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あっという間に旅立った妻。看護師さんには、葬儀場の手配を迫られ困惑
妻はステージ4の癌が発見されてから、約1カ月で旅立ちました。希望を失い絶望し、悲しいという感情さえ沸き上がってこない僕は、まさに「空っぽの状態」でした。
「葬儀はどうしますか?」と言われ……
ベッドで眠っている妻の横で空っぽのままボーッとしていると、看護師さんから
「奥様を葬儀場に移動しなければならないので……、葬儀場はどうされますか?」
とに聞かれました。はっきりは覚えていませんが、妻が旅立ってからおそらくまだ1時間も経過していなかったように思います。
「葬儀場ってどうすれば良いのでしょうか?」
落ち込む間もなく、葬儀のことを考えなければならないことに僕は戸惑いながら、逆に看護師さんへ尋ねました。
すると……。
「まずは葬儀場を決めて予約を取り、葬儀場の方に奥様を迎えにきてもらう必要があります」
とのこと。病院近くの葬儀場の一覧表を僕へ渡してくれました。
僕は喪主として葬儀をやったこともありませんでしたし、葬儀場を予約したこともありません。だから何をどうしたらいいのかも分からず、とりあえずもらった葬儀場一覧の中から駅に近いところを選び、電話をしました。
妻を葬儀場へ移動
すると、すぐに葬儀場の方が病院へ迎えに来てくれて、妻は葬儀場へ移動。僕がたまたま選んだ、その葬儀場は想像していたよりも小さな葬儀場でした。
あとで分かったのですが、この葬儀場は1日1件しか葬儀を実施できない規模のようでした。そのため直近は既に予約が埋まっているとのことで、妻の葬儀は5日後になりました。今考えると、この5日間という時間が僕にとっては本当に良かったと思います。
葬儀の形式ってあるの? 葬儀場のコーディネーターと相談
葬儀の実施日は決まったものの、相変わらず僕は何をすれば良いのか分からないままでした。そんなとき葬儀場のコーディネーターの方が、
「葬儀まで時間はありますし、旦那さんは焦らなくて良いですよ。ゆっくり奥さんをどんな風に見送ってあげたいか考えてくださいね」
と声をかけてくれました。
何をどうすれば良いのか分からない僕
「葬儀には決められたやり方があるのでは?」
と僕が尋ねると、コーディネーターの方は
「もちろん一般的なやり方はありますが、それは旦那さんや奥さん、そして親族の方々の意向次第でどのようにも出来ます。旦那さんと奥さんの家は何かの宗教に熱心ということはありませんか? 何かある場合、お坊さんはどうされますか?」
と尋ねられたので
「熱心な宗教は特にないです。お坊さんのことは良く分かりませんが、お坊さんを呼ばないで葬儀は出来るのですか?」
と聞いてました。
葬儀の形式は個人の自由
コーディネーターの方は「はい。お坊さん無しでも出来ます。旦那さんや親族の方々が必要ないと思えば、お坊さんを呼ばない形式での葬儀のやり方もありますよ」
と教えてくれました。僕は少し驚きながら、そのやり方について尋ねました。
今まで見たことがなかった形式の葬儀をやると決心
コーディネーターの方が説明してくれたその内容は、僕が知っている葬儀とは反対にある結婚式に近いやり方でした。
「お坊さんを呼ばない形式でやるなら、旦那さんは奥さんが喜んでくれることを一番に考えてください。奥さんが大好きなものを葬儀当日に向けて沢山用意してあげてください。葬儀の手順などは何も心配しなくても大丈夫ですから」
と声を掛けてくれたのです。
そして、僕は今まで見たことがなかった形式の葬儀をやると決心しました。
「お坊さんがいないのに葬儀が出来る訳がないだろう!」実父を怒らせてしまい……
妻の大事な人や物と共に、全力で妻を見送る!そう決めてから、葬儀会場に掲示する妻の写真や葬儀当日に流すBGMなどの準備をすることにしました。
妻と一緒に過ごしてきた思い出を振り返る
