ニューディール政策とは、第32代アメリカ大統領、フランクリン・ルーズベルトによって実施された経済政策の総称です。これらはどのような目的・意図で実施されたのでしょうか。ニューディール政策が実施されるに至った背景や主な内容を紹介します。
ニューディール政策とは
ニューディール政策は、アメリカの近代史を語るうえで欠かせない政策の一つです。詳細について見ていきましょう。
世界恐慌からの脱却を目指す政策
ニューディール政策とは、世界恐慌に直面したアメリカが経済を回復させるために取った、種々の政策を指します。
1929年10月24日(木)、ニューヨーク証券取引所で株価が大暴落しました。これが「暗黒の木曜日」と呼ばれる世界恐慌のきっかけです。
当時アメリカは、第一次世界大戦の復興需要などから空前の好景気に沸いていました。その様子はまさに「バブル」といえるものでしたが、当時の大統領ハーバート・フーバーは、見通しが甘かったため、特に対策を取ることもなく放置してしまいます。結果、バブルが弾けると、アメリカは無策のまま経済の大混乱に直面することとなりました。
大恐慌の影響により、1929~33年までのアメリカの実質GDP(国内総生産)は約27%も減少したといわれます。1933年には失業率が25%にも上り、街には職を失った人が溢(あふ)れました。
ルーズベルトが大統領選で圧勝
経済的失策から国民の反発を招いたフーバー大統領に代わり、第32代大統領となったのがフランクリン・ルーズベルトです(1933年)。ニューヨーク州知事として研さんを積んだ彼は、アメリカを襲った大不況に打ち勝つべく、さまざまな対策を掲げます。これらは不況にあえぐ国民から圧倒的な支持を集めました。
なお、ルーズベルトというと、日露(にちろ)戦争の仲介をしたセオドア・ルーズベルトを思い浮かべる人もいるのではないでしょうか。実は、両者は遠縁の親戚にあたります。また、フランクリン・ルーズベルトの妻は、セオドア・ルーズベルトの姪(めい)でした。
主な政策内容
ニューディール政策は、「政府が経済に積極的に関与した」という点において、それまでのアメリカの経済政策とは大きく異なるといわれます。
フランクリン・ルーズベルトは、具体的にどのような施策を行ったのでしょうか。
金融機関の管理
ルーズベルトはまず、金(きん)を通貨の基準とする「金本位制」を廃止します。代わりに、政府が通貨基準を定める「管理通貨制度」を導入しました。これはドルの価値低下を防ぐのが狙いです。
また当時は、銀行倒産の噂(うわさ)から社会には不安やパニックが広がっていました。政府は「連邦預金保険公社(FDIC)」を設立して預金者を保護し、社会の鎮静化を図ります。
さらに、1933年には銀行と証券を完全に分離させる「グラス・スティーガル法」が成立しました。
そもそもこの大恐慌は、当時のアメリカの銀行が投機的な活動を行っていたことも原因の一つといわれています。ルーズベルトは、金融面の要である銀行を安定させることが経済復興につながると考えたのです。
公共事業の拡大
テネシー川流域の治水(ちすい)工事は、ニューディール政策を語るとき、外せない政策の一つです。
ルーズベルトはテネシー川における30以上ものダムの建設、水力発電、治水事業などを公共事業として手掛けると決定しました。
テネシー川周辺は開発の必要性が認められていたものの、長らく放置されていた地域です。ルーズベルトはここに「テネシー川流域開発公社(TVA)」を設立して労働者を募集することで、治水事業と失業者対策を同時に行おうと考えたのです。
その結果、この事業は多くの失業者の受け皿となります。上昇を続けていた失業率は、いったん落ち着きを取り戻しました。
社会保障法の制定
1935年に制定された「社会保障法」は、第2次ニューディール政策の要ともいえる政策です。法案の成立により、失業者や貧困者などは、政府と州が共同で出資し合う機関から保障を受けられるようになりました。
大恐慌以来、さまざまな政策を打ち出したルーズベルトですが、なかなか状況は好転しませんでした。次第に人々の不満は募り、反政府的な活動も増えていきます。
この社会保障制度は、そのような状況のなか、人々の不満を受け止めるかたちで誕生しました。
なお、社会保障法によって生まれたこの制度は、アメリカ初の社会保障制度であるともいわれています。政権が変わっても引き継がれ続け、現在も政府主導による最大の国内制度として維持されています。
景気回復の効果はあった?
ルーズベルトは、大きなダメージを被ったアメリカの経済を回復すべく、さまざまな対策を実施しました。彼の政策がその後の世界の経済政策に大きな影響を与えたともいわれますが、実際の効果はどのようなものだったのでしょうか。
十分な効果は得られず
残念ながら、ニューディール政策により「アメリカ経済が復活した」とは断言できません。
恐慌後、多くの国々が諸外国からの安価な物資を排除する「ブロック経済」政策を選択しました。アメリカは、以前のように輸出で収入を得られず、経済は再び後退してしまいます。
加えて国内の大企業は、政府による厳しい規制に反発しました。さまざまな政策が「違憲である」との判決を受けたことをみれば、政策がスムーズに実行されたとはいえないでしょう。
ただし、失業率の改善については一定の評価が与えられています。ルーズベルトの政策によって失業率は大幅に改善され、1938年ごろには大恐慌前の水準に戻りました。
第二次世界大戦への参戦
停滞していたアメリカ経済が復活を遂げるきっかけとなったのが、第二次世界大戦への参戦です。アメリカは軍需を拡大し、これが経済を好転させるきっかけとなりました。
また、第二次世界大戦の主戦場は、ヨーロッパやアジアです。アメリカ国内の拠点には何らダメージがなく、輸出量は増加しました。
これによりアメリカ経済は完全に復活し、長きにわたる不況から脱出したといわれています。
ニューディール政策について学べる本
ニューディール政策をもっと知りたい方におすすめの参考文献をご紹介します。
「学校で教えない 大恐慌・ニューディール」(大学教育出版)
本書は、オーストリア学派、とりわけフレデリック・ハイエク(ノーベル賞受賞者)等による景気循環論に依拠して、ニューディール政策をはじめとする日本およびその他の先進国によって支持される「刺激」策が、実際には真の回復を妨げること主張しています。
子ども教育図鑑 「世の中のしくみ」(誠文堂新光社)
ニューディール政策について知るためには、まず政治、経済、産業など、世の中のしくみを知る必要があります。なかには経済学の分野に踏み込んだ、大人でも答えられない難しい問題がいっぱいあります。この本は、そんな難問にじっくり向き合い、考えるための図鑑です。世の中のしくみがわかって、自分のアタマで考える力が身につきます。
さまざまなことに取り組んだ政策
ニューディール政策は、フランクリン・ルーズベルトが取り組んださまざまな政策です。アメリカで起きた大恐慌後の混乱を収めるべく、金融面・社会面でさまざまな取り組みがなされました。成果については賛否ありますが、失業対策については一定の効果があったことは否定できません。
また、「政府が積極的に経済に関与する」という経済対策は、のちに多くの国が導入しています。さまざまな国に先駆けて「自由放任主義的な経済政策をやめる」という決断を下したルーズベルトの政策は、画期的なものだったといえるでしょう。
構成・文/HugKum編集部