ワルシャワ条約機構(WTO)とは
「ワルシャワ条約機構」は、20世紀の後半に存在していた国家間の同盟です。具体的な活動期間や加盟国など、概要を紹介します。
社会主義国家同士の軍事同盟
ワルシャワ条約機構(WTO)は「東欧相互防衛援助条約」に基づく軍事同盟として、1955(昭和30)年に発足しました。ポーランドの首都ワルシャワで条約の調印が行われたことから「ワルシャワ条約機構」と呼ばれています。
加盟国は、ソビエト連邦(ソ連)を中心とする東ヨーロッパの社会主義国家です。ソ連のほか、ポーランド・東ドイツ・チェコスロバキア・ハンガリー・ルーマニア・ブルガリア・アルバニアが名を連ねました。
ただし、アルバニアはソ連への反発から1968(昭和43)年に脱退しています。
ワルシャワ条約機構発足の背景
東欧の8カ国は、なぜ、軍事同盟を結成する必要があったのでしょうか。当時の時代背景を見ていきましょう。
北大西洋条約機構(NATO)の存在
「北大西洋条約機構(NATO)」は、1949(昭和24)年に発足した、資本主義国家間の軍事同盟です。結成の背景には、第二次世界大戦後に起こった、西側の資本主義国家とソ連を中心とする東側の社会主義国家とが対立する「冷戦(れいせん)」があります。
西側諸国は、強大なソ連に対抗するためには軍事的に協力する必要があると考え、NATOを発足させます。一加盟国への武力攻撃を全加盟国に対する攻撃とみなす、「集団的自衛権」の行使を規定しました。
NATOの存在によって、ソ連は西側への軍事侵攻をけん制されます。さらに、結成当初12カ国だったNATO加盟国は次第に数が増え、東側諸国にとって無視できない存在となっていくのです。
1954年のパリ協定が引き金に
ワルシャワ条約機構結成の直接の要因となった出来事は、1954(昭和29)年の「パリ協定」です。第二次世界大戦の後、敗戦国のドイツは「ポツダム協定」によって、武装解除やポーランドへの領土割譲が決まります。
残った領土は、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連が分割して占領することになりました。しかし、アメリカ・イギリス・フランスの3カ国は、1954年にパリで会議を開き、ドイツ占領を終わらせることを決めます。
そして、3カ国が占領する地域を「西ドイツ」として主権を回復させ、再軍備やNATOへの加盟を認めました。ポツダム協定を破られたうえに、NATOの勢力拡大につながる結果に反発したソ連は、対抗手段としてワルシャワ条約機構を発足させます。
ソ連が占領していたエリアは「東ドイツ」として独立し、ワルシャワ条約機構に入りました。
ワルシャワ条約機構解散の経緯
世界情勢の変化によって、ワルシャワ条約機構は次第に機能しなくなり、1991(平成3)年に解散します。解散に至るまでの、具体的な経緯を見ていきましょう。
チェコ事件で内部分裂が表面化
1968年に、加盟国の一つチェコスロバキアで「プラハの春」と呼ばれる民主化運動が起こります。
ソ連・東ドイツ・ポーランド・ハンガリー・ブルガリアの5カ国は、軍隊を派遣して首都プラハを制圧し、運動を抑え込みました。
この事件をきっかけに、ワルシャワ条約機構の内部分裂が表面化します。
ルーマニアは軍の派遣を断り、アルバニアは機構から脱退してしまいました。武力で民主化運動を抑え込むソ連に対し、同じ社会主義国からも非難の声があがったのです。
対するソ連の最高指導者ブレジネフは、「ブレジネフ=ドクトリン(制限主権論)」と呼ばれる文書を発表します。その中で「社会主義国全体の利益を守るためには、一国の主権が制限されるのもやむを得ない」と主張し、民主化運動への軍事介入を正当化しました。
冷戦の終結で解散し、直後にソ連も崩壊する
1970年代以降、資本主義国が経済的な発展を遂げる一方で、社会主義国の経済は停滞し、行き詰まりをみせます。しまいには、リーダー格のソ連が改革を迫られる事態となりました。
1988(昭和63)年、ソ連の指導者ゴルバチョフは制限主権論を放棄し、他国の内政に干渉しないことを明言します。翌年に起きた東欧革命で、加盟国のほとんどが民主化を遂げ、1990(平成2)年には東ドイツが西ドイツに吸収されました。
東側の社会主義国が消滅したために冷戦は終結し、ワルシャワ条約機構は存在意義を失います。1991年に正式な解散の手続きを終えた後、ソ連も解体されることになりました。
ワルシャワ条約機構加盟国の現在
ワルシャワ条約機構の解散後、加盟国は、どうなったのでしょうか。旧ソ連構成国の動向も合わせて解説します。
ほとんどの国がNATOに加盟
WTO加盟8カ国のうち、ソ連と東ドイツを除く6カ国はNATOに加盟しています。このうち、チェコスロバキアは1992年にチェコとスロバキアに分裂しており、両方ともNATOに加盟しました。
また、東ドイツはワルシャワ条約機構解散の前年に、NATO加盟国の西ドイツに吸収されています。つまり、最終的にはソ連以外の国がNATOの一員となったのです。
なお、NATOは現在も存続しており、2022(令和4)年6月時点で30カ国が加盟しています。
旧ソ連構成国によりCSTOが発足
ソ連が解体した後、ロシアをはじめとする旧ソ連11カ国からなる、独立国家共同体(CIS)が発足します。1992年には、CISの一部の国によって軍事協力を約束する「集団安全保障条約」が締結されました。
さらに、2002(平成14)年になると、集団安全保障条約の締結国は「集団安全保障条約機構(CSTO)」を発足させます。
CSTOは、いくつかの国の加盟・脱退を経て、2022年1月時点での加盟国は、ロシア・アルメニア・カザフスタン・キルギス・タジキスタン・ベラルーシの6カ国です。
ソ連が主導したワルシャワ条約機構
ワルシャワ条約機構は、ソ連が主導して発足させた、社会主義国家間の軍事同盟でした。ソ連の影響力が弱まると同時に、その役目を終え、元の加盟国はそれぞれの道を歩んでいます。
それぞれの国が、過去にどのような状況にあったのかを知ることは、現在の世界情勢を理解するために大変有効です。ワルシャワ条約機構について改めて整理し、ヨーロッパ情勢の理解に役立てましょう。
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構成・文/HugKum編集部