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青森県十和田市の出身。学級委員を務めクラスのまとめ役

――松橋さんのご出身は青森県十和田市ですね。どんなお子さんでしたか?
松橋さん 市街地に住んでいましたが、十和田は天然記念物の十和田湖や奥入瀬渓流があり、自然にあふれたのどかなところです。私は小さい頃から野山を駆け巡り、勉強も大してせずにカブトムシを捕って遊ぶような子どもでした。
実家は、元造り酒屋だった酒店で、私は男3人兄弟の真ん中。そのせいか、グッと何かに没頭してエネルギッシュに活動するというより、みんなを見回してバランスを取る、まとめ役タイプでした。学級委員もよくやりました。ですから、映画の最初から最後までをみて、関わる人たちをまとめながら全体を見通していくプロデューサーの仕事が合っているのかもしれません。
英語塾の先生に大人の映画を教えてもらい、バスで1時間かけて映画館へ
――映画との出合いは?
松橋さん 小学生の頃、英語の塾に通っていたのですが、そのときの先生が自由で芸術家肌、そして映画が好きな方でした。小学生相手にヒッチコックを語り、お宅で『めまい』を観せてもらったのをよく覚えています。映画好きになったのは、その先生のおかげだと思います。

松橋さん また、私は乗り物酔いがひどかったので、中学生の頃、親子で相談して月に1,2回、1時間ほどバスに乗って八戸まで行くことで克服しようということになりました。行った先には大きな映画館があったので、そこでまた『インディ・ジョーンズ』『ターミネーター』などアメリカのハリウッド映画をよく観ました。
そんな中でやはり大興奮したのは『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ですね。科学者のドクがスポーツカーを改造して作ったタイムマシン、デロリアンで30年前の世界に疾走するというSF映画の傑作です。「こんな素敵なことができたらいいなぁ!」と大感激しました。面白すぎて、続けざまにもう1回観ました。
東京で映画をたくさん観たくて、早稲田大学に進学
――早稲田大学に進学したのも、東京で映画をたくさん観たかったからだと……。
松橋さん 東京には大きな映画館もあるし、単館映画をやる小さな映画館もあります。だから東京の大学に行き、思う存分映画に触れたい、行くなら憧れていた早稲田大学だと。うちの高校からはもう10年も早稲田の合格はなかったはずですが、「行けると思う」と先生や親に言いました。先生は地元の国立大学でいいじゃないかと言うんですが、「がんばるから」と親を説得しました。父も母も「そんなに行きたいならがんばれ」と言ってくれたんです。結局2浪することになりましたが。
――2浪を支えてくれたご両親、実は心配だったのでは?
松橋さん 母は「無理しなくていいんじゃないの?」とは言っていました。そうしたら、実は自分はあまり覚えていないのですが、こう答えたそうなんです。「心配かもしれないけれど、今がいちばん大事なときだから、僕を信じてください」と。母はそれを聞いて、腹を据えて見守ろうと思ってくれたのだ、と。ありがたいことですよね。
今、僕には高校生と小6、小4の子がいて、子育てってどれくらいサポートしてどれくらい放っておくのかが難しいな、って思うのですが。自分の体験を通して何より大切なのは、子どもを愛して信じてあげるっていうことなんじゃないかと思うのです。子どもが「がんばりたい」と言ったら、止めないこと。
たとえば、もし子どもが大学受験前で、学校からは「推薦でこの大学に行ける」と言われたとして、子どもは一般入試でがんばりたいと言うのなら、そうすればいい。仮に一般入試で受からなくても、「自分で決めた」ということが大事です。親は「じゃ、信じるね」と言ってあげればいい。たとえ合格できなかったとしても、「あのときこうしていたら……」と後悔する人生はよくないと思うのです。
僕が親から浪人を許してもらって勉強していたときは、予備校の寮に住んでいました。当時の寮は4畳半くらいの狭い部屋で、鉄パイプ製のベッドと机・椅子で、まるで牢屋ですよね。窓は小さいのがかろうじて1つあったかな(笑)。なかなか苦しい時期でした。でも、そこで孤独を感じながらも勉強をがんばり抜くことができた。
父や母が、私を信じてくれたから、自分はがんばれた。そして、私も自分のことを信じることができたのです。今、あのときのことを笑いのネタにできるのですから、幸せですよね。
映画制作がしたくて入った会社で営業職に…でもそこで学ぶことがある
――その後、WOWOWに就職されてからも、思い通りにならないことはありましたよね。
松橋さん 映画が作りたくて、東宝とか松竹のような映画配給会社に入ろうと思ったけれど、配給会社自体が映画をたくさん作っているわけではないと知り、組織でしっかり映画制作をしている企業を探して、WOWOWに就職しました。就職試験の面接で熱く映画作りについて語って採用されたので、映画制作の部署に配属になると思っていました。しかし、WOWOWの加入契約を促進する営業の部署の配属だったんです。
――映画制作をやりたいという一念で東京に来て念願の会社に入ったのに……、ガッカリしましたか?
