車いすバスケ日本代表・古澤拓也さん「母と父の『拓也は何でもできるよ』という言葉が可能性を広げてくれた」

東京2020パラリンピックで銀メダルに輝いた車いすバスケットボール男子日本代表。代表選手として活躍した古澤拓也さんの26年間を綴ったエッセイ『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』が発売されました。HugKumは、古澤さんとご両親の関係や、スポーツを通して学んだことなど、たくさんのお話を伺いました。

親御さんには、子どもの一番の応援団でいてほしい

古澤さんのエッセイには、スポーツや習い事に悩んだり、友達関係に悩む子どもに寄り添うヒントがいっぱい!

東京2020パラリンピックで銀メダルに輝いた車いすバスケットボール男子日本代表。代表選手として活躍した古澤拓也さんは、先天性疾患(二分脊椎症)とその合併症の影響で、小学6年生のときから車いす生活を余儀なくされました。もともと大の野球好きだったというスポーツ少年の古澤さんにとって、両足が使えなくなってしまったことの絶望は深かったそう。

そんな古澤さんが挑戦し続けた26年を振り返った著書『車いすでも、車いすじゃなくても、僕は最高にかっこいい。』が発売されました。「『障がい者になってよかった』とは思わないけれど、生まれ変わっても、僕は間違いなく今の人生を選ぶ」と語る古澤さんは、そう思えるようになるまでにいくつもの壁を乗り越え、努力を続けてきました。

実際の古澤さんにお会いしてみると、試合のときとは打って変わってほんわかと穏やかな印象。友人からは「拓ちゃん」と呼ばれている愛されキャラです。古澤さんがスポーツを通して得たものや苦しい場面の乗り越え方、両親や友人、周囲の人たちとのコミュニケーションなどについて、たっぷりお話を伺いました。

古澤 拓也/1996年5月8日、神奈川県横浜市生まれ。車いすバスケットボール選手。WOWOW所属。13歳の時に車いすバスケットボールを始め、高校2年でU23日本代表デビュー。2017年のU23世界選手権では、キャプテンとして日本のベスト4進出に貢献、自身もオールスター 5に選出される。日本代表として出場した東京2020パラリンピックで銀メダル獲得。選手としての活動のかたわら、講演会や競技の普及活動にも努め、日本各地を回り、メディア取材を積極的に受けている。好きなものは抹茶、コーヒー。

両親は僕がスポーツを頑張っていることを喜んで応援してくれた

――今回、書籍を出すことになった経緯を教えてください。

古澤拓也さん(以下古澤)僕が車いすユーザーになったときに、テレビで車いすテニスの国枝慎吾選手が活躍する姿を見たことが、車いすでの生活というか、病気を受け入れるきっかけになったんですね。

僕たち車いすバスケットボールの選手も、去年(東京2020パラリンピックで)銀メダルを取ったことによって、そういう子供たちの希望というか、ロールモデルになれたかもしれない。そうなれたらいな、という思いが元々あったので、本を出すことによって、よりその目標に近づくんじゃないのかなと思ったんです。

――車いすユーザーになる前は、お父さまの影響で野球が好きだっんですよね。

古澤はい。甲子園がちょうど“マー君対ハンカチ王子”で盛り上がっているときは、「マー君の駒澤大学附属苫小牧に行きたい!」と言い出し、翌年には「やっぱり大阪桐蔭がカッコいいな」みたいなことを言い出す……そんなことを毎年繰り返していました(笑)。

――甲子園に行く、野球選手になるという夢を持っていたそうですね。

古澤当時、野球に限らず自分に「できない」という感覚がなかったというか。難しいことやつまずくことはもちろんあったんですが、コツをつかめばできるなっていう感覚がありました。なので自然とそういう夢を持ったんだと思います。

――すごい。何かの成功体験があってそういう思考になったんですか?

古澤そうだと思います。野球をやっていたときは、まずボールがちゃんと届くようになったとか、速い球を投げられるようになったとか。小さな成功体験が、多分あったと思います。何か小さなことでも褒められるとうれしくて、もっとできるかもしれないと思ったり。そういう意味では、小さい頃からまわりに褒めてもらう機会は多かった気がします。

――車いすスポーツを始めたときも?

古澤車いすバスケを始めたときも、周りの子よりちょっと車いすに乗る機会が多かったから、動かすのが上手だとか褒められることはありましたね。ただ、現状に満足しないタイプなので、今は上手かもしれないけど、あの人はもっと上手だしな、みたいな感じでした。そのときはもう国枝選手になれると僕は思っていたので(笑)。

――自然と上を目指すタイプ?

