渋沢栄一は何をした人なのか? 生い立ちや功績の数々を徹底解説!

渋沢栄一像(東京都北区 渋沢資料館)

 

「渋沢栄一は大きな会社を作った人」と知ってはいても、「具体的なことは曖昧だ」という人は少なくありません。そこで、渋沢栄一の生涯にわたる輝かしい功績について解説します。大河ドラマの放映や新1万円札が発行される前に、いち早く知識を付けておきましょう。

渋沢栄一とはどんな人?

渋沢栄一は、開国から昭和初期までの激動の時代において、日本経済の基礎を築いた人物です。まずは、どのような家に生まれ、子ども時代・青春時代をどう過ごしたのか見ていきましょう。

1840年農商家に生まれる

渋沢栄一は、1840年に今の「埼玉県深谷市」で誕生しました。上に2人の兄がいましたが、両方とも早くに亡くなったため、三男である栄一が長男として育てられたのです。

家は豊かな農商家で、畑作のほかに養蚕(ようさん)や製藍といった商いも営んでいました。栄一は幼い頃から家業を手伝っていたため、仕入れや販売を通して経済感覚が磨かれていったのでしょう。

桜と深谷駅

 

また、父の教育方針のもと、武家の子と変わらないくらいの教養を身に付け、7歳になると従兄弟の尾高惇忠(新五郎)のもとで「論語」も学び始めました。後年の豊かな語彙力と表現力は、確かな教育のたまものだったといえます。

尊王攘夷思想に目覚める

当時の日本は長く鎖国状態にあり、交流する国を制限していました。ところが、ペリーが来航し外国の軍事力に恐れをなした幕府が開国したことにより、国内に多くの外国人が入り込んできたのです。

天皇は外国人を恐れていたため、「天皇が何より大事」だと考える多くの日本人が「尊王攘夷」を掲げました。尊王攘夷とは、「天皇を守り、外国人を追い出そう」という思想のことです。

例にもれず、渋沢栄一も尊王攘夷派でした。23歳のとき「高崎城を乗っ取り幕府を倒そう」としましたが、従兄弟の尾高長七郎からの説得もあって計画を断念したのです。

そのわずか1年後の1864年、後に江戸幕府第15代将軍となる「一橋慶喜(ひとつばしよしのぶ)」に武士として仕えることとなります。尊王攘夷から180度の転身ですが、渋沢栄一にとって運命を切り開く決断でした。

徳川慶喜の墓(東京・谷中霊園)

パリ万国博覧会を視察する

1866年、一橋慶喜が将軍・徳川慶喜となったのと同時に、渋沢栄一も幕臣となりました。27歳になると、慶喜の異母弟である徳川昭武に伴い、「パリ万国博覧会使節団の一員」としてフランスへ渡ります。

ヨーロッパ各国を視察して回った栄一は、大きな感銘を受けました。日本の外には、先進的な産業、資本主義や独特の経済学といった、今まで見たことのない文明があったのです。なお、視察中の栄一に語学を指南していたのは、かの有名なドイツの医師・シーボルトの長男、アレキサンダー・フォン・シーボルトでした。

見識だけではなく海外とのコネクションも得ていたようで、この視察が栄一のその後に大きな影響を与えたことは言うまでもありません。

渋沢栄一の功績

豊かな生家、博識な父や従兄弟、海外視察の経験など、あらゆる幸運に恵まれた渋沢栄一は、その後さまざまな偉業を成し遂げていきます。その最たるものといえる、二つの功績について確認しましょう。

日本初の銀行を開業する

1873年6月11日に、日本で初となる国立銀行が設立されました。当時「第一国立銀行」と呼ばれたメガバンクは、今では「みずほ銀行」と名を改めています。この第一国立銀行を設立したのが渋沢栄一です。

慶喜による大政奉還によって政権が朝廷に返上された後、栄一は明治政府の役人として働き始めました。数々の実績を残しながらも、33歳のときに役人を辞めて第一国立銀行の総監役となります。

第一国立銀行は、官営銀行として長期で借り入れできる低利の融資を行い、日本経済を支えてきました。また、栄一の指導により多くの地方銀行も設立されたのです。

この渋沢栄一による金融機関の整備なくして、日本が経済大国として外国と肩を並べることはなかったでしょう。

多くの銀行が建ち並ぶ東京日本橋・室町

数々の会社設立に関わる

渋沢栄一は、銀行だけではなく、さまざまな業種の会社を設立しました。その数は「500社以上」であり、多くが今の日本経済を支える大企業として君臨しているのです。創設に関わった企業の多くが成功を収めていることからして、渋沢栄一はまさに「日本資本主義の父」と呼ばれるにふさわしい人物であるといえるでしょう。