松橋さん ガッカリでしたねぇ。「営業がお金をとってこなければ映画は作れないのだから」と言われても、ですよね。
でも、この営業の経験が、のちに役に立つのです。ようやく映画制作の部署に回してもらえたのは30歳手前、焦る気持ちもありましたが、この年月が決してムダではなかったと思えることがいくつもありました。
たとえば、営業職を5年間経験して、見ず知らずの会社の代表電話に何百回電話する、初めての人にコンタクトを取って会いに行くことも、まったく平気になりました。映画を作るようになり、自分の企画を持ち込み、熱意を込めて話しても、断られることは数々ありますが、そんなことではひるまない。自分のやりたいこと、やるべきことを静かに貫いて目的を果たす、その底力がついていたのです。
もし僕が若い人たちに何かを伝えられるとしたら、特に働き始めの3年間は、なんでもいいから与えられた仕事を続けたほうがいい、ということ。1年目はとりあえず何をやるかがわかる年、2年目はそれを復習する年。そうして初めて、3年目でオリジナリティが出せる。その年月は人によって、職業によって多少違うかもしれないけれど、すぐにあきらめずに苦しくても継続してみる。「石の上にも3年」って、意味がある言葉だなぁと思います。
よいことも直したほうがいいことも、その人が大事だから告げる
――映画プロデューサーになられてから、たくさんの人たちと付き合いがあります。若い人気俳優さんたちとはどんな付き合いを?
松橋さん 若くしてスーパースターになった人たちには、本音で話してくれる周囲の人がだんだん減ってきます。周りが気を遣って何も言わなくなるのです。もちろん、才能があって、周囲の期待にも添える力があるから、演じれば「オッケー」が出ます。でも、実際自分では自分の演技の善し悪しに不安を感じるようなこともあると思うんです。
それを、わかりやすい言葉でかみ砕いて「ここがすごい」と伝えるのは、大切なことなんじゃないかと思います。「あなたの演技のここで心が動いた」と。そういうコミュニケーションによって、信頼感が生まれます。
反対に、これは良くない、ということも、ちゃんと話す。ふるまいなども含めて、悪気なくやっていることでも、ですね。「嫌われてもいいから、あなたのために言いますね。現場でああいうふうにしていたけれど、やめたほうがいい」と。なぜなのか、冷静にわかりやすく、心を込めて言葉にします。そうすると、ちゃんと応えてくれるし、信頼してくれるようになります。
もちろん、俳優さんたちからも、「こうすべきなんじゃないか」と提案もしてくださいます。意見を出し合って話し合い、納得し合うことで、作品は生きてきます。

信じ合って培ったよいチームワークは作品作りが終わっても続いていく
松橋さん 「はじめまして」で集まった人たちは、作品を作り終えれば「さようなら」なのかもしれません。しかし、信じ合って培ったよいチームワークは、その仕事が終わっても次に続けていきたいと思うのです。
もう何本もご一緒している俳優さんたちがたくさんいて、ずっと一緒にやろうねと言い続けています。
親友と向き合い、いやなことがあったらそっとしておくのか、彼のために言うべきか。とても悩みます。自分だったらどうか、と考えると、間違ったことをして、正してくれたら「ありがとう」って思います。一時的に仲たがいしても、「あのとき言ってもらってよかった」と思える仲が、親友だと思う。それはけんかではないです。「僕は君のことが大事だから」と。お互いに伝わるものだと思うのです。
――お子さんに対しても、同じ向き合い方ですか?
