AIではなく人の声で育てたい――言語学者、川原繁人さん監修のタッチペンで学ぶ『ひらがなずかん』が新発売! 乳幼児の言語習得を促すこだわりポイントとは

専用のタッチペンを使って絵や文字に触れると、〝音声〟でさまざまな言葉や楽しい音を学べる小学館のタッチペンシリーズに、新たに『タッチペンで学べる!はじめてのひらがなずかん 英語つき』が仲間入り! 遊びながらひらがなを楽しく学ぶことができる、この本の監修をしていただいた慶應義塾大学言語文化研究所教授の川原繁人先生に、ご専門の「言語学」「音声学」のことや、本を作る際に目指したコンセプトや工夫した点について伺いました。

「言語学」は人間言語の特徴を解明することを目指す学問

川原先生(以降川原):「言語学」は、ひと言で言うなら、人間言語の特徴を解明することを目指す学問です。私の専門は、その下位分野の「音声学」と「音韻論」で、「人間は、音声をどのように発声しているのか」「その音声は、どのように空気の振動として聴者に伝わるのか」「聴者は、その振動をどのように知覚するか」「音声を操る人間の認知機構は、どのようなものか」などを研究しています。

例えば「母親」を示す単語には、「ママ」のように〔m〕という音が使われやすく、英語はmother、ドイツ語はMutter、ハワイ語はmakuahineというふうに多くの事例があります。どうしてなのかというと、私は赤ちゃんは哺乳するのが仕事だからだと考えています。赤ちゃんは母乳を飲みながら同時に呼吸をしていて、哺乳時は口が塞がっているため、鼻呼吸になります。だから、声を出そうとすると、鼻から息を出すために自然に〔m〕という音になるのです。だから「母親」という言葉には〔m〕を当てた単語が出やすいのではないか。以上のような観点で、言語について解明していくのが「音声学」のアプローチです。

人間の赤ちゃんは周囲の大人たちの「音声的な語りかけ」を通して言語を学んでいきます。

–「ママ」という言葉の音声に、そのような理由が考えられるなんて、実に興味深いです。ひらがな学習がテーマの今回の本に興味のある保護者の方は、子どもが生まれてからどのように言葉を獲得していくのか知りたいと思っている方が多いと思うのですが、それはどのように行われていくのでしょうか?

川原:これまでの研究によると、人間の赤ちゃんは、周囲の大人たちからの「音声的な語りかけ」を通して言語を学んでいくことがわかっています。中でもお母さんに語りかけてもらうと、赤ちゃんはご褒美をもらったように感じて、言語を学ぶ気持ちが高まることが実証されています。

新生児を対象にした脳科学の実験だったのですが、お母さんの声を聞いていると、赤ちゃんの脳の言語の認知を司る部分と報酬の認知を司る部分の機能が結合して、お母さんの声を「報酬」として認識していることが判明したのです。つまり、お母さんの声を聞くと、新生児の脳はそれ自体を「ご褒美」と感じていたのです。

「愛着のある人との親密な語りかけ」が乳幼児の言語の習得を促進させる!

–では、お母さんがたくさん話しかけてあげると、赤ちゃんはとてもうれしいのですね。

川原:そうです。そして、言葉をたくさん学びたいという気持ちになるんです。

–こうした脳の反応は、お父さんの声では起きないのでしょうか?

川原:この実験は、母親の声で行ったもので、母親以外の声を赤ちゃんがどのように感じているかは研究中です。しかし、父親のように「特定の親密な養育者の声」も同じ効果をもたらすと考えられています。

例えば、「NICU」(新生児集中治療室)でケアを受ける赤ちゃんは、2~3週間にわたってお母さんの声を聞けずに過ごすことがありますが、その場合、面倒をみてくれる看護師さんの声に愛着を感じるという観察結果があるからです。

このように人間の赤ちゃんは、人の声を聞きながら最初は単語を覚えていきます。そして、その次には「あめをなめる」「犬が吠える」「赤い絵の具」といった二語文を話すようになります。すると、その後はそれまで蓄積してきた言葉があふれ出るように長めの文を発せられるようになっていきます。また、言葉の発音も乳幼児期はたどたどしいですが、唇や舌の筋肉、口腔の構造が発達していくに従って、大人と同じように言葉を話せるようになります。

本に収録した音声は、AIではなく温もりのある人の声にこだわりました

–これまでの先生の解説をお聞きして、子どもの言語獲得には、乳幼児期に周囲の大人たちの接し方が重要なのだということがよくわかりました。今回、川原先生に監修をしていただいた本は、3~6歳児を対象に「ひらがな」や「言葉」を学んでほしいと願い、企画したものですが、監修をするにあたり先生が留意された点を教えてください。

川原:監修をするお話をいただいたときは、先日刊行した自書言語学者、生成AIを危ぶむ 子どもにとって毒か薬か(朝日新書)を執筆していた最中で、私は「『生成AIを搭載した子ども向けのおしゃべりアプリ』を安易に子どもに与えるのはよくない」という主張をしていたときでした。そのため、この企画をお聞きしたとき、まず抱いたのが「生成AIやスマートフォンに負けないものを盛り込みたい」という想いでした。

そこで、本に収録する音声は、「生成AIによる自動音声ではなく、ナレーターさんによってスタジオで録音したものにする」ことにこだわりました。

–どうして、生成AIではなく、人間の音声にこだわったのですか?

