二十日正月はどんな日?
現代では、正月行事をする期間を「正月」と捉える人が多いようですが、本来の正月は新年の最初の1カ月を指します。正月にはいくつかの節目があり、「二十日正月(はつかしょうがつ)」もその一つです。二十日正月の由来や風習について解説します。
正月の祝い納めの日
二十日正月は、1月20日のことです。正月飾りを全て片付ける「祝い納めの日」であり、二十日正月をもって正月の行事が終了します。
そもそも正月とは、年神様(としがみさま)を家に迎え、五穀豊穣(ごこくほうじょう)や子孫繁栄(しそんはんえい)などを祈る行事です。大みそかには家中を掃除し、門松・しめ縄・鏡餅などを飾って年神様を迎え入れます。
迎え入れた年神様がしかるべき場所に帰るのが1月20日であることから、二十日正月が正月の締めくくりとされているのです。
残った正月料理を食べ尽くす風習がある
二十日正月には正月飾りを全て片付けると同時に、余った祝い膳や餅などを平らげて、実りに感謝するのが古くからの習わしです。
塩ブリを頭や骨ごと煮込んだり、団子にして食べたりする家庭もあり、一部の地域では、二十日正月を「骨正月(ほねしょうがつ)」「頭正月(あたましょうがつ)」と呼んでいます。
1月19日を「前夜祭」と称し、尾頭付きの魚や小豆ご飯などを年神様に供える地域もあります。
昔は二十日正月に鏡開きをしていた
昔は二十日正月に「鏡開き」を行うのが恒例でした。鏡開きとは無病息災を願う行事で、神棚や床の間に飾っていた鏡餅を下げて、雑煮やおしるこなどにして食べます。
「鏡割り」とも呼ばれますが、「割る」という言葉は縁起が悪く、末広がりを意味する「開き」が使われるようになったようです。鏡餅は年神様が宿る依り代(よりしろ)であるため、年神様が家にいる間は鏡開きをしません。
江戸時代が始まったころまでは二十日正月に行っていましたが、3代将軍の徳川家光が1651(慶安4)年4月20日に亡くなったため、月命日の20日を避けて1月11日に鏡開きをするようになりました。
以降、江戸幕府の拠点があった関東地方では、松の内は1月7日、鏡開きは1月11日に実施するのが一般的です。一方、江戸から遠く離れた関西地方などでは、今でも15日や20日に鏡開きをする家庭が多く見受けられます。
二十日正月の主な行事食
二十日正月には、どのような料理が振る舞われるのでしょうか? 各地域の代表的な行事食を紹介します。
【京阪神地域】あら煮・ブリ大根など
海に囲まれた日本において、魚は正月に欠かせない食材です。数え年では元旦に年齢を重ねるため、年末年始に供される魚は「年取り魚」と呼ばれます。物流や冷蔵・冷凍技術が発達していなかった時代、内陸部では保存用に塩漬けした塩ブリ・塩ザケが特別な日のごちそうでした。
特に、京都・大阪・神戸を中心とする京阪神地域では、正月料理のために用意した塩ブリや、内臓を除いた鮭を塩漬けにした「新巻き(あらまき)ザケ」を、以下のような料理にして骨ごと食べる家庭が多いようです。
- ●あら煮
●ブリ大根
●粕汁
「あら煮」は煮付けの一種で、魚の骨・頭などのあらを使います。「ブリ大根」は、ブリと輪切りのダイコンをしょうゆ・砂糖・酒で煮込んだもので、冬の定番料理としても知られます。「粕汁」は、根菜やこんにゃく、魚などを酒粕と一緒に煮込んで作る料理です。
【中国地方の一部地域】麦めし・とろろ汁
中国地方の一部地域では、二十日正月を「麦正月」と呼びます。麦は米に次ぐ主食であることから、豊作を祈願して、麦めしやとろろ汁を食べる習慣が根付いたといわれています。
「とろろ汁」とは、自然薯(じねんじょ)をすりおろし、だし汁やみそを加えた料理です。汁といっても粘り気があるため、麦めしやご飯にかけて食べるのが一般的です。
自然薯は、10月中旬から12月ごろにかけて収穫期を迎えます。秋から冬の食卓には自然薯を使った料理が並び、一部の地域では正月の行事食としても振る舞われます。なお、自然薯には消化を助ける役割も期待されており、豪華な正月料理で疲れた胃腸をいたわる意味合いもあるようです。
【佐賀県】ふなんこぐい
ふなんこぐいとは、みそを水でといてこした「すめ汁」に、昆布で巻いたフナ・根菜・調味料(水あめ・砂糖・しょうゆなど)を入れて煮込む郷土料理です。鹿島市(かしまし)を中心とした佐賀県全域で伝承されており、特別な日に多く振る舞われます。
ふなんこぐいの発祥地である鹿島市では、二十日正月に「えびす様」にふなんこぐいを供え、豊漁や商売繁盛を願うのが一般的です。鹿島市の肥前浜宿(ひぜんはましゅく)の酒蔵(さかぐら)通りでは、1月19日の早朝より「ふな市」が開催され、フナを買い求める人々でにぎわいます。
