※この記事は後編です。前のインタビューはこちらからご確認ください。【前編】【中編】
子どもたちに求めていた「人の気持ちがわかる子に」
――ヌートバー選手は高校時代、アメフトの選手としても活躍していたそうですね。子どもの頃から身体能力が高かったと思いますが、どういう気持ちで子育てしていましたか?
久美子さん たしかに野球をやっても、フットボールをやっても、ほかのお友だちより成績が良かったんですよね。でも、私たち夫婦は必要以上に褒めませんでしたし、本人もそれを鼻にかけたりしませんでした。それは、メジャーリーガーになった今も変わりません。
私が小さい頃からラーズに言っていたのは、人の気持ちがわかる子になってほしいということ。自分が友だちにされて嫌なことは友だちにもしちゃダメだよと、いつも言っていましたね。周りに気配りができる大人になってほしかった。
――「気配り」ができたからこそ、WBCでも日本チームに馴染めたのかもしれません。ヌートバー選手の才能を伸ばすために、なにか特別なことをしましたか?
久美子さん 好きなことやらせていたし、特別なことはなにもしていません。でも、身体を動かす環境は整っていたと思います。うちのすぐ近くに大きな公園があて、そこに野球場、バスケットコート、ローラーホッケー場、テニスコートもあるし、子どもが遊ぶ場所もあります。ラーズは小さな時からそこでずっと遊んでいました。
――ゲームは禁止で、子どもが外で遊ぶことを大切にしていたそうですね。
久美子さん はい。今の自宅の内見に行った時、エージェントが鍵を持っていなくて家のなかを見ることができなかったんですけど、大きな公園が近くにあるというロケーションだけですぐに購入を決めました。娘がちょうど1歳になった時だったので、28年前のことですね。
負けた試合の後は我が家流「24時間ルール」が有効
――ヌートバー選手はサッカーやバスケもしていたと聞きました。やりたいスポーツがなんでもできる環境が成功要因のひとつかも?
久美子さん それは、わかりません。でも、子どもだから、同じことを一年中やっていたら飽きちゃうと思うし、高校ぐらいになったらバーンアウトしちゃうんじゃないかな。子どものうちはなにで芽が出るかわからないし、いろいろなことをやらせてあげたほうがいいと思いますね。
――プリスクールで20年間仕事をしてきた久美子さんは、子どものポテンシャルを感じることも多かったのでは?
久美子さん そうですね。私はずっと4歳児を受け持ってきたんですけど、もう本当にスポンジみたいになんでも吸収するんですよ。特に興味があることに関しては呑み込みが早くて、驚きますね。お母さんたちが気づかないような能力を見せてくれる子もいますよ。例えば、神経衰弱がものすごく強い子や、4歳とは思えないほど上手な絵を描く子もいます。
――ヌートバー選手が子どもの頃は、どんな選手だったのでしょう?
久美子さん すごく負けず嫌いだから、試合に負けた後は怒るんです。それで、夫が作ったのが「24時間ルール」。負けた試合の後は、24時間、その話をしないようにしました。24時間経つとさすがに怒りも静まって、「なんで怒ってたの?」「なにが悪かったと思う?」と聞くと、本人も冷静に振り返ることができるので、おすすめです。
ヌートバー選手がスター選手だったアメフトではなく野球を選んだ理由
――ヌートバー選手は高校時代、アメフトの花形ポジションであるクォーターバックとして、地元のリーグで3度もMVPを獲得したそうですね。なぜ、野球を選んだのでしょうか?
久美子さん 高校1年生の夏には、野球の特待生として大学に推薦入学する話がきていたんですよ。野球は4、5歳からずっとやってきたから、本人も野球だなと思ったんじゃないかな。
高校3年生の夏、アメリカ中から選抜された選手が集まるクォーターバックキャンプに呼ばれて、そこでもMVPを取ったんです。それで大学のアメフトのコーチから、「野球のコーチと相談する」と電話がありました。その時、野球のコーチが「ラーズは野球にコミットしているから、手を出さないでくれ」と伝えたそうです。
アメリカはスポーツのシーズンがずれているから高校までは両立できたのですが、大学になると、野球とアメフトのシーズンが少し重なっていて、両立は難しい。ラーズはアメフトも大好きだったから、どちらかを選ぶのは辛かったでしょう。
――決め手はなんだったと思いますか?
久美子さん 私たちは特に相談されていないのですが、野球のほうがプロとして可能性があると感じたんだと思います。アメフトでクォーターバックというポジションはひとつしかないんですけど、野球だったら複数のポジションをこなすことができますよね。例えば、高校までずっとショートを守っていたラーズが、大学生の時はショートとセンターで起用されました。高校生の時、アメフトで二度大きなケガをしたことも、野球を選んだ理由のひとつかもしれません。
夫婦で飛び上がって喜んだ日
――ヌートバー選手ほどスポーツ万能だと、親も注目されそうです。
久美子さん そうですね。ラーズが進学したのは野球で有名な大学なので、私がプリスクールで働いている時、親御さんにうちの子どもがそこで野球をやっていると話すと、「どうやって育てたんですか?」と何度も聞かれました。
親御さんのなかには、自分がやりたかったこと、できなかったことを子どもに託したいという人もいるんです。それで個人レッスンをつけたり、車で2時間もするトレーニング施設に通ったりしてるんですけど、3、4歳の子どもにそこまでするのはどうなのかな? そういう親御さんになにか聞かれると、私はいつも「好きなことをやらせてあげてください」と答えてきました。
――なにも押し付けなかったからこそ、才能を伸ばすことができたのかもしれませんね。とはいえ、プロになれる選手は本当に一握りです。ヌートバー選手がメジャーリーグでデビューした時の気持ちを教えてください。
久美子さん 結婚記念30周年でタヒチに行っていて、現地の空港にいる時に「メジャーに上がる」と電話がかかってきたんです。それを聞いて、夫婦で飛び上がって喜びました。周りにいた人は、なにごとかとびっくりしたでしょうね(笑)。
タヒチからロス行きは1日に1便しかなくて、ロスからラーズのデビュー戦だったデトロイトに行く便もブッキングしたんですけど、結局間に合わなかったんです。すごく残念でしたが、うちのお兄ちゃんとお姉ちゃん、10人ぐらいのお友だちが試合を観に行ってくれたので、ラーズも寂しくなかったと思います。
――ヌートバー選手は、WBCの後もセントルイス・カージナルスで活躍しています。将来、どんな選手になってほしいですか?
久美子さん ラーズは今、現実にメジャーリーガーになって、自分が夢見ていた舞台に立っています。ファンも含めて、これまでお世話になったすべての方々に感謝の気持ちを忘れないでほしいですね。そして、チームの勝利に貢献できる選手になってくれたら最高です。
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取材・原稿/川内イオ