川原:先ほど述べましたように、私たち人間は「人の声から言葉を学ぶから」です。

AIが生成する音声は、あたかも人間が話しているかのように聞こえますが、AIの言語の習得は、膨大なテキスト(文字)を学習した大規模言語モデルによって生まれています。ですから、AIから出力された言葉というのは、学習したデータに基づいて生成された文章を読みあげているに過ぎないのです。言葉の意味を理解したり、感情を抱いて言葉を発したりしているのではありません。人工音声の技術が進んでいるとはいえ、イントネーションなどまだまだ不自然さが残ります。

人間が話す言葉というのは、そのときどきの話し手の気持ちを反映して、声のトーンや話す速度が異なり、表情が豊かなんですよね。

今回の本に搭載した「おしゃべり」モードの音声を聞いていただくと、そのことがよくわかると思います。例えば、「あしか」という言葉をタッチすると、「海の生き物だけど歩くのも得意。逆立ちだってできるんだよ!」というメッセージが聞こえるのですが、聞き手に温かく語りかけているように感じてもらえると思います。それは人間の声でメッセージを収録しているからです。

誰かと一緒に遊ぶ工夫として、クイズやゲームを盛り込みました

–監修する際に、ほかにこだわった点はありますか?

川原:「誰かと一緒に遊べるように配慮」しました。乳幼児の場合、ひとりで遊ぶのではなく、同じ空間に遊び仲間がいるだけで、言語学習が促進されるからです。

生後9か月の乳幼児期を対象にタッチスクリーンを用いて、「ひとりで学んでいる場合」と、「となりに学び仲間がいる場合」で音声の獲得を比較した実験では、「自分のとなりに同い年の赤ちゃんがいる場合のほうが、言語学習が促進する」ことが判明しているんですよね。

だから、ひとりで遊んでもいいのですが、できるだけ子どもが誰かと一緒に楽しめるような本にしたいと思いました。そこで、本の中にはひらがなの文字や言葉の学習ページだけでなく、所々にクイズやゲームができるページを挿入しています。子ども同士でも親子でも構いませんので、お子さんと遊んでいただけたら幸いです。

収録した言葉は、できるだけ「五感」を喚起するものを選びました。

–本に収録されている言葉は編集部がピックアップした複数の言葉の中から川原先生が選んでくださったと聞いています。どんな観点で選ばれたのでしょうか?

川原:言葉の響きも重視しましたが、なるべく「五感」を喚起するような言葉を意識して選出しました。人間の発育や発達には、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚といった、五感すべてを刺激することが、とても大事だからです。

例えば、「あ」「い」のページには、「あじさい」や、「いちご」という言葉を収録していますが、それは、「あじさい」には花の香りが、「いちご」には甘酸っぱい味覚が感じられる言葉だと考えたからです。

また、一部の単語になりますが、「たんご」モードにしてペンをタッチすると、「あかちゃん」という言葉の場合、赤ちゃんの笑い声がしたり、「雨」の場合は雨音がしたりするようになっていて、その単語をイメージする音声が流れるしくみになっているのですが、それは、そうした音声とともに言葉を覚えるほうが、その言葉が意味しているモノ自体をより実感できるからです。

–その言葉が意味しているモノを実感することが大事だということは、シロウトの私でもなんとなく理解できます。

川原:これは人に限らず動物にも言えることなのですが、モノに触れたり、においを嗅いだりして、五感を刺激することは、乳幼児期の発育や発達に欠かせないんですよね。なぜなら、そうした実体験を乳幼児期にしないと、脳が反応しなくなってしまうからです。

そのことを実証した代表的な事例として、「縦縞しか見えない環境で子猫を育てるとどうなるかを解析した実験」があります。この実験では、縦縞しか見えない環境で育った猫は、縦に並べられた鉛筆にはじゃれついて遊ぶのですが、横に並べられた鉛筆とは遊ばないという結果を得ました。横縞をなぜ知覚できなくなってしまったのかというと、大脳の視覚を認知する部分が十分に構築されなかったからです。

以上のような実験結果から、「脳は生まれ育った環境で必要だと判断した情報だけを処理するように育つ」と考えられています。ですから、乳幼児期には、さまざまな実体験をたくさん積むことが重要なのです。

ところが、現代の子どもたちは、昔に比べてそうした刺激を受ける機会が足りないような気がしてなりません。例えば、温暖化によって、酷暑の夏場に外で遊べなかったりするように、自然の中で子どもが遊ぶことが難しい時代になっていると感じています。だから、せめてこの本の中では、そうした体験を少しでもしてもらいたいと願い、言葉に関連した音声を可能な限り挿入しました。

後編に続く>>

編/小学館はじめてずかんチーム 監/川原繁人 6578円(税込)

『タッチペンで音が聞ける!はじめてずかん1000』を卒業したお子さんにおすすめ。小学校入学まで使えます。プレゼントにもピッタリ!

お話を伺ったのは

川原繁人(かわはらしげと)

慶應義塾大学 言語文化研究所教授。2007年にマサチューセッツ大学で博士号(言語学)を取得し、ジョージア大学・ラトガース大学で教鞭をとった後、現職。専門は音声学で、義塾賞(2022)、日本音声学会学術研究奨励賞(2016、2023)などを受賞。

現在は慶應義塾大学や国際基督教大学などで教えながら、「日本語ラップ×言語学」「ポケモン×言語学」などの斬新なテーマで研究・発信を続け、言語学の裾野を大きく広げている。書籍のほか、TV・ラジオへの出演も多数。

後編に続く>>

取材・文/山津京子

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