写真やBGMを選ぶ作業をしていると、絶望で空っぽだった僕の中に大きな感情が初めて込み上げてきました。それまで出なかった涙が溢れ出し、止まらなくなったことを良く覚えています。僕はこの作業をしたことで、ようやく妻の死が現実だということに向き合い始めたのでしょうね。
この作業がなかったら、僕はいつまで経っても空っぽのままだったかもしれません。きっと葬儀も葬儀場の方に言われるがまま形式を装ってやっていたでしょう。
「お前は何を考えているんだ!」と実父
そんな準備をしながら迎えた葬儀の前日に僕の両親が田舎から来ました。
そして、父が僕に優しく声を掛けてくれている中で、
「どこのお坊さんにお願いしたんだ?」
と僕に聞いてきました。僕がお坊さんへ依頼をしていないことを伝えると父は非常に驚き
「お坊さんがいないのに葬儀が出来る訳がないだろう!お前は何を考えているんだ!」
と少し声を荒げました。僕は説明しようとしましたが、父が興奮で落ち着かずなかなか話が出来ません。そんな状況だったので、葬儀のコーディネーターの方が話をしてくれました。すると、父は
「お前の好きなやり方で精一杯見送ってやれ!」
と言ってくれたのです。この時、父へコーディネーターの方がどんな説明をしてくれたのか未だに分かりませんが、いつか聞いてみたいと思います。
「マックのポテト」や「チョコパイ」なども添え、全力で妻を見送る!
妻の祭壇には妻が大好きだった花「ひまわり」が綺麗に飾られていて、食べ物の方も大好きだった「マックのポテト」や「チョコパイ」などを僕と娘で沢山並べました。式場に流れるBGMはすべて妻が大好きだった曲を選曲。
参列者の方は受付の記帳と一緒に用意されたメッセージ用紙に妻への最後の言葉を書き、それを妻が眠っている棺へ届けた後、線香をあげて見送ってもらいました。
ダンスを踊ったり、歌ったり……
また、葬儀では妻と僕の共通の仲間達が涙を堪えながら、ダンスを踊ったり、歌を歌ったりしてくれました。僕も妻に見せる最後のダンスを踊り、踊る時に使った帽子と靴を妻の棺へ。
妻の親友2名は準備してくれていた手紙を読みあげ、妻へ届けてくれました。当時3歳の娘も泣きながら、幼稚園の友達と一緒に合唱をしてくれて。
僕なりの葬儀は、結婚式に近い内容だったかもしれませんが、終始涙涙で一杯の時間。全力で妻を見送りました。葬儀前日にお坊さん不在ときいて激怒した僕の父も
「故人にとって大切な人達が個人を想ったやり方で自由に見送ってくれる。これが本当の葬儀かもしれないな……」と声を掛けてくれました。
僕自身も今までの人生で流した涙の全てを合わせても、この日の涙には到底かなわない量の涙を流しました。
しかし、この日に全力でお別れをしたことで、僕や娘、この日に参列してくれた方々の心の中に、妻の存在は深く刻み込まれたと思います。
あれから約10年、今思えば
今でも、あの日のことを話題にしてくれる友人が沢山います。
僕は、妻もきっと喜んでくれたと思っています。僕はあの葬儀で妻の死を吹っ切れることができたとまでは全然行きませんでしたが、全力で妻を見送れたことで、空っぽの状態からは少なくても抜け出し、前へ向き合うことができたとのでは?と今になって思います。
次回からは、3歳の娘の子育てについてを書きたいと思います。
第4話は、料理をろくにしたことがない僕は娘に空の弁当箱を持たせて幼稚園に行かせていました……。そんな話も聞いて下さいね。
続きのお話し「幼稚園に空っぽのお弁当箱を持たせていました…【シングルファーザー奮闘記】vol.4」は、こちら>>
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。すべての親子が幸せになりますように!
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文・構成/ひまわりひであき ※写真はイメージです。