渋沢栄一といえば、明治時代以降の日本経済の発展に貢献し、多くの企業・団体に関わった「日本経済の父」と呼ばれる人物。その彼が若き頃は尊王攘夷運動にのめりこんでいたことをご存じですか?
青年・渋沢栄一の尊王攘夷の企てとは
深谷市の豪農の家に生まれ、若くして生家の商売や儒学・漢学に触れて育った栄一。彼が青年期を迎える頃、日本はペリーの黒船来航によって尊王攘夷の思想の嵐が吹き荒れます。
学問や剣術を学ぶために江戸に行き来していた栄一も、やがて尊王攘夷運動にのめりこむようになり、同志たちと攘夷のための計画を企てます。その企てとはどんな内容だったでしょうか。
1)薩摩藩と長州藩の仲介
2)横浜の外国人居留地の襲撃
3)将軍・徳川家茂の毒殺
4)江戸城の大奥に密偵を送り込む
【正解】
2)横浜の外国人居留地の襲撃
まんが/岩田やすてる シナリオ/香川まさひと 監修/老川慶喜
『学習まんが人物館 渋沢栄一』より
結果的に実行はされませんでしたが、若き頃の渋沢栄一にこんな過激な一面があったとは意外に感じるかもしれません。
のちの海外視察からいち早く欧米の社会制度や経済のしくみを日本に取り入れ、諸外国との民間交流で知られる栄一が攘夷思想の持ち主であったことは、この時代がいかに激流うずまく目まぐるしい時代であったかがうかがわれて興味深いですね。
栄一はその後「尊王攘夷の志士」から「大名に仕える武士」へと一転した人生を歩みます。
その後の渋沢栄一を知るために
「小学館版 学習まんが人物館 渋沢栄一」
伝記まんがの決定版「学習まんが人物館」で、渋沢栄一のその後の活躍を追ってみましょう。
生家の商いでめきめきと商才を伸ばし、その後の尊王攘夷の志士時代を経て、栄一はなんと徳川御三卿である一橋家に武士として仕えることになります。その後の彼の波乱万丈の歩みは、そのまま明治以降の日本経済の歴史と重なります。
関連人物と時代の相関を巻頭・巻末の資料でつかみながら、まんがのドラマチックなストーリーで渋沢栄一の一生を知ることができます。
構成・文/HugKum編集部