古澤「友達の使っているあのバッティンググローブが欲しい」みたいな感じで、人のものって欲しくなりますよね。それと同じで、能力に関しても、あの能力いいな、欲しいな、自分もできるようになりたいな、っていう思いでしたね。

――ご両親もよく褒めてくれていたんですか?

古澤習字で二段をとっていたので、習字のことはよく褒めてくれていたんですが、小さい頃は、やっぱり障害が進行し始めて、野球もそもそもクラブチームに入れなかったので、スポーツの実績などで褒められるということは車いすをスポーツを始めてからだったと思います。それまでも親にスポーツで褒められた記憶は……「運動神経いいね」とか、そんなレベルでした(笑)。

――意外です。

古澤でも、僕がスポーツをがんばっていることを喜んでくれていることがうれしかったですね。具体的に褒められるというより、応援してくれて、自由に自分のやりたいことをやらせてくれていたので。

――書籍を読むと、ご両親がいろいろと情報収集をして、サポートしてくれている印象です。

古澤そうですね。僕、基本的に何事も最初は「やりたくない」って言うんですよ(笑)。

初めて車いすテニスや車いすバスケの体験に行ったときも、「帰る、俺はやらない」って。恥ずかしがりやだったんですよね。テレビを見て、車いすテニスがやりたい、国枝選手みたいになりたいとは言っていたけど、実際に何か動くことはしていなかったです。

――それでご両親が体験会に連れて行ってくれて。

古澤野球をやっていたときは週7で公園に行っていたのが、それができなくなってずっと家にいるような状態になっていたのが、親も気になったんだと思います。テレビで国枝選手を見たとき、僕より先に親のほうが目を輝かせていた気がします(笑)。そこから車椅子テニスを始めました。

テニスは、とても楽しかったですね。ただ練習できる会場が自宅から遠かったこともあり、途中で母が車いすバスケも体験会連れて行ってくれて。テニスとバスケ、中学生のころは両方に取り組んでいました。最初は車いすテニスの方が手ごたえを感じていて、父が調べてくれた、オーストラリアで開催されるアジアオセアニアのジュニア選手対象のツアーに応募して、代表に選ばれ中学2年生で、海外遠征に行きました。

スモールステップの目標を積み重ねて、到達した車いすバスケ パラリンピック日本代表

――今では車いすバスケ、パラリンピックの選手に選ばれるほどになったわけですが、最初から目指していたんですか?

古澤車いすバスケを始めたときには、まさか自分が日本代表になるとは思っていなかったです。クラブチームで一番うまくなりたいとか、関東選抜に選ばれたいとか、その都度目標はありましたが、代表選手を見たら身体も大きいし、レベルの差を感じてやる気がなくなってしまうような感じで(笑)。

僕には無理かなって思ってしまうから、見ないようにしていたかもしれません。上を見過ぎると苦しくなって、「今の自分のシュートフォーム、かっこ悪い」とか思い始めてしまうから。ちょっと越えられそうな壁を見つけるとか、ちょっと頑張ればいけそうぐらいの目標を設定するとか、そういうことをやっていたらここまで来たという感じです。

――でも小学校の文集では「パラリンピックで金メダルをとる」と書いたんですよね。

古澤当時ちょうど車椅子ユーザーになったばかりのときで、実際のパラリンピアンのメダリストのレベルも知らないし、勢いで書いたんだと思います(笑)。

パラリンピックでメダルをとることを本気で意識し始めたのは本当にここ数年。しかも金メダルだとしたら、東京が終わったあと、本当につい最近かなと思います。

――新たな目標はできましたか?

古澤今はどちらかというと、改めて車いすバスケットボールを楽しもうとしているというか。バスケットボールを始めた10代のころの楽しさを今一度追求したいという気持ちでいます。楽しみながらプレイするというのは賛否両論ありますが、僕の中ではやっぱり楽しむことが大切なのかなと。

東京2020パラリンピックまでの道のりは、正直楽しいだけではなかったので。シュートが外れて負けたら自分の責任だとか、これを決めないと勝てないとか、強いプレッシャーを感じていたと思います。うまく結果が出ていくと、自信にはなっていくんですが……。

ただ、周囲で勢いが出ている選手はやっぱり楽しんでいるなというのを感じました。真剣だけど、何か遊び心があるというか。

僕の場合は、ドリブルが得意で好きなので、魅せるプレーというか、車いすバスケでもあまり多くないビハインドという技を試したり、いろいろなフェイントを使ってみたりしたいなと思っています。

――楽しむことも大事なんですね。これまでは苦しい場面も多かったと思いますが、そういうときはどう乗り越えてきたのでしょうか。

古澤すごく難しいんですけど、二つパターンがあって、ひとつは、うまくいかないときは無理に脱出しないようにする。いつかこの時間はなくなるだろうという感覚で待つ。もう1個は、何かしらのヒントをもとにあがいて、どうにか脱出しようとする。いろいろな情報を収集したり、スランプになったとしたら何が原因かを一生懸命考えて考えて、何かやってみる。