1886年頃、その名声はまたたく間に起業家たちの間に広まり、同じような成功を目指す若者を中心に勉強会が結成されました。この集まりは「竜門社」と命名され、昭和に入る頃には会員数が数千名にもなっていたようです。

なお、竜門社は現在では「渋沢栄一記念財団」として運営されています。

東京都北区の渋沢資料館(公益財団法人 渋沢栄一記念財団)

設立に関わった主な会社

ここでは、渋沢栄一が設立に関わった中でも特に有名な四つの企業を紹介します。

東京海上保険(現在の東京海上日動)

「東京海上保険」は現在の「東京海上日動」です。1879年8月1日、渋沢栄一の提案により、日本で初めての海上保険会社として設立されました。

明治時代、たくさんの産業を興そうという動きが活発となる中、成長の著しかった産業が「海運・貿易業」です。貿易にはトラブルが付き物であり、取引をうまく進めるために海上保険が必要とされていました。

特筆すべきは現在の株式会社のような形を取っていたところでしょう。会社を経営するにあたって必要な規範や指針も細かく定義されていたことから、現在の企業形態のスタンダードとなったといえるかもしれません。

東京瓦斯(現在の東京ガス)

明治維新後、海外との交流が活発になると同時に、ガスが日本人の生活に取り入れられるようになってきました。横浜でガス事業が始まり、ガス灯が夜道を照らすようになったのです。

間もなく東京にもガス灯が輝き始めましたが、まだガス事業は官営で行われていました。そこで渋沢栄一がガス事業に乗り出し、1885年に民間で初となるガス会社「東京瓦斯(現在の東京ガス)」が誕生したのです。

「GAS MUSEUM がす資料館(東京都小平市)」のガス灯

大阪紡績(現在の東洋紡)

貿易が盛んになるにつれ、業績が伸び悩む産業が出てきました。紡績業もその一つです。海外から良質な綿製品が大量に輸入されると、どうしても国内の綿製品生産量が減少してしまいます。

紡績業の衰退を懸念した渋沢栄一は、旧大名や商人から出資を募り、近代的設備を整えた工場の設立を急ぎました。1882年、ついに栄一の奔走が実を結び、「大阪紡績」が設立されたのです。

これをきっかけに次々と紡績会社が設立され、やがて「東洋のマンチェスター」と呼ばれる大阪を中心に、日本は紡績大国として世界に名をはせるようになりました。

大阪紡績は、このときに設立された三重紡績・天満紡績などとの合併を経て、現在の「東洋紡」になっています。

東京証券取引所

株式会社の株主は、持ち株を好きなように売る権利を持ちます。また、その株式を買いたい人もいます。こうした人々の間に入り、スムーズに取引を行うのが証券取引所です。

明治時代にも公債の売買を行う証券業者はいました。しかし、個人では市場全体の情報をつかみにくいというデメリットがあり、株式の売買を取りまとめる仕組みの必要性が高まっていたのです。

海外におけるその仕組みを見知っていた渋沢栄一は、両替商の今村清之助とタッグを組んで、1878年に「東京株式取引所(現在の東京証券取引所)」を設立します。この取引所の設立により、株式を投資家に買ってもらって、その出資金を元手に事業を始める株式会社の制度が導入できるようになったのです。

東京証券取引所(東京都中央区)
共産主義とは? 社会主義・資本主義との違いを子どもにも分かりやすく説明
社会の授業で習う「共産主義」。でもイマイチ内容をきちんとわかっていない場合も多いのではないでしょうか?子どもに聞かれたときにわかりやすく説明...

社会活動にも積極的に取り組む

起業家として活躍する一方で、渋沢栄一は慈善家としての一面も持ち合わせていました。ここでは、渋沢栄一による社会活動を紹介します。

教育機関の設立に協力

「国を豊かにするには、利益を社会へ還元するべきである」とする「道徳経済合一説」のもと、渋沢栄一は教育の発展にも惜しみなく尽力しました。

以下は、渋沢栄一が設立に関わった大学の一部です。

  • 一橋大学
  • 東京経済大学
  • 日本女子大学
  • 東京女学館

特に、日本女子大学が設立されるまで、女子に高等な教育が与えられる機会はほとんどありませんでした。渋沢栄一による教育機関への協力は、女性が社会で活躍するきっかけとなったといえるでしょう。

