたのですか。

福山さん:2025年の4月から、東大の教育部研究生として大学に通うようになりました。大学の図書館を使って勉強したり、授業に参加したりして、夏の大学院入試に臨みました。

ただ、研究計画書を作る作業は、病みかけるほどしんどかったです(笑)。正解も終わりもないタスクなので、書籍や論文をひたすら読み、志望研究室の先輩にも意見をいただきながらまとめていきました。

フリーランスの気象予報士としての仕事は週5〜6日。職場と大学を行き来する毎日でしたが、自分を追い込みました。まさに仕事と勉強しかしていない期間でしたね。

キャスターの仕事をしながら受験勉強をしていた頃 写真:福山さんのInstagramより

「落ちたときの自分」を想像してやる気に火をつけた

―結果は見事合格。2026年春から、念願の大学院で研究をスタートさせました。福山さんがそこまでご自身を追い込める、モチベーションの源はどこにあるのでしょう。

福山さん: 決めたことをやり遂げていない自分が嫌いなんです。「もし落ちたら、あのときサボった自分を一生責めるだろうな」という最悪の未来と、「合格して研究している自分」という最高の未来の両方を想像して、じゃあ今やるしかない、と自分の心に火をつけていました。

東京大学大学院の入学式にて 写真:福山さんのInstagramより

一緒になって「なぜ?」を考えてくれた両親

観察好きで、好奇心旺盛だった幼少期

―福山さんの集中力や、目標に向かって突き進む力の原点は幼少期にあるのではないかと感じます。どんなお子さんでしたか。

福山さん:父からは「じっくり観察して、自分で深く納得してから取り組む子だった」、母からは「好奇心旺盛で世話焼きだった」と言われました。今も覚えているのは、年少の頃に年長向けの遊具に挑戦して落ちて頭にたんこぶを作ったこと(笑)。落ちた痛みよりも、「私のせいでやっぱり年少の子には危ないと思われてしまうかも」と本気で心配するような、チャレンジ精神の強い子どもでした。

「虫など、興味の湧くものがあれば、ジッと観察し続けるような子でした」

答えのない問いを広げてくれた父

―専門の気象や防災のほか、非常に幅広い趣味をお持ちの福山さん。ご両親が福山さんの好奇心を広げる環境を作ってくれたのでしょうか。

福山さん:小さい頃から両親には、科学館や博物館にたくさん連れて行ってもらいました。知識を教え込むのではなく、一緒になんでも考えたり楽しんだりしてくれる両親だったので、自然と好奇心が広がっていったのかもしれません。

大学教授の父は典型的な研究者気質。私が問題の解き方を聞くと、最終的には専門的な話まで1から20へと広がって返ってきました。

また、私と弟が近所の公園に飽きてくると、ちょっと遠くの公園までの手書きの探検マップを父が一緒に作ってくれました。その地図を自転車のカゴに入れてルートをたどる探検は、本当にワクワクしました。

―遊び心にあふれたお父さまですね。そんなお父さまの言葉で、今でも印象に残っていることがあると伺いました。

福山さん:大学院受験の直前、父に「頑張っても報われないことが多い」とこぼしたことがあったんです。すると父が、「頑張ったことが支えてくれるのは、うまくいってるときじゃなくて、うまくいってないときだ。頑張ってきたからそこで踏ん張れる」と言ってくれました。

それを聞き、結果が出なかったとしても、それまでの努力は全部無駄じゃないんだ、と心が軽くなりましたね。

大学教授のお父様と

真面目な娘の背中を、あえて押さずに見守っていた母

―子育て中の読者の方々の中には、我が子が壁にぶつかったときの接し方に悩む方も多いです。福山さんご自身は、子どもの頃の学習スタイルやお母さまとの関わりで、印象に残っていることはありますか?