それでも脱出できないならもう諦めて、結局その(スランプなどの)時間が去るまで、とりあえず淡々とトレーニングをします。

取捨選択を迫られる場面では「人」で選んできた

――苦しい場面では、熟考しつつも、潔く切り替えられるんですね。

古澤いや、でもけっこうまた考えちゃったりするので(笑)、そうなったら「もう考えてもしょうがないんだよ」ってセルフトークします。その繰り返しをしているうちに、うまくいく時間も出てくる気がします。

バスケットボールは確率のスポーツなので、うまくいく日もあればいかない日もあります。ただ、そういうときに1人だけで乗り越えたかというと、チームメイトや友人との、ふとした時間が意外と答えになっていたかもしれない。

例えば一緒にプレーしていて、自分は駄目だと思っていても「実はいいプレーしてるよ」と言われたことで楽になったり。僕も周りの選手が悩んでいたとして、何かしらうまくいっている部分があるなら「うまくいっているよ」とちゃんと言葉に出しています。僕もそういう声かけに救われているので、大切なことだと思っています。

――書籍でも、仲間や友達の存在の重要性を書かれていましたね。

古澤一緒に東京パラリンピックに出た選手の半分は、10代のときから一緒にやっている仲間なんです。一緒に練習を頑張って、しんどいときや苦しいときに乗り越えてこれたのは、チームスポーツならではというか、1人ではできないことでした。

中学で本当は続けたかった野球ができなくなりましたが、車いすバスケに出会ってまたチームプレーの楽しさを味わえました。結果を出しに行って、たまたま結果が出たけど、別にメダリストになれなかったとしても、自分の歩んだ人生において、やっぱり仲間であったり、チームプレーができることは重要だったと思います。

そして僕にとってチームメイトもすごく大切な存在だし、もちろん一緒に野球やスポーツを楽しんだ地元の友人たちも同じぐらい大切な存在ですね。

――テニスよりバスケを選んだのも、チームプレーができる点だということでした。

古澤バスケットの道を選んだときは、ちょうど東京パラリンピックの招致が決定した時期だったと思います。

先にテニスのほうでいい成果が出ていて、バスケの方が難しくて。身体も細いし、3ポイントシュートも届かないし……という状態だったのですが、バスケには12,3歳の頃から一緒にやっている同世代の仲間たちがいたんですね。そのメンバーと一緒にいることがとにかく好きで、アジアパラ競技大会のときもバスケをしに行くというよりも、友達と海外旅行に行くような感覚でした(笑)。なので、その大好きな人たちとパラリンピックに出られたらどんなに楽しいだろう、と思ったんです。

テニスは同世代の子が当時は本当に少なかったんです。やっぱり同世代の仲間と野球ができなくなった思いがあるので……。

――選択するときは常に人が重要という感じですか?

古澤そうですね、人はめちゃくちゃ重要です。好きな人と楽しいことをやったら、楽しさが倍増するというか。何かを選ばなければいけない場面では、割と人で選んできましたね。そして、その選択は間違っていなかったなと思います。

古澤拓也さん

昔からみんなでスポーツをやるのが好きだった

――常に周囲の人に恵まれている印象です。

古澤小学生のとき、車いすユーザーになるにつれて、できないことがどんどん増えていったんですね。

できないことは「助けて」と言わないとどんどん遅れをとってしまう。もちろん、友達は気づいて助けてはくれるけど、自分の中で「ここは自分でどうにかしたい」というときもあって、場面場面でたくさん考えるようになりました。

「ここはちょっと助けてほしくないけど、ここは助けてほしい」ということを取捨選択してうまくやっていかないと、小中学校の世界は生き残れなかったという感覚が自分の中にありましたね。

ある意味、それができたから友達には恵まれたのかな。じゃないと、とっつきにくいやつになっていたと思うので。

――仲間や友人とはどんなふうにコミュニケーションをとっていますか?

古澤僕の場合、趣味がめちゃくちゃ多いので、趣味の話を片っ端からして、趣味が合えばその話をするし、なければ僕の趣味を一方的に話すというか(笑)。それこそ小学校のときも、僕は野球が大好きだったので、運動が嫌いな子に野球を1から覚えさせたらどんなに楽しいだろうと思って、教えていました。そうしたら、その子は結局高校まで野球をやったんですよ。

――それはすごい!

