
もともと企業の人材教育用語が学校教育でも使われるように
学校教育の場では、今「自走」という語が話題になっているようです。
私などは「自走」という語を聞くと、鉄ちゃんではないのですが、真っ先に電車の「自走用バッテリー」を思い浮かべてしまいます。停電のときでも、車両に搭載したバッテリーを使って電車がしばらく自力で走行できるようにした蓄電システムのことです。私にとって「自走」とは、主に機器類の移動手段について、他の動力によらず自身の動力で走ることという意味の語だったのです。
ところが学校教育で使われる「自走」は、そのような意味ではありません。子どもが自分で考えて行動したり、自ら設定した目標に向かって学習を続けたりするという意味です。もともと企業の人材教育で使われていたものが、学校教育にも広まったようです。「自走教育」「自走型学習」などというような使われ方をしています。
機器に使われていた用語が人間にも使われるようになって
つまり機器に対して使われていた語が、意味が広がって人間にも使われるようになったというわけです。この新しい意味を載せている国語辞典は、実はまだありません。比較的最近になって使われ始めた意味だからでしょう。
私は教育の専門家ではありませんので、実際に「自走教育」「自走型学習」がどのような取り組みを行っているものなのかについては、言及を避けます。それらのことを詳しく知りたければ、それに関する書籍や論文も数多く出ていますのでそちらをお読みください。
ここでは「自走」という語について、私なりに少しばかり考察をしてみます。「自走」が人間に対して使われるようになった背景には、学校でも「指示待ち」と呼ばれる子どもが増えてきたことがあると思われます。「指示待ち」の子どもの特徴は、主体性がないとか、臨機応変な対応が苦手だとかいったことですが、そういった子どもを減らそうとしているわけです。「自走」はそれを表現するのにぴったりな語だったので、広く使われるようになったのでしょう。
従来、学校教育の現場では、「自学自習」という語も使われていました。「自学」「自習」とは、文字通り、自分で学ぶこと、自分で習うことを意味します。誰かに教えてもらうのではなく、自らの力で知識やスキルを身につけていくということです。これを「自走」と言い換えようとしているのは、単に学ぶだけでなく、その学んだ知識やスキルを自分自身のものとして、自分の力で決定し行動することが大事だと考えるようになったからだろうと思います。
「自走」とペアで使われている「伴走」

さらに「自走」とペアで使われる語が「伴走」です。「伴走」は、マラソンや自転車のロードレースなどで、競技者のそばについて走ることをいいますが、教育の場合は、「自走」するのは子どもであり、「伴走」者は教師、あるいは保護者になるでしょう。そしてレース同様、伴走者は自走する者に寄り添うだけで、動力源になってはいけないのだろうと思います。
「自走」「伴走」とも、今私がかかわっている国語辞典ではどのように新しい意味を加えたらいいのか、あれこれ考えています。
記事監修

辞書編集者、エッセイスト。元小学館辞書編集部編集長。長年、辞典編集に携わり、辞書に関する著作、「日本語」「言葉の使い方」などの講演も多い。文化審議会国語分科会委員。著書に『悩ましい国語辞典』(時事通信社/角川ソフィア文庫)『さらに悩ましい国語辞典』(時事通信社)、『微妙におかしな日本語』『辞書編集、三十七年』(いずれも草思社)、『一生ものの語彙力』(ナツメ社)、『辞典編集者が選ぶ 美しい日本語101』(時事通信社)。監修に『こどもたちと楽しむ 知れば知るほどお相撲ことば』(ベースボール・マガジン社)。NHKの人気番組『チコちゃんに叱られる』にも、日本語のエキスパートとして登場。新刊の『やっぱり悩ましい国語辞典』(時事通信社)が好評発売中。