福山さん:私は暗記が大の苦手でした。要領よく覚えられる弟がうらやましくもありましたが、私は算数の公式も、なぜそうなるのか納得できないと先に進めませんでした。

そんな私に、小学校の教員免許を持っていた母は、ノートに公式の基になる分かりやすい絵を描いて、私が納得するまで教えてくれました。母が私の「納得したい」という気持ちを否定せず、根気強く伴走してくれたことには今でも感謝しています。

― 勉強のサポートだけでなく、福山さんが精神的に行き詰まったり、「もう限界だ」と感じたりしたとき、お母さまはどのように接してくれたのでしょうか。

福山さん:母は、私が勉強や部活で行き詰まって「もうやめたい」とこぼしたとき、「頑張れ」とは言わず、むしろ「やめたいなら、いつでもやめたらいいよ」と言ってくれる人でした。

真面目で責任感が強い私にとって、逃げることすらも肯定してくれることがすごく救いになりました。逆にフッと肩の力が抜けて、「もうちょっとだけやってみようかな」と自分から思えたんです。

「順風満帆? 全然(笑)」 大学受験では痛恨のミスで出願できなかったことも

―周囲からは「最初から何でもスマートにこなせる人」と見られることも多いのではないでしょうか。ここまで順風満帆に進んでこられた印象を受けますが、ご自身ではどう感じていますか。

福山さん:全然(笑)。私は昔から不器用で気にしすぎる性格。周りから「福山さんは最初から勉強ができたんだよね」なんて言われるのですが、そんなことないです。

私、人よりもうまくいかないことの方が多いんですよ。大学受験のときも、科目選択のトラブルで、ずっと目指していた大学の前期試験の受験資格を失うという、苦い経験をしました。後期試験の神戸大学には合格することができたのですが、入学当初は後悔が頭をよぎることもありました。

でも、大学では素晴らしいゼミの先生や生涯の友人に出会えました。英語と国語が好きで中高の英語教員免許も取得したんです。卒業する頃には「ここに来て本当に良かった!」と心から思いました。

「器用に見られがちですが、人よりうまくいかないことの方が多いです」

―神戸大学在学中の2017年には「ミス神戸大学コンテスト」でグランプリを受賞されています。現在のキャスターとしての活躍も含め、昔から人前に出ることが得意だったのでしょうか。

福山さん: これも真逆なんです。大学3年生の頃にメディア系の仕事に進みたいと思ったものの、人前に出るのが苦手というギャップにすごく悩みました。それで、「無理やり人前に出る活動をすれば、少しは得意になるんじゃないか」と考えてエントリーしたのがミスコンでした。

友人からは「絶対に出るタイプじゃないのに!」と驚かれましたし、両親も猛反対(笑)。そのくらい、人前に出ることへの苦手意識がありました。

この経験で何より嬉しかったのは、飾らないままの私を応援してくれ、結果的にグランプリをいただいたことを泣いて喜んでくれる友人の存在に気づけたことです。こんな友人がいることは私の誇りだなと。人前に出るのが得意になったかどうかは今でも微妙なところですが、この挑戦が大きな糧になったのは間違いありません。

―最後に、子どもの学びや挑戦を応援したいと日々奮闘されている保護者の方々へ向けて、メッセージをお願いします。

福山さん: 得意なことや長所は人それぞれ。サクサクと覚えられずにずっと考え込んでしまう私の性格も、両親が「納得するまで深く考えられる子」と、長所として受け止めてくれたのだと思います。ですから、お子さんのできないことも否定せずに受け止めてあげて、隠れた長所を見つけてあげてほしいなと思います。

そして何より、外で挑戦した子どもがいつでも戻ってこられる安心できる家庭であってほしいです。安全基地がちゃんとあることこそが、子どもが次の一歩を踏み出すための、いちばん大切な土台になるのではないでしょうか。

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お話を聞いたのは

福山佳那 気象予報士・防災士・気象防災アドバイザー

気象予報士・防災士・気象防災アドバイザー。1996年7月8日生まれ、鳥取県出身。神戸大学卒業後、2019年に日本海テレビへ入社。報道記者として働きながら気象予報士資格を取得。2022年よりウェザーマップに所属し、福岡放送での番組出演を経て上京。現在はTBS『日曜Nスタ』、TOKYO MX『Wake Up7』等に出演中。現場での経験から抱いた課題を学術的に研究するべく、2026年春より東京大学大学院で防災の研究に励む。健康気象アドバイザー、中高教諭第一種免許(英語)なども保持。大学在学中には「ミス神戸大2017」グランプリを受賞。

この記事を書いたのは

黒澤真紀 ライター

愛媛県出身。大学時代まで自然豊かな愛媛で過ごし、都内の学習塾に勤務した後、2011年よりフリーライターへ。教育分野を中心に、医療やライフスタイルなどのテーマで執筆しています。息子たちが小学生の時に大学院を受験し、2019年、お茶の水女子大学大学院修士課程修了(社会科学修士)。子育てもひと段落。最近、俳句を始めました。

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撮影/五十嵐美弥

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