窮民救済のための養育院を設立

明治維新により社会体制が大きく変わった反動で、職を失う人も多くいました。孤児や老人、障害者を含め、当時は人口の60%が生活困窮者だったといわれるほどでした。

富国強兵を進める政府が養育院の廃止を決定すると、「窮民救済は資本主義にとって必要なこと」という持論のもと、渋沢栄一は委任経営者として運営を続けることを決意します。

さらに、東京慈恵会・日本赤十字社などの設立にも携わりました。なお、日本赤十字社の設立には、海外視察の際に同行したシーボルトも協力しています。

旧東京市養育院(現・東京都健康長寿医療センター)の渋沢栄一像

渋沢栄一が新1万円札に?

財布を持って「諭吉」といえば、誰もが「1万円札」を連想するでしょう。しかし、数年後にはこの代名詞が「栄一」に取って代わられる時代がやってきそうです。

2024年の発行予定

現行の日本銀行券が発行されるのは2023年までで、2024年以降は新しい肖像が印刷される予定になっています。

  • 1万円札:福沢諭吉→渋沢栄一
  • 5000円札:樋口一葉→津田梅子
  • 1000円札:野口英世→北里柴三郎

表面だけではなく、裏面の図柄や額面数字の大きさも一新される予定です。偽造防止や識別性を向上させる目的で新たにホログラムも追加されるため、今のお札より少し華やかになるかもしれません。

子どもと一緒に読めるおすすめの本

渋沢栄一の考え方は、教育にも大いに役立つでしょう。とはいえ、渋沢栄一の思考や人生を小さな子どもに説明するのは、少し難しいかもしれません。

そこで、やさしい言葉で分かりやすく解説してくれる、おすすめの本を3冊紹介します。

学習まんがの決定版「小学館版 学習まんが人物館 渋沢栄一」

人物伝記スタイルの漫画として根強い人気の「学習まんが人物館」。ドラマを見るような展開にひきこまれながら、渋沢栄一の人物伝はもちろん、彼が生きた明治初期、日本経済の黎明期を臨場感たっぷりに追うことができます。

巻頭には、写真でたどる渋沢栄一の業績と生涯がまとめられ、人物と時代の相関、歴史的な流れの大枠をつかみながら漫画本編へと導入します。

経済だけでなく、欧米諸国との民間外交を行ったことで、ノーベル平和賞の候補にもなっていた渋沢栄一。彼の生涯にじっくり触れてみてください。

子どもでも読みやすい「こども論語と算盤 / お金と生き方の大切なことがわかる!」

渋沢栄一の名著に「論語と算盤」があります。確固たる意思を持って日本経済の発展に尽くした渋沢栄一による鮮烈なビジネス思想書ですが、言い回しが難しく、大人でも読破するのは大変でしょう。

この名著を子ども向けに超訳したのが、「こども論語と算盤 お金と生き方の大切なことがわかる!」です。

「仕事ができて他人から信頼される、そんな立派な大人になるにはどうしたらよいのか」生きるために大切なことが、この1冊にギュっと詰まっています。

漫画で楽しく学ぶ「漫画でざっくりわかる 渋沢栄一」

「漫画でざっくりわかる 渋沢栄一」は、タイトル通り、渋沢栄一の人生に起きた大きな出来事を漫画にした本です。

幕末の出来事や経済のあれこれは、漢字や聞き慣れない言葉も多く、理解が難しいことがあります。その点、漫画であれば絵で心情などもつかみやすいため、つまずくことなく読み進められるでしょう。

渋沢栄一の性格や趣味について触れる4コマもあり、1冊通して楽しめる作りとなっています。

おすすめの歴史アニメ10選|日本の幕末や戦時中など勉強にもなる人気作をご紹介
史実をベースにしたストーリー展開が多く、勉強にもなる「歴史アニメ」をピックアップしました。日本の幕末を舞台にした人気作や、アイヌの文化をリア...

日本経済の基礎を築いた渋沢栄一

渋沢栄一は日本経済の発展を語る上で欠かせない人物ですから、やがて子どもたちも彼について学ぶことになるでしょう。新1万円札の肖像やNHKの2021年大河ドラマに取り上げられることもあり、これからますます渋沢栄一ブームが高まることが予想されます。

この機会に渋沢栄一の功績について知っておくと、さまざまな場面でその知識を役立てられるかもしれませんね。

構成・文/HugKum編集部

編集部おすすめ

関連記事