「下駄箱に入っていたラブレターが・・・」日本代表・落合知也選手とバスケットの出会いとは

HugKumでは、俳優、声優、アーティスト、作家など、子どもたちが憧れる職業で活躍する方々にインタビュー連載を行なっています。 今回のゲストは、バスケットボール選手の落合知也さん。第一線で活躍している人は、どんな〝小学1年生〟時代を過ごしていたのでしょうか。当時憧れていたもの、夢中だったものとはー。

バスケットボール選手・落合知也さんが小学1年生だったころ

下駄箱に入っていたラブレターはバスケットボールへの招待状でした

小学1年生のときに憧れていたのは、プロ野球選手。初めて観た東京ドームの巨人戦がきっかけでした。当時、野球のルールもよく理解していなかったけれど、観戦中に体感したその場の熱狂が、子どもながらに忘れられなかったんだと思います。

小学3年生になり、いよいよ地元の野球チームに入団しようかと思っていた矢先のこと。学校の下駄箱に一通の手紙が入っていました。ラブレターかと思い、興奮しながら開けてみると…そこには『今週の日曜、ミニバスに来てほしい』という文字が。

差出人は普段あまり話すことのなかった同じクラスのクマイ君。それがバスケとの最初の出合いになるんです。

クマイ君は、背が高かった僕がバスケに向いていると思って声をかけてくれたようです。練習に合流してから、すぐに試合に出場できるようになりました。

ただ、このチームがとにかく弱い(笑)。初試合で120対6と、相手チームに大差で負けてしまいます。その悔しさが、バスケを真剣にやりたいと思うきっかけになりました。シュートが決まった瞬間のあの快感は、何ものにも代えがたいもので、どんどんバスケの魅力にのめり込んでいきました。漫画「スラムダンク」の影響も大きかったですね。

▲小学生のころから負けず嫌いで、ジャンケンだって勝つまでやりたいタイプ

次の目標は3年後のパリオリンピック

中学、高校、大学もずっとバスケ三昧の毎日でした。プロの道を進むという選択肢もあったのですが、大学卒業後、急にバスケ熱が冷めてしまい、バイトをしながらモデルの仕事に挑戦するようになります。

そんなある日、仲のいい大学の先輩に「ストリートバスケやってみない?」と声をかけてもらいました。最初はストリートってちゃらちゃらしているイメージがあって、みんな適当にやっているんでしょ? と思っていたのですが、実際は真逆。モチベーションも高く、みんな練習量も熱量もプロ並み。やっていくうちに、やっぱりバスケって面白いなと思い、25歳でトライアウトを受けて本格的にプロの道を歩むことになりました。遠回りをしてプロになったので、周囲からいろいろ言われましたね。

〝チャレンジを恐れないこと〟がなによりの武器

その後、いろいろな苦難を乗り越えて3 +3の日本代表になり、念願のオリンピック出場という夢も叶いました。僕からスポーツ選手を目指す子どもたちに伝えられることがあるとすれば、〝チャレンジを恐れないこと〟がなによりの武器だということ。実は、オリンピックが終わって、自分の試合を見返しているうちに、どんどん悔しくなってきて…今は3年後のパリでメダル獲得という目標に向かってメラメラ燃えています。僕もチャレンジを恐れず前へ突き進んでいきたいと思います。

バスケットボール選手

落合知也

1987年生まれ。東京都出身。法政大学卒業後、ストリートボールチーム「UNDERDOG」を経て、2013年に「大塚商会アルファーズ」入団。2014年に3×3男子日本代表に選出。2021 年の東京オリンピックでは準々決勝まで進出。現在は、3×3の活動を中心に、B.LEAGUEチーム「越谷アルファーズ」の選手としても活躍中。


『小学一年生』2021年12月号 別冊『HugKum』 
撮影/黒石あみ 構成/皆川彩乃

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