松橋さん そうですね。でもね、人の成長って本当に早いし尊いもので。我が家は家族で映画を観る時間を大切にしていて、2026年春には『映画ドラえもん 新・のび太の海底鬼岩城』をみんなで観に行ったんです。観終わったあと、当時小5だった真ん中の娘に「どこがよかった?」と聞いたら、コンピュータ内蔵のひみつ道具、水中バギーが、しずかちゃんに信頼され守られているうちに、「人間のよさをわかって、命と引き換えに尽くしたところに感動した」と。
ずっと子どもだと思っていたのに、そんな心のひだのようなことまで感じ取れるなんて、と、娘に感動して涙が出ちゃって。「教えてあげる」なんて言っているうちに、若い人たちは成長して、自分に刺激を与えてくれるようになるんだなって。こっちが教えられてしまいました(笑)。

松橋さん こんなことに感激して泣く私は、やはり「凡人」です。でも、凡人だからこそ、失敗を繰り返しながら思いをあふれさせている。その思いをチームでつなぎ合って、これからも新しい作品という旅路を探して歩んでいきたいと思います。
前編ではヒット映画のプロデュースのお話もお伺いしています。
お話を聞いたのは
1969年8月18日、青森県十和田市生まれ。CREDEUS代表/映画プロデューサー。早稲田大学法学部卒業後、1994年にWOWOWへ入社。『バトル・ロワイアル』でプロデューサー・デビュー。2005年に独立し、『銀魂』『キングダム』『沈黙の艦隊』『ゴールデンカムイ』『国宝』『SAKAMOTO DAYS』『ブルーロック』など、数多くの作品をプロデュース。2026年に全作品の興行収入累計が1000億円を突破。優れた映画プロデューサーに贈られる藤本賞を『銀魂』『キングダム』『国宝』で3度受賞している。初の著書は『凡人プロデューサー 日本映画で世界をかえる!』(小学館刊)
活躍目覚ましい映画プロデューサー初の著書
丸善丸の内本店ノンフィクション部門でベストセラーランキング1位!
(集計期間2026/7/30~8/5)
『キングダム』、『国宝』、『ブルーロック』、『ゴールデンカムイ』、『SAKAMOTO DAYS』、『銀魂』、『沈黙の艦隊』『バトル・ロワイアル』・・・本作は、プロデュースした全作品の興収累計が2026年ついに1000億円を突破するという偉業を成し遂げた松橋真三の初の著書です。
青森県に生まれた少年が、どのようにして映画プロデューサーになったのか。
その生い立ち、プロデューサーとしての覚悟と矜持、成功し続けるための秘訣、さらには日本のエンタメの未来像を初めて語ります。
映画ファンはもちろん、映画プロデューサーを目指す若者にとっても必読の内容となっています。
この記事を書いたのは
インタビューを中心に教育、子育て、医療、介護、食などのテーマで WEB・雑誌・書籍などの記事を執筆。お話を伺う方にたくさんの学びをいただいています。社会福祉士、法定成年後見人、中学校・高等学校教諭一種免許状、生涯学習2級インストラクター(栄養と料理)
撮影/杉原賢紀