夏の風物詩・水ようかんは、江戸時代は冬に食べられていた?
みずみずしく、ツルンとしたその口当たりが魅力の水ようかん。角が立った長方形の水ようかんを桜の青葉でつつんだ姿は、涼味を感じさせる逸品です。
水ようかんが誕生したのは、江戸時代中期ごろ。意外にも発祥の頃は、冬に親しまれていたとか。お正月のおせち料理の、デザートとして楽しんでいたという説があります。福井県で冬にこたつに入って水ようかんを楽しむ習慣が定着しているのは、その名残なのかもしれません。
ようかんの材料は、こしあん、寒天、砂糖ですが、水ようかんは、練り羊羹に比べて砂糖の量を押さえているため糖度が低く、日持ちがしない生菓子なのです。
榮太樓は、缶入り水ようかんのパイオニア
榮太樓が、日持ちがしない生菓子の水ようかんを、いつでも楽しめる缶入りで発売したのは、かれこれ半世紀以上前の昭和30年代の後半。「イージーオープン」と呼ばれる、プルトップで開ける缶入りに仕立てたのは、榮太樓が日本で最初です。
榮太樓の水ようかんは、寒天を減らして葛を入れ、喉越しの良さを大事にしています。
水ようかんと水まんじゅう
缶入り水ようかんには、定番の小豆、小倉の他、つるんとした透明の葛餅をふんだんに使った水まんじゅうも。こしあんと粒あずきをくるんだ葛小氷と、桜の塩漬けの葉が入った葛さくらの2種があり、こちらは、4月下旬から9月いっぱいくらいまでの期間限定販売商品です。
葛さくらに入っている塩漬けの桜の葉は、桜餅に使っているものと同じですが、缶に収めるために、葉先の部分だけを使っています。これは手作業でしかできないことで、榮太樓には、この葉先を切ることを専門にしている担当の方がいるのです。
缶の底に隠れている目にも涼しい「水の文様」。ぜひ、お皿に移して召し上がってください
手軽に缶を開けて、付属のスプーンですくって食べていただけるのですが、お皿に中味を移して食べていただくと、涼やかな水の波紋をイメージした文様が表れて一層涼やかな気分になっていただけますし、水まんじゅうは、その透明感を楽しんでいただくこともできます。
作家・開口健が愛した、榮太樓の「みつまめ」
もう一つ、缶入りの定番商品に「みつ豆」と「あんみつ」があります。
1968年(昭和43年)にみつ豆を発売してから10年後の1978年(昭和53年)に「あんみつ」を発売。かれこれ半世紀販売し続けているロングセラーです。北海道産小豆、「沖縄県産黒糖」を使用した「黒みつ」と、寒天、フルーツとの相性が抜群。
釣り好きで、食べ物に関するエッセイでも有名な、作家・開高健さんは、榮太樓の「みつまめ」が贔屓だったお一人です。
「小笠原諸島へ釣りに出かけたとき」缶詰のみつ豆を大量に持ち込んでクーラーボックスで冷やし、「いろいろのメーカーのをためしてみた」結果、「榮太樓のが傑出していた」というエピソードを、エッセイ『生物としての静物』に綴ってくださっています。
家で楽しむもよし、開口健さんのように、レジャーのお供にクーラーボックスで冷やして外で楽しむもよし。手軽に楽しめる夏の涼味のお楽しみとして、榮太樓の缶入りの水ようかん、みつまめ、あんみつを味わってください。
監修:榮太樓總本鋪(えいたろうそうほんぽ)の歴史は、代々菓子業を営んできた細田家の子孫徳兵衛が文政元年に江戸出府を果たしたことに始まります。最初は九段で「井筒屋」の屋号を掲げ菓子の製造販売をしておりました。が、やがて代が替わり、徳兵衛のひ孫に当たる栄太郎(のちに細田安兵衛を継承)が安政四年に現在の本店の地である日本橋に店舗を構えました。数年後、自身の幼名にちなみ、屋号を「榮太樓」と改号。アイデアマンであった栄太郎は代表菓子である金鍔の製造販売に加え、甘名納糖、梅ぼ志飴、玉だれなど今に続く菓子を創製し、今日の基盤を築きました。