・杉浦あきえ:モンテッソーリ教師

・夫:同じ年で多趣味
・長女:10歳(2016年生まれ)、何かを考えたり言葉にしたりすることが大好き
・次女:4歳(2021年生まれ)、天真爛漫でおしゃべりが止まらない
目次
子どもの甘えに、私が大切にしたいと思っていること
「ママのお膝で食べたい」
食事の時間、4歳の次女が時々そう言う。
その直後に聞こえてくるのは、10歳の長女の声。
「えー、ずるい」
そうだよね。そうなるよね。
私の本音を言えば、できればそれぞれ自分の椅子に座って、ゆったり落ち着いてご飯を食べたい。次女に「いいよ」と言えば、長女が「なんで妹だけ?」と言いたくなるのもよく分かる。そこから姉妹喧嘩が始まる可能性だってある。でも、目の前の次女は、お膝に座って食べたいと求めている。
さあ、どうする?
私の頭の中では、ほんの短い時間にいくつかの選択肢が並ぶ。
「自分で座れるでしょ」と言うこともできる。「もう4歳なんだから、自分の椅子で食べようね」と促すこともできる。「お姉ちゃんもずるいってなるから、今日はやめよう」と断ることもできる。
どれも間違いではないと思う。でも、私が大切にしたいと思っていることがある。
それは、助けを求めたら助けてもらえた経験。
頼ってみたら、手伝ってもらえた経験。
甘えてみたら、受け止めてもらえた経験。
一つひとつを「点」で見ると、それは自立とは反対のように見えるかもしれない。けれど、長い目で見ると、そうした経験は自立に向かうためにも、とても大切な土台になる。
子どもの願いや求めていることは、いつも分かりやすく表に出てくるわけではない。
目の前では怒っているけれど、本当は寂しいのかもしれない。泣いているけれど、本当は話を聞いてほしいのかもしれない。黙っているけれど、本当はそばにいてほしいのかもしれない。
子どもの心の中にあるものは、海の中に沈んでいるように、すぐには見えないことの方が多い。だからこそ、すでに言葉や態度で伝えてくれているものは、私たち大人が気づくことのできる大切な手がかりだと思っている。
次女の「ママのお膝で食べたい」という一言も、大人から見ればわがままのように映るかもしれないけれど、何かの願いが表に出てきたものなのかもしれない。
甘えたい。
頼りたい。
近くにいたい。
少し手伝ってほしい。
それは、「もっとお菓子を食べたい」「もっと動画を見たい」という願いとは少し違う。人として生きていくうえで、満たされてほしい願いに近いものだと感じる。
もちろん、だからといって、すべてをそのままかなえるということではない。子どものそんな甘えや手伝いを求める姿に対して、私がちょうどよいと思っているのは、
「あなたのやることを、必要ならいつでも手伝いますよ」
というスタンス。あれもこれもと召使のようになる必要はない。でも、突き放したり、必要以上に急かしたりもしない。子どもの主体性を奪うほどに先回りして何でもやってしまうのでもなく、求めているのに「自分でできるでしょ」と手を離してしまうのでもない。
この物事の主役は、あなた(子ども)。
でも、必要があれば手伝うよ。
そういう距離感でいられると、子どもが求めてきたときに、できる範囲で甘えを受け入れたり、手伝ったり、助けたりすることができる。
濃くて短い、子育ての黄金時代
冒頭の食卓に戻ると、私は「ママのお膝で食べたい」と言う次女に「いいよ」と伝える。そして、「ずるい」と言う長女には、「ご飯を食べたらデザートにしよう。そのときは一緒に食べようよ」などと、別の形を提案する。
長女は「んん〜! 絶対そのときは私だからね!!」と妹に念押しをして、何とか受け入れる。
次女は「よしっ! やった!」と言いたそうな表情で、私の膝の上に座り、食事の時間が始まる。
朝食のときなら、まだとかしていない寝癖のついた髪の毛が、私の顔にふわふわ当たる。「ああ、髪の毛が顔に当たる〜」と思いながら、その髪をそっとはらって食べる。夕食のときなら、砂の匂い、外の空気の匂い、保育園の匂いが存分についた服から、その日だけの独特な匂いがふわっとする。その中で、次女はお膝で食べられることに満足した顔をして、ご飯を食べている。

一瞬一瞬は、時に大変だ。でも、こうして甘えを受け入れられる日も、こんなふうに頼って求めてもらえる時間も、実は限られているのだと思う。髪の毛が顔に当たることも、保育園帰りの匂いをこんな距離で感じることも、いつかはなくなっていく。
そう思うと、今この子育ての時間は、やっぱりとても濃くて、短い。子育ての黄金時代を、大切にしたいと思う。
甘えは自立の反対側にあるものではない
そして、それと同時に、もう一つ大切にしたいことがある。
「自分でやってよ」
「できるでしょ」
「お母さんだって、お父さんだって大変なんだから」
そう言いたくなるとき。もしかしたらそのとき、大人自身が、誰かに助けてもらえていないのかもしれない。甘えられていないのかもしれない。それくらい、自分だけの力で必死に頑張っているのかもしれない。
頑張っているからこそ、その厳しさが、子どもに向いてしまうことがある。
だから、子どもの甘えは受け入れて大丈夫。
そして、それと同時に、大人も甘えていい。
「もう限界」
「助けてほしい」
「今日はやめた」
「少し聞いてほしい」
私たちも、心の中にある願いを、少しだけ表に出してみる。そうすると、ピーンと張っていた糸が、ゆるゆるとほどけていく。そのゆるさが、子どもの甘えを受け入れる余白につながっていくのだと思う。
子どもに「頼っていいよ」と伝えるなら、私たち大人も、誰かに頼っていい。甘えは、自立の反対側にあるものではないから。子どもも大人も、頼ったり、助けてもらったり、受け止めてもらったりしながら、また自分の足で歩いていく。
私たち、毎日本当にお疲れ様です。
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プロフィール
国際モンテッソーリ教師(AMI)
幼稚園教諭、保育士、小学校教諭。二児の母。
幼い頃から夢見た保育職に期待が溢れる思いとは裏腹に、現実は「大人主導」の環境で、行事に追われる日々。そのような教育現場に「もっと一人ひとりを尊重し、『個』を大切にする教育が必要なのではないか」とショックと疑問を感じる。その後、自身の出産を機に「日本の教育は本当にこのままでよいのか」というさらなる強い疑問を感じ、退職してモンテッソーリ教育を学び、モンテッソーリ教師となる。「子育てのためにモンテッソーリ教育を学べるオンラインスクール Montessori Parents」創設、オンラインコミュニティ”Park”主宰。著書に『モンテッソーリ教育が教えてくれた「信じる」子育て』(すばる舎)、『モンテッソーリ流 声かけ変換ワークブック』(宝島社)、『子育ての「引き算」』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)、『子育ての“イラッ”“モヤッ”を手放す本』(小学館)。
Instagram @montessori_akie
Voicy モンテッソーリ子育てラジオ
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イラスト/カラシソエル