古澤でもたぶんその子は運動が本当に嫌いだったんじゃなくて、楽しさを知らなかっただけだと思うんです。その楽しさを教えただけというか。僕が教えたけど、僕も教えてもらったというか、そもそも自分がやりたいから一緒にやってもらっていただけなので。

――そういう姿勢がよかったのかもしれません。

古澤本当にスポーツが嫌いな子と、単純にスポーツの楽しさを知らなくて「好きじゃない」って言ってる子って、なんとなく雰囲気でわかるんです。

後者の子は、最初にドッジボールとかで速い球を当てられてイヤな記憶として残っている、みたいな感じの子が多いから、少しずつ一緒にやったらできるようになって、楽しくなっていくんですよ。

みんなでスポーツをやるのが好きだったので、野球がダメなら卓球、卓球がダメならまた別の何か……っていう感じで、諦めなかったですね(笑)。小学校の頃は、そんなことばかりしていました。

車いすユーザーになってからも、テニスは一緒にできるし、バスケットボールもシュート練習なら一緒にできるし、大学ではゼミの友達がフットサルをやっていたので、お互いの試合を応援しに行ったりもしました。

人生の選択肢はたくさん持っておきたい

――お話を聞いていると教えるのも得意そうですが、今後は教育に携わる可能性も?

古澤そうですね。U-⁠23のとき、自分的にすごく伸びた実感があったので、大学のゼミの卒論も「U-⁠23の日本の強化育成の課題と特徴」というテーマで書いたんです。将来的に、特にその年代の選手のコーチをやりたいなと思ったりもしています。

――コーチになることも含めて、将来叶えたい夢はありますか?

古澤コーヒーがめちゃくちゃ好きなので、将来的には自分でカフェをやれたら最高だなと思っています。

実際に実現するかは別として、夢はけっこう持ちがちなので(笑)。いずれ家庭を持ちたいという思いもありますが、その反面、アスリートとしてもっと頑張りたいという気持ちもあります。海外でバスケをやって、その国に永住するというのも面白そう。

どの夢を実現させるかわからないですが、選択肢はたくさん持っておきたいんです。そうじゃないと怖くなっちゃうので。

次のパラリンピックで金メダルを取りたいという気持ちももちろんありますが、100%かというとそうでもなくて。

(東京2020パラリンピックの)決勝戦を心から楽しめてはいなかったんですよね。自分のプレー的には楽しんでいる方が圧倒的に成果が出ているので、ここからは未知の領域なんだろうなと思います。楽しんで取れるものでもないのかもしれないし、でも楽しまないと取れるものでもない。

――それを今試している最中だと。

古澤はい。それといま、自分が成果を出せているタイミングで、今回本を出したことも含め、メディアに出演するなどのさまざまなアプローチで、車いすバスケットボールが「パラスポーツ」の枠に収まらないようにしていきたいんです。

まだまだ日本ではバスケットボールの方が、車いすバスケットボールより勢いがあるような雰囲気を感じるんですが、ドイツやイギリスでは車いすバスケットボールがとても人気で、バスケットボールと車いすバスケットボールが同じコートを使っているんですよね。

自分にできるアプローチをちょっとでもしていきたいよねっていうことを、チームメイトの鳥海連志とかともよく話しています。

――これからが楽しみですね。最後に、HugKum読者にメッセージをお願いします。

古澤僕が何かをやるときには、母と父が「拓也は何でもできるよ」みたいなことを、暗示のようにずっと言ってくれていたんですね

今思えば、その安心感は半端なかったです。例えば、ひとりで海外の大会に行ってちょっと孤独なときや、スランプで苦しいときも、自分ならなんとかできそうな気がするというか。

小学生とか中学生、高校生くらいまではいくらでも可能性はあると思うし、僕もそうでしたが、何かのきっかけで得意なことが一気にできるものです。僕も小学校で野球ができなくなったときは何をしたらいいのか、目標も夢も全部なくなってしまったのですが、反動で今たくさんの夢を持っています。

子供の可能性は本当に無限大なので、どんな場面でも「絶対できるよ」という声を永遠にかけ続けてあげてほしいなって思います。

古澤さんの26年間の軌跡を綴ったエッセイについて詳しくは

発売中 1540円(税込)/電子版あり

「東京パラリンピック銀メダルリスト・車いすバスケットボール日本代表の古澤拓也が26年の人生の葛藤と挑戦を綴った初のエッセイ。 第1章から泣けると話題!
「生まれた時から、歩けなくなることはわかっていた。でも、置かれた状況によって自分の人生が決まってしまうわけではない。
いつ、どんなふうに車いすユーザーである自分を受け入れたのか、幼少期から今までの26年の軌跡に触れていただき、何かを感じとってもらえたら・・・・・・そんな思いを込めて綴りました。」

古澤拓也選手をもっと知りたい方は SNSもチェック!


文・構成/小林 麻美

構成/HugKum編集部

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