他エリアと異なる「沖縄の二十日正月」
沖縄には、他のエリアとは異なる独自の文化や風習が残っています。年中行事や地域の祭りは、旧暦に基づいて行われるのが基本で、二十日正月も例外ではありません。
旧暦の1月20日が基本
沖縄の二十日正月は、旧暦の1月20日が主流です。私たちが普段使用している暦は、太陽の動きを基にした「太陽暦」です。しかし昔は、月(太陰)の満ち欠けに太陽の動きを加えた「太陰太陽暦(天保暦)」が使われていました。一般的に、太陽暦は「新暦」、太陰太陽暦は「旧暦」と呼ばれます。
日本では、1872(明治5)年に「改暦の詔書」が発表され、1873(明治6)年から太陽暦が使われ始めました。一方で沖縄の年中行事や祭祀(さいし)の多くは、今もなお旧暦に基づいています。多少の誤差はありますが、旧暦の二十日正月は、新暦よりも1カ月ほど遅く訪れます。
沖縄の正月料理は豚肉が主役なので、二十日正月には「スーチカー」と呼ばれる豚肉の塩漬けを食べるのが習わしです。スーチカーを食べ尽くしてそのかめを洗うことから、二十日正月は「カミアレーショーグヮチ(かめ洗い正月)」とも呼ばれています。
火の神や仏壇を拝む
沖縄の二十日正月には、正月料理を食べ尽くしたり、正月飾りを片付けたりする以外に、火の神(ヒヌカン)や仏壇を拝む風習があります。
火の神や仏壇に最後のお供え物(ウサギムン)をした後、一連の正月行事を無事に終えられた感謝と一年のご加護を祈念して、正月飾りの片付けを始めるのが一般的です。
中には正月の祝い納めとして、一年の幸せや無病息災を祈る祭りを開催する地域もあります。沖縄本島から南西に約300km離れた宮古島の宮古島市では、獅子舞(ししまい)が集落を練り歩く伝統行事が行われます。
二十日正月以外の伝統行事もチェック
正月は1月の別名であり、二十日正月は正月の祝い納めの日です。二十日正月以外にも、正月には「大正月」「小正月」があり、節目ごとにさまざまな伝統行事が行われています。
大正月(おおしょうがつ)
大正月は「男正月(おとこしょうがつ)」とも呼ばれ、1月1日の元旦または、1月1~7日の期間を指すのが一般的です。
1月7日の行事食は「七草粥(ななくさがゆ)」で、入れる具材としてはセリ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベラ・ホトケノザ・スズナ・スズシロの「春の七草」が挙げられます。
七草粥の起源には諸説ありますが、中国から伝わったともいわれています。古来中国では、新年から数えて7日を「人日(じんじつ)」の節句と定め、7種類の野菜を入れた吸い物を食したそうです。
小正月(こしょうがつ)
小正月とは、1月15日または15日を中心とする3日間で「女正月(おんなしょうがつ)」とも呼ばれます。月の満ち欠けを基準に生活していたころの日本人は、その年の初めての満月を「正月」と考える習慣がありました。
一方、中国から伝わった太陰太陽暦(旧暦)は、一年で最初の新月を正月とします。太陰太陽暦が暦の基準と定められた後は、新月を正月とする習慣が広まったことから、一年で最初の満月の日を「小正月」と称して区別するようになったといわれています。
小正月は旧暦の1月15日ですが、現在では新暦の1月15日を小正月とする地域が多いようです。小正月の代表的な風習は次の通りです。
●小豆粥を食べて無病息災を願う
●どんど焼き(左義長)と呼ばれる火祭りで、正月の縁起物を焚き上げる
●餅花(もちばな)を飾る
餅花は地域によってさまざまな呼び方があり、養蚕が盛んな地域では「繭玉(まゆだま)」と呼ばれています。豊作を願う飾り物で、丸めた餅や団子を木の枝に刺し、神棚などに飾るのが一般的です。
祝賀モードは二十日正月まで
1月20日に当たる二十日正月は、正月の祝い納めの日です。正月飾りを片付け、祝い膳や餅を食べ尽くすのが一般的であり、祝賀モードが味わえるのもこの日が最後といえるでしょう。
日本人にとって、正月は一年で最もめでたい期間といっても過言ではありません。大正月・小正月・二十日正月など、節目の行事が複数あるのも、正月が重要視されてきた証といえます。次の正月には、家族で節目の行事を意識しながら過ごしてみるのも一興です。
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構成・文/HugKum編集部